第五幕 操蟲

「………ッ!」

 切られた胸からは鮮血が滲むが、そのまま朧介を取り押さえるようにして床に二人して倒れこむ。

「朧介殿……ッ目を覚まして……ッ‼」

 シヅルの呼び掛けも空しく、抵抗を続ける朧介がわずかな隙をついて右足を二人の間に差し込んで、そのままシヅルの体を蹴り飛ばした。胸の怪我も相極まって受け身を取りそこなったシヅルが部屋の隅に吹っ飛ばされる。

「シヅル!」

 窓際からシロクがシヅルに駆け寄ろうとするが、次の瞬間、それを見越していた酔が何やら術を唱えた。途端、とんでもない圧力が二人の上に降りかかり身動きが取れなくなる。その間にも朧介はゆっくりと上体を起こし、再び短刀を構えようとしている。

「妖にしか効かない縛術をかけました。免妖のお二方は、そこで大人しくしていなさい」

「……っ!」

 抜き身の短刀が、再び朧介の急所に向けられる。まるでスローモーションのようにその動きがゆっくりと映る――。

「シヅル、もう無理だ! 雪田朧介のことは諦めろ!」

「駄目だ!」

「!」

 シヅルの声に、シロクが驚いたように目を見開いた。その表情に、罪悪感が一気に押し寄せる。普段声を荒げることなどないのに、初めてシロクに対して声を荒げてしまったのだ。

 人の命は妖怪よりも儚い。時として諦めなければいけないことだってある。それを自分より長く免妖をやっているシロクは知っているのだろう。

 だからこそ、なるべく心の傷にならないようにと早々に判断してくれていたはずだ。


 ――シヅル、お前は雪田朧介に対して特別な事情を抱えているな。


 いつだったかシロクに言われた言葉が蘇る。彼は気がついていたのだ、シヅルの中にあるに。それに気がついているからこそ、簡単に諦められるものではないと、それもわかっていたはずだ。

 その彼が「諦めろ」と口にしたのだ。

「…………っ」

 下唇を噛みしめて眉間に皺を寄せる。

 自分は今任務よりも、己の我儘を優先している。その現実が目の前に立ちふさがるが、どうしてもここで朧介の命を投げ出すわけにはいかなかった。 

「シロク、すまない。それだけは……駄目だ……その人は、絶対に死なせない」

 今にも泣きだしそうな声で、だけどハッキリと言いきる。

「シヅル……」

 かつて、ここまで必死になっている姿をシロクは見たことがなかったのだろう。思わず黙り込んでしまえば、その静寂を破るかのように酔が声を飛ばす。

「せっかくだ。雪田が自分で首を切るのと同時に、体内の操虫に内側から皮膚を食い破らせましょうか。そうすれば、さすがに貴女も雪田の命に対して諦めがつくでしょう」

 酔が自身の左手を持ち上げて、そのまま口元へ指を二本立てた状態で持って行く。

「……やめろ」声が震えた。

 酔の眼が、鋭く朧介の姿を捉える。

 口が動き、操虫を動かす文言を唱えようとする――。

「――やめてぇ!」

 シヅルが叫んだ瞬間。

「おい!」

 部屋の隅の姿見鏡から、突如男が飛び出してきてそのまま酔の横っ面に一発拳をお見舞いした。衝撃で酔が部屋の襖を突き破って廊下へ吹っ飛ばされる。

 途端、術が解けたのか体が自由になり、朧介も短刀を取り落として再びその場に崩れ落ちた。虫の影響が弱まったのか、先ほどまでの人形の様な雰囲気は消え、顔を歪めて荒い呼吸を繰り返している。

「鏡から出てきた貴様……妖怪か? 私が縛術を展開している部屋に入ってきて動けるとはな」

 ゆらりと立ちあがった酔が、口の端から流れた血を拭いながら少し荒らんだ口調で問えば、鏡から現れた男はちらりと朧介を見た後、フッと笑って続けた。

「オレは半妖だからな。妖怪でも人間でもない、半端もんだから、あんたの術はオレには効かないぜ。祓屋の術はだいたい見て来たからそれなりに対処もわかってる」

 さぁどうする? これでやり合うか。と男が拳を作って構えて見せれば、酔が面白くなさそうに大きく顔を歪めた。

「……半妖が、生意気ですね。いいでしょう、ここはひとまず引いて差し上げましょう」

 半妖の男はおおよそ上背が酔と同じ程ある上に、肉付きこそ男の方が酔より秀でている。術抜きでは分が悪いと踏んだのか、酔は手から離れていた錫杖を拾い、それから一度朧介をじろりと見て目元を緩めた。

「まさか半妖まで雪田貴方の味方とはね。驚きましたよ。半妖対策をしてなかった私の負けです。だが、どうかお忘れなく。雪田朧介という人間の魂が置かれた状況は何も変わらない。せいぜい共に抗いなさい……免妖の諸君」

 それだけ言い残すと、次の瞬間には霧のようにスッと消えてしまった。後に残されたのは、襖や窓枠がなぎ倒された無残な和室。そして、朧介の体内の操虫――。


「朧介殿……」

 言いながら這うようにして畳に沈む朧介に近づくと、彼は意識こそ朧げだが、操虫による操作は解除されているらしく、ただ苦しそうに額に脂汗を浮かべてぜえぜえと息を繰り返すばかりだった。この体の異常は虫が体内にいる間は治らないはずだ。どうすればいいかと考える反面、虫を取り出さなければ朧介はいずれにせよ死んでしまうという答えも見えていた。

