下町侵略日記～異世界は虎視眈々と手ぐすね引いてきみが堕ちてくるのを待っている～

プロローグ

凱歌が聞えて来た

　北方より、不穏の影が中央王国を覆い尽くそうとしていた。

　度々国境を侵し、幾たびも辺境を脅かしていた魔王軍であった。

　だがついに、その牙を剥いて本格的な侵攻を開始したのである。

　おびただしい数の魔物や魔族が雪崩うって領邦内に攻め込み、人々を蹂躙していった。

　辺境軍は果敢に闘ったが多勢に無勢。

　蹴散らされ撤退を余儀なくされた。

　難民を引き連れ辺境随一の要害に逃げ込み防戦するその一方、侵攻と同時に発った救援を乞う早馬が駆けた。

　本来ならば周辺領邦と連携をとって外敵と立ち向かい、本国からの援軍を待つという手筈であった。

　だが、頼みの僚友は魔王軍の軍勢で個々に分断され連絡すらもままならなかった。

　辺境領邦は完全に孤立していたのである。

　救援を請う伝令は本国へと駆ける。

　眠る間も惜しみ昼夜を問わず地を走り、馬を代え、三日三晩の後に王都に危急を告げた。

　使者は役目を終えた途端崩れ落ち、その場で息絶えたという。

　直ぐさま軍が編成されて侵略者を討たんと即応軍が出陣する。

　必要最小限の救援物資の運搬と、本軍が到着までの時間を稼ぐ為の足止め役であった。

　だがその中には、当代随一と謳われる中央王国の勇者が居た。

　かくして魔王軍と真っ向両面、戦いの火蓋は切って落とされ、その内容は凄惨を極めた。

　押しては攻め、引いては守り、力押しか思えばその一方で狡猾な罠を張り巡らして王国軍を苦しめた。

　だが先の見えなかった長い闘いにも終止符は打たれる。

　精強なる中央王国の勇士たち。

　徐々に魔物や魔族共を圧倒し、魔族領へと押し返して更に追い詰めていった。

　もう二度とかような悪行を働けぬように。

　そして人々が安心して暮らせる平穏な国を取り戻す為に。

　国王からの号令一下、魔王に止めを刺すと皆が心に誓っていたからだ。

　勇者を筆頭とした王国の精兵が魔王城の門を破って攻め入った。魔王の側近を討ち果たし、あるいは無力化して魔王に迫った。

　魔王城の中枢にある「深淵の壺」、それは魔物を生み出し召喚する、正に悪魔の胎といって良い邪悪の根源であった。

　魔王の力の源そのものであった。

　これを破壊せねば、たとい当代の魔王が滅んだとて生き残った魔王軍の残党、或いは悪しき何者かの手によって新たな魔王が呼び出されるやも知れない。

　諸悪の元凶がある限り人々の安寧は訪れないのだ。

　憂いは全て跡形もなく消し去る必要があった。

　壺が安置された大広間で最後の闘いが繰り広げられた。

　恐るべき魔王の力で勇者の仲間が一人、また一人と倒されてゆく。

　もう勇者に付き従っていた者たちは全て地に伏し、或いは消え去っていった。

　勇者が手にする剣の刃はこぼれ防具は砕け、満身創痍であった。

　だがしかしその目に宿る決意は消えない。

　その膝が屈することはない。何があろうともだ。

　その双肩には、王国に住む者たち全ての希望と願いとが掛かっているからだ。

　裂帛の気勢と共に、乾坤一擲の剣戟が煌（きら）めく。

　勇者の剣は遂に魔王を貫き、その背後に座する壺をも破壊した。

　大音声の破壊音と、城そのものを揺り動かす地揺れとが辺りを破壊し尽くしてゆく。

　城の中で闘っていた兵士達が大慌てで退却を始め、次々と城の外へと逃げ出していった。

　その中には恰幅のよい戦士に背負われて、辛くも脱出を果たした傷だらけの勇者の姿もあった。

　魔王城を望むことが出来る丘まで逃げ延びることが出来た者たちは、崩れ落ちる城の有様を目の当たりにすることになった。

　尖塔が折れ塀が崩れ、全てが瓦礫の山へと変貌してゆく。

　その一部始終を眺めながら勇者は戦士の背中で呟いた。

　「ようやく終わった」と。

　悪は滅び平穏な時代が訪れる。これは新たな夜明けなのだ。

　確かに此（こ）の世には善良で誠実な者たちばかりではない。

　悪行に手を染める者はこれから絶えず出て来るであろうし、その種に事欠くこともまたあるまい。

　魔物や魔族が全て失せた訳でもなく、それら全ての諸悪がもたらす不幸に落涙する者も居るだろう。

　良き世の中というものは一朝一夕で為し得ることではない。

　だがしかし、人の世を否定する忌まわしきその根源は滅することが出来たのだ。

　これからは光と希望に満ちた素晴らしき日々に向けて歩いて行ける。

　驕（おご）らず迷わず諦（あきら）めず、たゆまぬ努力と揺るがぬ信仰とが必要だ。

　誠実真摯に日々を重ねてゆけば、全ては良い方向に向っていくに違いない。

　さすれば祝福が世界を包むのは、きっとそう遠い未来ではないだろう。

　其処（そこ）に居る全ての者がそう信じて疑わなかった。

　ひどく遠くから凱歌が聞えて来た。