12 瘴気の訓練
レデニアの町の再生には半年と言う月日がかかるのだが、その間、ケンジが何もしていなかったわけではない。
とは言え、町の運営に関わる仕事は完全に門外漢ゆえ、ヨネスと共にレデニアン・グリムの写本制作が終わった後、本来の仕事に戻る事にしたのだ。
つまり、アグリム・ドゥガルの討伐へ向けて足がかりを作るのである。
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「ええと……ここが鉱山の入り口か」
忙しく働きまわっているグラナルから町長室と地図を借り、ケンジはそれと睨めっこする。
現在、神字が刻まれているのは町の中心のみ。そこから神字の影響範囲はせいぜい町から出て散歩が出来るぐらいの範囲である。
本格的に森に入り始めるところまで行くと、瘴気が立ち込める領域だ。人が長く活動できる場所ではない。
「ここから坑道まで……少なく見積もっても丸一日はかかりそうだな」
北の山脈の麓に広がる森は案外と広い。
その森の中に坑道の入り口があるのだが、地図に記されている入り口は町からかなり遠い場所にあった。
元々は坑道の入り口付近に新しい村を作り、そこで鉱石を一時的に保管、一定量に達し次第町へ輸送、と言う手順を踏んでいたそうな。
そのための輸送路も昔は整備されていたのだが、あの森の様子を見ると少し不安である。
ケンジが魔物の追跡のために足を踏み入れた森の中。あの中では植物が異常な成長の仕方を見せていた。
捻くれた幹や茎、葉っぱの色もおかしくなり、その繁殖具合もかなりのものだ。
南の森と比べて木々の枝葉が成長しまくった北の森は、日の光も届きづらく薄暗い。日光が落ちて来なければ、地面の植物は育ちにくいはずだが、シダのような植物が地面を制圧する勢いでもあった。
あの調子で地面の草花も成長していたとなると、整備していたらしい輸送路もいまや獣道になっていてもおかしくはない。
「まずは状況の確認と、そこまで行く道のりの中で幾つか神字を刻む必要があるかな」
瘴気の影響について話を聞けば、普通の人間ならば数時間も中にいると普通に倒れてしまうらしい。
原因は瘴気が人体に取り込まれた際に毒素へ変わり、それが影響して意識が途切れるのだとかなんとか。
ケンジがストライダーだとは言え、強化された肉体であっても瘴気の中に長くい続ければ倒れるのは免れないだろう。
そうならないために坑道までの道すがら、幾つか神字を刻む必要があるのだ。
地図を見れば一つ、多くても二つもあれば坑道の目前に神字を刻む事が出来るであろう。
「神字を刻む位置もちゃんと考えないとなぁ。神字同士が影響するなんて、面倒くさい事がなければジワジワと行動範囲を広げるんだけど」
ぼやきながら、ケンジは幾つか森の中に目星をつけるのだった。
神字を刻む場所に目星をつけたとしても、すぐに行動に移るわけではない。
携帯用の湖の水の用意や、魔物に出くわしても良いように幾つか準備するものもある。
「これで三つ目、か」
「北の山で採れる砂があれば、もうちょっと簡単なんだがね」
工房区までやってきたケンジは職人から頼んでいたものを手に入れる。
それは小ビン。湖の水を入れておく用に作ってもらっていたのである。
だがこの時代、ガラスもそれほど大量生産出来るわけではない。
高い火力を必要とするガラスの生成と加工、さらには原料もレデニアだけではまかなえない。 現状では町の中だけでガラス製品を大量生産するだけの状況が整っていないのだ。
そんな中で無理を言って作ってもらったのが、この三つ目の小ビン。
手に収まるサイズだが、この中に湖の水を入れておけばエストの信力によって瘴気が中和され、森の中でもある程度活動が出来るようになる。
「ストライダー殿、期待していますぜ。アンタが北の森を行き来できるようにしてくれれば、俺たちもまともに仕事が出来るってもんだ」
「ご期待にそえるように、努力します」
