63 行くべき場所②

「おおぉ、これはこれは……。お久しぶりですね。柊さん、お元気でしたか」

「あっ、はい! 田中さん、お久しぶりです!」


 ドアを開けてくれる田中さんに少し楽になった気がするけど、これから健さんと話をしないといけないからすぐ緊張してしまう俺だった。でも、相変わらずお元気そうでなによりだ。


 そろそろ仕事をやめてもいいと思うけど、田中さんは昔から体が弱かったからさ。

 ちょっと心配になる。


「どうぞ」

「し、失礼します」

「田中さん、今ちょうど電話が来ましたから星七をあの部屋まで案内してください」

「はい」


 そしてこっちを見て笑ってくれる田中さん。

 そういえば、昔はよくうちのお父さんと将棋を差していたよな。懐かしい。

 それにお父さん一度も勝ったことないって言ってた。


「お茶を用意いたしますので少々お待ちください」

「あ、ありがとうございます」


 てか、俺……本当に来てしまった。

 一番奥にある客室。ここは俺が小学生の頃に使っていた部屋だけど、あの時のままだな。そして瑠璃川がいつも勝手に入ってきて「ねえ、遊ぼうよ!」「一緒に寝よう!」「今日はナナくんと過ごしたい!」とか、そんなことを話していた。


 ここより大きい自分の部屋があるのに、なぜ俺の部屋で寝るのか分からなかった。

 でも、あの時はそんな疑問を抱く暇もなかったよな。瑠璃川が来るとすぐ緊張してしまうから……。お姫様は怖い。


「あ、すまない。重要な電話だったから」

「いいえ、大丈夫です!」


 そのままじっとしていたら、田中さんがお茶を置いてくれた。

 そして健さんがお茶を一口飲む。


「そういえば、ここから逃げるため……と言ったな。星七」

「はい」

「なぜだ? 花美のことが嫌いだったのか? あるいは、俺との約束を守るのが難しかったのか? どっちだ? その理由が聞きたい」


 持っていた茶飲みを下ろして、こっちを見る健さん。俺は拳を握った。

 せっかくここまで来たから今まで言えなかったことを全部言わないといけない。

 もし嫌われたら、そこで終わり。悔いはない。


「花美のことを嫌がる理由はありません。そして健さんとの約束はちゃんと守ろうとしました。何があってもその約束だけはちゃんと守ろうとしました……! 一つ、一つ……聞いてもいいですか?」

「ん」

「どうしてお父さんの葬式に来なかったんですか? それを教えてください。お父さんと健さんは親友だったんですよね? そう言われました。幼い頃に、お父さんに健さんは自分の親友だとそう言われました。なのに……、どうして? どうしてですか?」

「そうか、拓也たくやの葬式に行かなかったのがすべての原因だったのか」


 固唾を飲んだ。

 そしてお父さんの死に全然動揺しない健さんに、俺は本当に二人が親友だったのか疑問を抱いた。中学生の頃からずっと友達で、同じ高校と大学を卒業して、唯一の友達って言われたのに。どうしてその友達の葬式に来なかったんだ? そのまま健さんを見ていた。


 どう答えるのかすごく気になる。


「なぜ、俺があのバカの葬式に行かないといけないんだ? 俺はあの日、拓也が交通事故に遭った日。『お前は行かなくてもいい』とちゃんと話した。そして俺の話を無視したのは拓也本人だ」

「…………はい?」

「まさか、俺が強制的に仕事をさせたとそう思っていたのか? 今まで」


 その話を聞いた時、何を言えばいいのか分からなかった。

 お父さんが健さんの話を無視したのか? それは健さんのせいじゃなかったのか? なんでだ……? なんでお父さんは行かなくてもいいのに、わざわざ仕事をしに行ったんだ? そこが分からない。マジで分からない。


 じゃあ、俺はなんのために……。


「誤解があったようだな、星七」

「…………なら、どうしてお父さんは……」

「どこから仕事の話を聞いたのか分からないけど、いきなり『俺が行くから!』と拓也はそう話した。あの日が息子と遊びに行く日だったのは俺もちゃんと知っていたから、用事があったんじゃないのかと聞いたけど、あいつは行った。自分が行かないといけないというわけ分からないことを話して……」


 誤解だったのか? 今までずっと誤解をしていたのか?

