幕間:狭い部屋

 部屋は青い影に満ちていた。


 黄色い月明かりを拒むように閉ざされたカーテンの隙間から、僅かに入り込む光に薄く照らされた室内は、手狭だった。その床は雑多に物が置かれ、足の踏みどころを探すのも難しい。積み上げられた荷物や棚で壁もほとんど隠れているが、その隙間から見える壁面は異様だった。その異様さは壁から天井へと視線を移すと一層あからさまになる。紙の細長く切ったもの、おふだのようなそれが、あたり一面に貼り付けてあった。


 壁も天井も埋め尽くすおびただしい数の紙札かみふだには、墨で、何か装飾された記号のような文字のようなものが書かれてある。印刷された整ったものではない手書きの、ところによってはよれて傾き、ところによってはかすれた、不恰好でいびつな図柄だった。咒符じゅふであろうか、埋もれた床にまで貼りつめてあるその執拗さは、習俗化した伝統宗教のただの風習とは一線を画した行為であることが明らかだった。


 閉ざされた部屋の中は静まり返っている。隙間からかすかに出入りするほんのわずかな風通しを除いて、なにもかもが静止しているようだった。


 その空気を押し退けるように影が動いた。かき乱された空気の流れに漂うわずかなほこりが、窓から差し込む光の筋を横切って、チラチラときらめく。


〈消えない……〉


 影は、その手に摘んだものを光に透かして、じっと見つめた。

 人指し指を余らせて、親指と中指で摘まれているのは、小さな袋だった。ポリエチレン製のチャックの付いた透明の袋。その中には白い輪のようなものが入っている。


〈やっぱり消えない……〉


 影は手の向きを変え、めつすがめつ何度も確かめるように小袋を眺めた。


 今まではこんなことはなかった。はじめはしばらく待てばそのうちとも思ったが、やはり消えない。明日になれば……次の日には……それがもう何日も続いていた。


〈あいつは確かに化け物だった……なのにどうして〉


 やがて影は手を下ろした。身をかがめ、そのままゆっくりと立ち上がる。頭が光の筋をさえぎり、下あごが照らし出される。歯並びのよい口元は横広く引きつらされ、こらえようとしてもこらえきれず息を漏らすように、笑いがこぼれてきた。


 暗い部屋に愉快げな声が染み入っていく。


〈確かめなければ〉


 影は天を仰いだ。しかしその目は天井を見ていなかった。何も見てはいない。焦点は宙に浮き、瞳孔はあらぬ方向を向いていた。自分の思いつきに夢中になっているようだった。


〈確かめなければ……そのためには、もっと……〉


 荷物にあふれ、あたり一面に咒符じゅふが貼りつめられたその部屋で、影は一人笑みをこぼし続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る