霜枯れ時の夜

 何となく眠りにつけずに、床を抜け出してしまった。

 他にすることもないので、文机ふづくえに向かう。


 筆に墨をつけ文をしたためていると、障子から、月明かりがほんのりと溢れていることに気が付いた。



 そうか、今日は満月なのか。



 冬の寒さが、布団でぬくまっていた身体にジンジンと染み渡る。手がかじかんで、小刻みに震える。

 灰ばかりの火鉢が、そんな私を見つめていた。


 大きな欠伸あくびをひとつ。

 持つ筆の字が汚い。


「こんな時間に起きているのは、宮中内で私くらいだろうな」

とかどうでも良いことを考えながら、日記をしたためる。



 古い記憶の片隅に、思い出だけが残雪みたいに消えない。あなたは消えてしまったのに。



 ふと、頭に「霜枯れ時」という言葉が浮かんだ。確か、丁度今頃のことを指す言葉。

 あの人が愛していた季節の言葉。



 あの人は、ものの区別もつかない私に、こんな綺麗な名前を教えてくれた。



 彼はいつも、その両の黒漆こくしつまなこでどこか遠い所を眺めていた。

「何を見ているの?」

 私が尋ねても、ただはにかんで黙っているだけ。


 夜の縁側に一人座って待っていると、いつの間にか彼は隣にいた。

 でも、朝になると必ず去ってしまう。


 私は、彼の手が好きだった。

 万物を創造する指先。

 頭を撫でてくれる大きな手の平。

 ひんやりと、どこか冷気を帯びている手の甲。


 彼は何でも知っていた。

 ものの読み書き、縫い物の仕方、琴の弾き方、遠い国の言語、その年の冬の日の終わりまで、全てを。



 あぁ、いっそ太陽になれたらいいのに。

 そうすれば彼と永遠に一緒にいられるのに。


 …頭の足りない私では無理だ。






 雪は、未だにしんしんと降り積もっていた。

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