第九章:魔羅螻蛄
第一幕 課せられた使命
炎々と燃え盛る炎の中に立つ魔羅螻蛄に、シヅルとシロクは揃って刀を構える。
「シヅル……ここは最深部じゃないんだ。封印するとなれば、代償が大きすぎる」
シロクがお互いにしか聞こえない程度の声で横のシヅルに言えば、シヅルは前を見据えたまま「わかっている」とだけ答える。聖霊山は最深部のみで加護が発動するとされ、それ以外の場所で儀式をするとなれば、当然その負担を施行者が全て背負わなければならなくなる。
二人の様子を眺めていた魔羅螻蛄が、口角を上げて言う。
「ふむ、聖霊山に来たという事は……大方この男の呪詛をどうにかするという名目を取り繕っていたか? だが残念、最深部には行かせぬ。呪詛を解かれでもしたらせっかくの住処がなくなってしまうではないか」
けらけらと笑う魔羅螻蛄の姿を瞳に映したまま、シヅルが静かな声で問い返す。
「……なぜ貴様は、朧介殿を宿主にした」
「んー? 今しがた焼き殺してしまった祓屋が言うておった通りだ。激戦地だった孤島上空を通過した時にたまたま見つけてのぉ。人の子の癖に呪い臭く、居心地が良さそうじゃったからじゃ。こやつはあの戦場で呪詛を抱えているにも関わらず『生きてやろう』としておった。生きて、報復してやろうと……恨みの念をも宿しておったからなぁ。そんな好物件を見つけてみすみす逃すなんぞあるはずなかろう? 核さえこやつに隠しておけば、あとは妾は体だけで自由に日本中を飛び回れるからのぉ」
魔羅螻蛄の言葉に、シヅルが睨みつける。
「朧介殿の人生を弄んだ罪は重いぞ」
「弄ぶ? 失礼な。妾は間借りしていたにすぎぬ。ああ、だが……こやつに呪詛の発作が起きた時は少々体を乗っ取らせてもらって人を襲いはしたのぉ。手始めにこやつの故郷で乗っ取った時は具合が良すぎて笑いが出たぞ。直接手を下して食う魂は美味いんじゃ。腐っても妖怪であるなら、貴様たちにもわかろう?」
袖口で口元を隠して細めた目だけで笑う。その時の光景を思い出しているのか、どこかうっとりとした目で足元に転がる朧介のそばにしゃがみ込み、顔を覗き込む。霞む視界で爛々と輝く赤い瞳が歪んだ笑みを浮かべていた。真っ赤に避けた唇を舌でゆっくりと、まるで品定めをしているかのように舐る。
「雪田朧介。お前はその呪詛が災いを呼ぶと思っていただろうが……本当はそれだけじゃない。妾の核がお前の心臓と一体化していたせいでもあったのさ。お前の魂の陰に隠れていたから、あの柊衆ですら気がつかなかったようだがなぁ。所詮は人間よ」
さっきまで酔がいた場所に、おおよそ人の形と見て取れる跡だけが残っている。それを立ち上がった魔羅螻蛄が足でかき消していく。雨で柔らかくなった土が魔羅螻蛄の炎によって一気に乾燥し、粉になって宙に舞った。
「時に免妖、貴様こそ……なぜこの男に執着する? こんな男がどうなろうと、貴様には関係もあるまい。ましてや死んだとしても、どうだってよかろうに」
「貴様に教える義理はない」
「おお、こわいこわい」
まるで揶揄うような、小馬鹿にするような声色で、魔羅螻蛄が言った。
***
頭上から降ってくる声を、朧介は不明瞭になった思考で聞いていた。
やはり、あの戦場で見た影……あれが魔羅螻蛄だったのだ。自らに根付いた呪いは、結局災厄を体の中に招き入れたということになる。それはシヅル達が畏怖していた事態ではなかったか。
魔羅螻蛄が、今度は手ではなく足で朧介の頭をぐいっと押し上げた。首が反り上がって顔が上がる。ぼんやりとした視界の先に、シヅル達の姿が見える。
「のぉ、朧介? お前も気になるよなぁ。どうしてここまで肩入れしてくるのか」
ふと、思った。
そもそも、シヅル達免妖は魔羅螻蛄の存在を感じ取っていたのだろうか。祓屋である酔はあれで人間であったがゆえに、朧介の呪詛に混ざった厄妖の気配を感じとることが出来なかったと、魔羅螻蛄自身がそう言った。
では、妖怪であり免妖である彼女達は……どうだったのか――。
「シヅル、は……こいつ、の……事を……ッ」
知っていたのか、という言葉まで音にならない。最後まで口にする前に、魔羅螻蛄が朧介の頭を強く蹴り飛ばした。横に大きく飛ばされて、脳がぐわんぐわんと揺れる。痛みよりも気持ち悪さが勝って、思わず胃液を吐き出してしまう。
