一、累と二代目与右衛門 2

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与右衛門が死んだ翌年のことだった。ろうという流れ者が羽生村に住み着いた。

 江戸者だという話で、なにか悪いことをして諸国を放浪しているという噂だった。

 器用な男であったので、いろいろな家の納屋などに寝泊まりして、屋根を直したり畑仕事を手伝ったりして気楽に暮らしていた。

 ある時、累の家にもやって来た。痛んだかまどを直す代わりに食事と寝るところを与えていた。

 谷五郎はなかなかの二枚目で、ちょっと羽生村では見ない感じの垢抜けた男だった。

 累はこれまで人を好きになったことはなかったが、谷五郎のことは一目で気に入ってしまった。三十を過ぎての初めての恋だった。

 竈が直ると、縁の下に住み着いた野良犬の親子を追い出してもらった。

「もし死なれでもしたら、気持ち悪いだろう? おとっつぁんが死んでから男手がなくて、いろいろ不便なことが多いんだ」

 累にしては精一杯の媚態だった。

 できればこの男を家に引き留めて夫婦めおとになりたい。

 累は焦燥にも似た気持ちで、強くそう思った。

 谷五郎はそうとも知らず、気軽に引き受けて野良犬を追い出し、次々と頼まれる仕事をこなしていったのだった。

 その年の夏の終わり。羽生村に流行病が蔓延した。累は至って頑健なたちだったので平気だったが、奉公人と谷五郎が高熱を出して寝込んでしまった。

 累は看病に追われた。普段は奉公人に親切とは言えない累も、誠心誠意看病した。それはもちろん谷五郎の目があるからだ。だから谷五郎にはこれ以上ないほどに、あれやこれやと心を尽くしたのだった。

 半月もすると奉公人は、もとの仕事に戻り普段通りの生活を送っていた。谷五郎だけはまだ寝たり起きたりだった。それは累が、病は治りかけの養生が大切だと言ってなにもさせなかったからだ。

 残暑は厳しかった。それを口実にいつまでも谷五郎をぶらぶらさせておいた。

 その日も谷五郎は寝間着のまま、囲炉裏端でぼんやりしていた。

「谷五郎さん、瓜が冷えましたからどうぞ」

 累は井戸で冷やした瓜を手渡した。

 瓜にかぶりつき、谷五郎は「うまい」と笑みを累に向けた。

「累さんは優しい人だなあ」

 しみじみとそんなことを言う。

「あたしはそんなこと言われたのは初めてだよ」

「そうなのかい?」

 谷五郎が驚いたように言う。

「この村の連中は人を見る目がないのさ。江戸じゃあ累さんのような人は珍しいくらいだよ」

 江戸は生き馬の目を抜くというから、人の心も荒んでいるのかもしれない。

 自分だって別の村に生まれていれば、もっと人に優しくできたかもしれない。

 累はこれまでの我が身を振り返った。物心つく頃には、すでに父親に疎まれているのを感じていた。自然に奉公人からも嫌われ、馬鹿にされることになった。村中の人から嫌われるのはなぜなのか、かなり大きくなるまではわからなかった。結局は父の与右衛門が金貸しをしてあくどい取り立てをしているからだった。その上、名主と共謀して入会地の茸をほとんど私有物のようにしているからだ。

 自分の容貌のことは知っている。だからこそ誰も彼もが累のことを嫌うのだと思っている。谷五郎もまた、他の男たちと同じように累を嫌うかもしれないと恐れていたが、「そうなのかい?」と累に向けた目は、これまで経験したことのない優しさがあるように感じた。

『この人は他の人とは違う。あたしのことを好いてくれるかもしれない』

 累の心はかつてないほどにときめき、期待に胸が膨らむのだった。 

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