がははと笑う職人の親父さんに、ケンジは愛想笑いで返した。
現在、工房区の稼働率は一割にも満たない。
町の再生は始まったばかりであり、町の人口も少ないのだ。ヨネスが魔術師協会に掛け合って、多くの魔術師が移住してくる予定は立っており、実際ある程度の数の魔術師が移住してきている。
それなのに工房区に参入予定の職人たちの方はまだ予定すら見えてこない。
農奴の方も良い感じで農地に定着しつつあるし、
上手くいっていないのは工房区のみだ。
なんとか外部から鉄などを輸入して工業製品を輸出したりはしているが、それも工房を錆びつかせないための最低限の稼動でしかない。ガラスの原料も底をつきかけている。
これ以上、ケンジが無理を言って小ビンなどを作ってもらうのは、正直気が引けた。
「小ビンが三つで、瘴気の中で行動できる時間は単純計算すると三時間か。本当にそれだけの時間、安全が確保されてるのかわからないけど、これでどこまでいけるか……」
獣道を歩くために猟師としてのスキルをブレイヴで手に入れたとしても、三時間で目標の場所まで到達する事が可能なのか。そして、到着できたとして神字を刻む程度のマナを確保できるのかどうかである。
瘴気の中ではマナが極端に少ない。神字を刻むためにはマナが必要。瘴気の中でマナを確保するには、湖の水を使って瘴気を晴らすのが手っ取り早いのだ。
そのためには移動するだけで湖の水を消費しきるのは問題である。
「幸い、ビンの口をあけなければ水は消費されないっぽいし、限界まで消費を抑える事はできるけど、もう一本くらいは欲しいな。いや、なんならもっと大きな入れ物があっても良いのかもしれない……。よし、とりあえず、今はやれることをやろう」
思い立ったが吉日、と言わんばかりにケンジは町の北側に向けて歩き始めた。
北門を潜った先、森の手前。
すでに紫色に煙っている様子が目前まで迫っている場所である。
「……よし」
覚悟を決めたケンジはその森の中に足を踏み入れる。
瘴気の中に入った途端、ケンジの視線が少し揺れる。
以前にも入った事があるが、その時のことを踏まえても少し瘴気が濃くなったような気すらしてくる。
そして臭いもきつい。
市販の可燃ガスの臭いを数倍濃縮したような臭い。これをかいでいるだけでも具合が悪くなりそうな臭いだ。
しかし、ケンジはそれに怯むことなく、森の奥へと入っていく。因みに、彼は湖の水を持ってはいない。
今回の実験とは、泉の水を使わずにどれだけ活動できるか、というのを確かめるものである。
森の中には生命の気配が感じられる。
瘴気によって捻じ曲げられた植物たちに紛れて、元々住んでいた動物などが瘴気に犯され、魔物と化したものが潜んでいたりする。
そうでなくても、瘴気からは自然と魔物が生まれる。人間に無条件で敵対する存在が、この森の中に幾つも存在しているのだ。
その中にあってケンジはしかし一歩も引かない。
「ふぅ……ふぅ……思ったより、どうにかなるな」
頭痛や眩暈は大したことはない。
前回森に入った時にも、結構奥の方まで水を使わずに入っていけた。その経験も踏まえれば瘴気の影響はさほど大きくはない。
「過信は禁物だけど、これなら何とか……んっ!?」
ガサリ、と茂みから物音。
視界の通りにくい森の中では、いくら警戒していても何者かの接近には気付き遅れてしまう。
しかしそれでも、思ったよりも近くの茂みが揺れたのは、ケンジにとっても予想外であった。
ケンジが身構えるより早く、何者かが茂みの中から飛び出してくる。
瘴気に煙る視界で、ようやく把握できたその容貌は、小柄な獣人。
おそらく、先日も出くわしたゴブリンに近い種族だ。
「くそっ! やっぱり来たか!」
不意打ちではあった。だが、それでも反応しきれないほどではない。
ストライダーとしての力が馴染んできたお蔭か、ケンジの体裁きは中学生男子とは思えないほどのレベルに達している。
ケンジはすぐさま帯びていた剣を抜き放ち、飛びかかってきたゴブリンを横から切りつけて叩き落とす。