魔羅螻蛄が朧介につかつかと歩み寄り、ぐったりしたところを頭を鷲掴みにして持ち上げる。耳元で、大きく裂けた口が愉快そうに笑った。
「そうよなぁ? 気になるよのぉ? 優しい妾が、哀れなお前に教えてやろう」
耳のすぐそばで、冷たい声で魔羅螻蛄が言う。長く鋭利な指を立て、シヅルを指さした。
「その女は――免妖達は、本当はお前の呪詛を解呪するためなんかじゃなく、妾を――魔羅螻蛄を確実に討伐するためにお前について回っていたのさ。お前に憑りつき、核を隠していたこの、妾をだ」
「違う‼」咄嗟にシヅルの声が飛ぶ。
「違わないだろ?」被せるようにして魔羅螻蛄が言い返す。
「そもそも免妖は、厄妖を取り締まるために山本の爺が組織させた存在だ。ゆえに他の奴等では気がつけない妾の気配を当然察知していたはずだからなぁ」
ぐいっと頭を掴む手に力を込めて、食い破らんと言わんばかりに顔を近づける。
「ずっと知っていながらお前のそばにいたのだ。お前の呪詛をどうにかしてやりたいと、さもそれらしい嘘までついて……なぁ?」
「それは違う‼」
「違わないね!
叫んだ魔羅螻蛄が、鷲掴みにした朧介の顔を地面に叩きつけた。炎に焼かれた砂と、まだ辛うじてぬかるんだままの泥が入り混じって鼻から口からと体内に侵入してくる。反射で激しくむせ返れば、わずかに喉の奥に血の味を感じた。
(最初から……シヅル達は、知っていたのか)
地面に伏せった暗闇で、朧介はシヅルの顔を思い浮かべた。免妖が妖怪界の警察のような立場なら、魔羅螻蛄の言う通り、最初から朧介の中に隠された核の存在に気が付いていてもおかしくはない。知っていて……本当はその核を潰す隙を伺っていたというのか。
いつだったか一目蓮が言っていた言葉が蘇ってくる。
――核と本体を同時に叩くか、もしくは隠された核を見つけて刺し潰すか。
それが魔羅螻蛄を討伐するための手立てなのだとしたら、シヅル達は最初から朧介もろとも殺してしまうつもりだったという事になる。核を潰すというのが絶対条件ならば、即ちこの体ごと貫くということだ。朧介の体内に宿っている以上、それは免れない。
そもそも、突然現れた免妖がどうして見ず知らずの朧介の解呪を請け負ってくれるというのだろうか。ありえない。最初から、朧介を核ごと葬るための方便だったのかもしれない。シロクと連れだって油断させ、最後にこの聖霊山で魔羅螻蛄と共に葬るつもりだったのかもしれないと疑心の心が芽生え、それがまるで当たっていると言わんばかりに心臓をせかす。
どくどく、どくどく。耳のすぐそばで心臓が騒ぐ。
うるさい、黙れ、最初から死を望まれていたのなら、今さら悲しむ必要なんかない。
村でも、戦場でも、いつだってそうだったじゃないか。
それが当たり前だったはずだのに、なぜ今になってしこりを感じる――。
「……――っ」
……ふと、花が舞うような、優しい匂いが体の奥で蘇った気がした。
シヅルの顔が浮かんだ。いつでも穏やかに、まるで花のように笑う少女は、朧介にどう接してくれていたか。
真っ白な肌を傷つけた時ですら、彼女は自らよりも朧介の命を案じた。温泉で、俺なんか殺した方がいいと自ら進言した時でさえ、彼女は「私が守る」と……朧介に対して生きて欲しいとその思いを口にしていた。
そして、先刻……酔を殺そうとした朧介を止めた時の言葉……。
あの言葉や行動が、すべて嘘であったとは到底思えない。
だが嘘ではなくても、きっとシヅルとシロクに魔羅螻蛄を討伐する使命があるのは本当だろう。そしてそれを全うできなければ、恐らく免妖もこの世に存在する妖も人間も……全て魔羅螻蛄に命を取られることになる。
魔羅螻蛄を討伐しなければ、未来はない。だが魔羅螻蛄を討伐するとなれば、朧介の体の中の核を潰さなければならない。
(天秤に、かけさせてはいけない……)
大勢の人の未来と、雪田朧介という一個人の未来。免妖である彼女達がどちらを優先すべきか、そんなの考えるまでもない。だがシヅル達はそれでもきっと――。
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