「シヅル落ち着け。さっき酔にぶっ飛ばされた時に、こっそり人避けの術は展開してある。だからこの騒ぎに人間は誰も気が付いていない。今は朧介の事だけを考えろ」

「わかってる……それは、わかっている」

 シロクには何もかも見透かされている。

 シヅルは小さく下唇を噛んだ。免妖である以上、必要以上に人間にこちらの世界の存在を悟られないように配慮しなければならないが、今回は気が動転してしまいそこまで頭が回っていなかった。シロクが人避けを展開してくれなければ、今頃大騒ぎになっていたに違いないと頭の片隅で思う。

「すまない、シロク……私は、どうかしている」

 言えば、シロクはゆるゆると首を振って答えた。

「……シヅルにとって朧介は特別なんだろ、仕方ないさ」

 それを離れた場所で見ていた男がのっそりと二人に近づいてきた。一瞬シロクが警戒するも、男は両手を顔の前に掲げて「敵じゃない、誓う」と一言添えてから朧介の傍に膝をついた。

「……貴方は?」見上げるようにして問う。

「シヅルさん、だったよな。俺は瀬戸鏡雅せときょうがという。貴女にとって雪田さんが特別なように、オレは焼ヶ野の茶屋で彼に恩があるんだ」

 ピクリと朧介が反応した。苦しそうに顔を歪めたまま、うっすらと開いた瞳で鏡雅を捉えたのか、「お前……あの時つまみ出された……」とそれだけを言って再び何かを堪えるようにギュッと目を閉じた。

「雪田さん、覚えていてくれて嬉しいよ。早速で悪いけど、オレがどうにかするからちょっと大人しくしていてくれ」

 言えば、鏡雅は朧介の体を仰向けにして横たえる。近くのシヅルに少し離れるように言ってから、朧介の体の上に馬乗りになるようにしてまたがった。

「おい、鏡雅殿何を……!」

「さっき言ったように、オレは半妖なんだ。母親は人間、そんで父親は……雲外鏡うんがいきょうだ。免妖のあんた達だったら存じているだろうが、要するに鏡の妖怪。ゆえに魂の半分が雲外鏡のオレは鏡の中を好きに移動出来る上に、物を透過してすり抜けることが出来る。だから、」

 言いながら鏡雅が朧介の胸に右手を当てて、ぐっと抑える。

「早い話、雪田さんの中に手を突っ込んで、虫を引っ張り出してやる!」

 ずぶりと、それまで胸の上にあった右手が一瞬のうちに朧介の体内に沈みこんだ。

「……っあ! ぅ……」

 朧介が苦しそうに体を仰け反らせながら喘ぎ、暴れようとする。それをシヅルは覆いかぶさるようにして抑えた。悲鳴を上げるように跳ねる体を抑えれば、その表情はとてつもなく苦しそうに歪み、このままだと窒息してしまうのではないかと錯覚しそうになる。

「悪い、雪田さん我慢して。もう少し……」

 ごそごそと弄る額には汗が浮かぶ。シヅルと鏡雅の様子を傍に立ってみていたシロクも、朧介のあまりの苦しみ様に見ていられなくなったのか、何やら呪文を唱えて鎮静術を展開したらしかった。そのおかげで朧介の藻掻きが弱くなる。

 次の瞬間、鏡雅が腕をずるりと引っこ抜けばそこには見たこともない――グネグネとした長い虫が握られていた。

「今だ! こいつを殺せ!」

 鏡雅が叫ぶのと同時に、シロクが錫杖を刀に持ち替えて一気に切り殺した。ジュっと何かが焼けるような音がして、鏡雅の手にあった虫がサラサラと灰になって消えていく。

「……ふぅ、間に合ったな」

 鏡雅が汗を拭いながらどかっとその場に尻もちをつけば、それまで苦しんでいた朧介は静かに寝息を立て始めていた。

「はぁ……まったく、一時は本当に駄目かと思った。今回ばかりは」

 でもよかったよ、そう言ったシロクをシヅルは見上げた。自然と強張った頬が安堵で緩む。ぱっくりと切れた胸からはじわりと赤が滲むが、不思議な事に痛みを感じない。

「……シヅル、痛むか」

 小さな声で問われ、ゆっくりと首を横に振る。

「いや、大丈夫だ。それよりも今回は本当に……」

 参ってしまったよと言えば、シロクもどこか疲れた表情で目を細めた。



「…………」

 そんな免妖達を、鏡雅もまた無言で見つめた後、今しがたまで朧介の体内を探っていた右手に視線を落とす。

 心なしか、指先が麻痺したようにぴりついているのは、彼の魂に触れかかったからだろうか。

(雪田さんは、人間だよな?)

 無言で朧介を、そして免妖の二人を再度見た。

 部外者である自分が、どこまで足を突っ込んでいいかわからない。

 それでも、彼の命を優先するならば、きっと共有しなければいけない事実もあるだろうと自らに言い聞かせた。


 魂に触れかかった手を、もう一度強く握りしめる。

 虫のほかにあった、あの気配。

 あれはきっと、彼にとって良くないものだと直感が告げていた。

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