一撃で胴体を切り裂いたかと思ったが、手ごたえが違う。確認すると、ゴブリンは手に持っていた太めの木の棒で剣を受け止めていた。
両者共に致命傷はなく、距離を取って構えなおす。
「コイツ一匹か……いや、周りに気配が多い」
目の前に躍り出たのはゴブリンが一匹だが、茂みのあちこちから気配を感じる。
目の前だけに集中するのは愚策であろう。
しかし必要以上に気を割いていると目の前のゴブリンにもやられかねない。ケンジもそれほど練度の高い剣士と言うわけではないのだ。ブレイヴによって剣術は覚えていても、まだまだ使いこなしているわけではない。
「実戦で身体に馴染ませるのも一興、かな」
ペロリ、と唇を湿らし、頭の中にブレイヴで得た知識を一つ一つ確認していく。
こう言う場面で有効な手段を声もなくそらんじ、そして実践する。
『がああ! があああ!!』
ゴブリンが大声を上げ、手に持っていたこん棒をグルグルと振り回す。
小柄なゴブリンにとって、相手より大きな音を出し、実際の体躯以上に自分を大きく見せるのは、わかりやすい威嚇の行動だ。
相手を萎縮させ、攻撃の機会を増やす。
原初の動物らしい、獲物の本能に恐怖を与えようとする行動。
だが、それを見てもケンジはひるまない。
「こないだのコボルドの方が、怖かったぞ!」
威嚇を続けるゴブリンに対し、大きく一歩踏み込み、容易く間合いに収める。
そして鋭く一閃。上段からの振り下ろしである。
ゴブリンは防御のために木の棒を構えるも、今度はそれで剣は止まらない。
先ほどはゴブリンからの奇襲、そしてケンジも覚悟のしていなかった反撃であった。
そこに本来の剣の威力は乗らず、まともな斬撃とは呼べなかったのである。
それに比べ、今回は正確な構え、得意な足さばき、そして全力を込めた振り降ろしである。
これをゴブリン程度の雑兵が、適当に拾って来たこん棒でもって防御しきるというのは、まず不可能であった。
『げべぇ……!』
縦一文字に切り裂かれたゴブリンは、そのまま瘴気にまぎれるようにして消えてしまった。
魔物は肉体を持っているように見えて、それを構成しているのはほとんどが瘴気である。
生命活動が停止すれば、肉体は瘴気となって霧散し、消え失せてしまう。
だが、それでも斬撃の間にケンジへと返ってくる感触は、生物の肉を断つそれと相違ない。
「くっ、魔物でもやっぱり斬るのは気持ち悪いな……」
慣れない感触。だがこれも慣らしていかなければならない。
この先、百を数える魔物を相手にする事もあるかもしれない。そんな時、敵を斬る度にいちいち気がそがれていては死につながるだろう。
生き物を斬るのに慣れる、と言うのも浮世離れしているようで気後れしてしまうが、そんな事を言っている暇もない。
「次……!」
すぐに構えを直し、ケンジは周りに気を配る。
まだ魔物が潜んでいるはずだ。その辺の茂みから急に飛び掛ってきてもおかしくはない。
……だが、幾ら待っても魔物が出てくることはなく、それどころか気配がスッと遠ざかる。
「逃げたのか? ……良かった」
周りが安全になった事を悟り、ケンジは息を抜いて剣を下ろす。
正直、瘴気による具合の悪さと、ゴブリンを斬った感触によるショックで、継続して戦闘していられる状態ではなかった。
「少しでも激しい運動すると、結構具合が悪くなるのか……瘴気を吸い込んでるからかな」
わずかな時間の戦闘であったが、そもそも戦いに縁遠かった世界からやってきたケンジにとって、魔物との戦いは緊張の連続である。
呼吸も荒くなり、その分瘴気を吸い込む量も多くなっているのだろう。
その所為で瘴気の影響が強く出て、具合が悪くなっているわけだ。
「こうなると、戦闘も出来るだけ避けないといけないな……」
今回学んだ事を
やはり、神字を刻むのはかなりの難題であった。
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