通学路②

 ユウマは陽鞠と並んで通学路を歩いた。


 歩きながら話すのは、とりとめのないことばかり。陽鞠は喋り好きで、ユウマはそれを聞いているのが好きだった。人の話を聞くのは元々好きな方だが、その相手が陽鞠であれば楽しくないということなどあり得ない。


「──それでね、藤崎さんバイトの途中で寝ちゃったんだって。びっくりだよね。そう、商店街の喫茶店。バイト先のおかみさん、親切だけど仕事にはすっごく厳しい人だっていつも言ってたから、『すごく怒られたんじゃない?』って聞いたんだけど、『全然』って。むしろどこか具合が悪いんじゃないかって心配してくれたんだって。私、前に友達と『藤崎さんの働いてるところ見学しよ~』ってなって、みんなでお店に行ったんだけど、ちょっと怖そうな人だなって……うん、おかみさん。でも本当は優しい人だったんだね。そうそうそれで、藤崎さん、寝てる間、変な夢を見たらしくって、それが──」


 花が咲くように話す陽鞠の言葉を聞きながら歩くユウマの足取りは軽やかだった。


 今日は半ば諦めていたのに、こうして陽鞠と一緒に学校に行けることになった。それに──ユウマは横で楽しそうに喋っている陽鞠の顔をちらと見た──ちょっとだけ前より距離が縮まったと思っても、きっと思い上がりではないと思う。


 こうなってくるとすべてがよいきざしのように感じられた。天気もいいし、風も穏やか。今日はすごくいい日になりそうだ。


 その人物に気づいたのは、陽鞠の方が先だった。


「あれ? あの子」


 陽鞠がそう言ったのにつられて前の方に意識を向けると、少し先の十字路から出てきたらしいロングスカートの女の子が目についた。くせっ毛のショートボブにバンダナを巻いてとナチュラル系のショップ店員みたいな格好をしているが、目つきはやけに鋭い。歩き方も横柄だ。


 向こうもこちらが気づいたことに気づいたらしく、気さくな感じに手を挙げた。


「よう、いいところで会ったな」


 にこにこ顔で声をかけてきたエンジュとは対象的に、ユウマの表情は固まっていた。いいところで会ったもなにもない。何の理由もなしにエンジュが朝の散歩なんてするタイプではないことは知っているし、なにより笑顔がいけなかった。エンジュがにこにこしているのは大抵、何か厄介ごとを持ち込もうとしているときだ。


 なんとか素通りできないものか考えるも、いい方法は思いつかない。


「おはようございます」


 ユウマが返事をしないのを見かねてか、二人の顔を交互に見ていた陽鞠がエンジュに声をかけた。背が低いエンジュに目線を合わせようと少しかがんで、まるで小学生に話しかけているみたいな格好だった。


「たしか葛折つづらおりさん……だったよね。黒江くんの親戚の」

「おう。そういうあんたは桜町っつったっけ。悪いけど、こいつ借りてっていい?」

「え。借りる……?」

「ごめんちょっと」


 ユウマは一言断って、エンジュの手を取った。何を言われたのか飲み込めず不思議そうにしている陽鞠を背に、少し離れた郵便ポストの影にエンジュを引っぱり込む。


「なにしに来たんだよ」


 ユウマは抑え気味の声で聞いた。


「なにしに来たはねーだろ。少しは愛想ってもんがねえのか」

「プライベートは邪魔しない約束だろ」

「別に邪魔するつもりはねえよ。ただちょっと仕事を手伝ってもらいに来ただけだって」

「今日は平日なんだよ」

「知ってるよ」

「僕はこれから学校に行かなきゃならない。何故なら僕は高校生だから」

「中学生には見えねーから安心しろ」

「放課後でいいならいくらでも手伝うから」

「あの話、覚えてるよな」


 エンジュは脈絡もなく言った。


「化け物殺して喉仏をえぐってるイカれたブッダ偏執狂マニアがいるっていう」


 ユウマは……少し間があってから頷いた。急な話題の変化に戸惑ったのでもなければ、その話を覚えていなかったのでもない。そう聞いたエンジュの表情からは、さっきまでのからかう調子が消えていた。