 俺は……、一体何を———。

 なんで俺はすぐそれを聞かなかったんだろう、健さんのせいじゃなかったんだ。


「あいつが交通事故に遭ったのを聞いた時は悲しかった。星七の話通り、俺たちは親友だったから。だが、俺の話を無視して事故に遭ったあいつを俺はどう受けれればいいんだ?」

「分かりません」

「その気持ちを分からないとは言わない。父親を失った悲しみを知っているから。この話はこれでいいか?」

「はい……」


 下を向いて拳を握っていた。

 俺は……、健さんに事情も聞かず勝手に健さんのせいだとそう思っていた。

 お父さんは健さんのためならなんでもする人だったから、絶対無理させたとそう思っていた。馬鹿馬鹿しい。


 どうしてちゃんと聞かなかったんだ……。


「星七」

「はい……!」

「俺を憎んでいるのか?」

「はい?」

「子供の頃、俺はいつも星七を叱ったから。そのせいでこの家から逃げたと、俺はそう思っていた。違うのか?」

「それも……ありましたけど、ここから逃げたかった理由は……。いつかお父さんみたいに捨てられるかもしれないという不安があったからです」


 そう。いくら俺たちが仲がいい幼馴染だとしても……、ここは瑠璃川家。

 いつ捨てられるのか分からない場所だった。

 俺の代わりはいくらでもいる。瑠璃川家に仕える人もいくらでもいる……。だから、怖かったんだ。


 そして健さんに言えないけど、一番怖かったのは瑠璃川のことを好きになること。

 ずっと一緒にいたから、好きにならない方がおかしい。思春期だったし、瑠璃川は小学生の頃からずっと可愛い女の子だったからさ。そんな瑠璃川を好きになった後、瑠璃川家に捨てられると……俺はきっと耐えられないと思う。


 それがすごく怖かった。どうすればいいのか分からなかった。


「俺が星七を叱った理由は星七が周りを見ないからだ。何を優先するべきか、それをまったく分かっていなかったから」

「…………」

「花美に喧嘩を売ったクズどもを探していた時もそうだった。原因を探すことを俺は悪いと言わない。だが、星七は花美のそばで花美と一緒にいるべきだった。あのクズどもの顔は花美がちゃんと覚えていたから、星七が取るべき行動はそばにいてあげることだった。この話の意味、今なら分かるか?」


 そうだ……。そうだったよな。

 ふと思い出したあの時のこと……、俺はずっとあいつらをぶっ殺すことだけを考えていた。


「はい……。すみません」

「毎日誰と喧嘩をしたのか分からないけど、そこにはきっと理由があるだろう。花美を守るためならなんでする星七だから」

「はい……」

「そしてなんで俺が星七を捨てると思ったんだ? いらない人は最初から周りに置かない。邪魔だから」


 俺は……「はい」、それしか言えなかった。

 恥ずかしすぎる。


「星七は俺に必要な人だった。将来、花美と一緒にいる人だったから。だから、俺は拓也の代わりに星七がちゃんとした大人になるまで叱るしかなかった」

「そ、そうですか……」

「花美がいつも星七の話をしていたから、聞かなくても分かることだった。そして拓也のことは俺も悪いと思っている」

「いいえ……。いいえ…………」

「そして俺に聞きたいことはあるのか? 星七」

「いいえ……。ありません」


 すべてが誤解だったってことは分かった。

 お父さんがあの時なぜあんな選択をしたのか、それを健さんに聞いても意味ないよな。本人も知らないはずだ。だから、すぐ受け入れられなかったんだろう。話を無視したのはお父さんの方だったから。


「最後に聞きたいことがある」

「な、なんですか?」

「花美のこと、どう思ってるんだ? 星七」

「…………」


 なんか、俺は知っている健さんではないような気がする。

 なぜだろう、分からない。


「つ、付き合ってます」

「そうか。花美のことは好きなのか」

「はい……」

「なら、よかった。もう高校生だから昔のように叱るのは意味がない。最後に一つだけ、俺と約束をしてくれ」

「はい、なんでしょう」

「花美を幸せにしてやれ」

「…………」


 その話にすぐ答えられなかった。

 そうか、健さんはずっとそれを考えていたのか……。瑠璃川の幸せを……。

 なのに、俺はずっと避けていた。現実から逃げようとしていた。


「はい……」

「星七ならできる。俺は一度も疑ったことないから」


 なんだろう、涙が出てきそうでやばい。

 こんなことを……言われたことなかったからか、すごく悲しかった。

 ずっと健さんに否定されていたと思っていたけど、それは勘違いだった。線を引いていたのは俺だった。俺がずっと瑠璃川家を否定しようとしていただけ、あっちは最初からそう思っていなかった。


「そしてあと一時間くらいかかるかもしれない」

「はい? どういうことですか?」

「花美には言わなかったみたいだな、ここに来るのを」

「あっ……」


 まさか、ここに来るのか!?

 ここに来るのかぁ。


「帰る時は送ってやるから、ここでしばらく休んでくれ」

「は、はい……。あ、ありがとうございます! 健さん」


 その時、ラインが来た。


(花美) ナナくん、そこでじっとしてよ!!!!!

(星七) は、はい……。


 てか、最初から健さんと話したらこうならなかったかもしれない。

 そして花美と距離を取ることもしなかったはずだ。


(星七) 会いたい、花美。

(花美) 私に何も言わずそっちに行っておいて今更!? このバカ!!!!! でも、好き!


 花美は……、俺の大切な人だ。

 生まれた時からずっと———。


(星七) ごめんね。

(花美) むっ! 次は容赦しないからね!

(星七) はいはい。

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