「あいつを見つける。それにはお前の悪だくみがいっぱい詰まった頭が必要だ」

「……人聞きの悪いことを言わないでよ。でも昨日、紅葉さんに首を突っ込むなって」

「んなもん無視に決まってんだろ」

「いや、エンジュもやる気なさそうだったから」

「あぁでも言わきゃ面倒くせえからな、あの女。仲間が何人もられてんだぞ、放っとけるわけねえだろ。それにその辺の事情はお前だって一緒だろ。化け物だけじゃなくて、お前らの仲間だってられてんだ」


 そう言うエンジュの目の奥には深い怒りがにじんでいたが、ユウマは何と答えることもできなかった。


 エンジュの言う〝ブッダマニア〟に殺された化け物たちがエンジュとどれだけ親しかったのかユウマは知らない。しかしきっと日頃からつるんでいた連中ではないだろう。もしかすると顔見知りというほどですらなかったかもしれない。彼らの連帯感はそれこそ人それぞれといったところのようだが、やはり身を変じて生きる者同士、仲間意識はあるらしく、ことエンジュにしてみれば〝身内も同然〟ということかもしれない。


 先日の路上殺人で犠牲になった女性──ユウマはその人のことを何も知らない。同じ国、同じ県、同じ市、ほとんど同じ地域に暮らしていて、顔も知らなければ、名前も彼女が生きているうちは知らなかった。そして不幸にも彼女がその命を奪われてしまったことがニュースになったとき、意識の端で申し訳程度の痛ましさを感じたかもしれなくても、〝仲間が殺られた〟とは思わなかった。


 彼女と僕は仲間なんだろうか──ユウマは考えた。広い意味ではそう言えなくもないのかもしれないが、お互いの人生に繋がりがない以上、仲間意識のようなものが存在していないのは当然に思えた。


 だけど……本当にそうなのか。ちょっとした所縁に繋がりを見出して時に身内同然にお節介をやこうとするエンジュほどではないにしても、機会があれば表出する仲間意識というものはきっと誰にでもある。何年か前に大きな災害があって、電気や水道が止まったり、大勢が避難所で夜を明かすことを余儀なくされたとき、普段はさしたる繋がりのない人たち同士の助け合いや親切というものがあった。身近な人以外の他者を外部化してしまえる暮らしの中で繋がりを失いつつあっても、誰かに気持ちを寄せる心の働きを消し切ることはできないでいる。


「被害者が人間だってのは」


 エンジュは穏やかに言った。


「何か手掛りになると思うんだよ。化け物殺しと違って証拠も多いだろうしな。だけど、殺された人間のことは何も知らねえし、どうしたもんか悩んでんだ。あんまり詳しくねえけど、日が経つほど難しくなんだろ? そういうの調べるのって」


 そう言われても、エンジュが殺された女性のことを知らないように、ユウマもこの事件のことをほとんど知らなかった。知ったところで、正直、何をどうすればいいか見当もつかない。


「……わかった、手伝うよ」


 それでもそう答えたのは、最近よく一緒にいるせいか、エンジュに交わって赤く染まってきているということなのかもしれない。


 ユウマの返事を聞いて、エンジュはすまなさそうに笑った。


「悪いな、好きな女と一緒のところ邪魔してよ」

「いや気にしてたのは学校のことだから! サボるのは後ろめたいなぁって思ってたんだよ!」

「そうムキになんなよ。学校くらいどうだっていいじゃねーか。もっと生きる力ってもんをよ、身に付けないとな」

「人間社会はいろいろ大変なんだよ……」


 陽鞠のところへ戻っていくユウマのうなだれた背中に、エンジュがからからと笑いかけた。

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