第二章:雪田朧介

第一幕 生贄

 幼い頃、雪田朧介は、本州中腹に位置するとある県の山の麓で生活していた。

 物心ついた時には父の存在はなく、母親と二人で暮らす日々。母は女手一つで朧介を育てるために、毎日朝から晩まで様々な職に手を出して働いていた。

 朧介は朧介で、同じ年ごろの子供が村にいなかったこともあり、一人で山の奥にある小さな神社に行っては、そこでひとり遊びをしていた。

 木の実を集めて磨いてみたり、書物を読んでみたり、昼寝をしてみたり。神社の境内には不思議と人は誰もおらず、だというのに時折感じる何かの気配を探し求めるのもまた好きだった。

 視界の隅に映る白い光、何処かから覗き込む視線達――きっとこの神社には、人ではない何かがいる。そう思うと心が躍り、一人でも寂しくなかったのだ。

 間もなくして、母が体を壊し床に臥せるようになると、朧介は神社に行っては母の健康を祈願するようになる。十三歳頃の事だ。人こそいない神社だが、ここには人ではない何かがいると思えていたため、もしかすると母を助けてくれるかもしれないという淡い期待を胸に、時には母が請け負っていた内職の仕事を本殿に持ちこんで、そこでただそれをこなしたりしていた。神に対して無礼だったかもしれないが、朧介にとってその神社は秘密基地であり、もう一つの居場所でもあった。


 だがある時、近くで原因不明の山火事が発生――朧介の村がある山にもその火事は足を延ばし、村人は恐れ戦いた。どうすれば村を火災から守る事が出来るかで皆が慌てる中、朧介だけが山の中に入り、あの神社に走った。

 辿り着いたときには神社の境内に火の手が回り、本殿が燃えて大きく傾き始めていた。

(ご神体……!)

 本殿は無理でも、せめてご神体だけは助け出さなければ。その一心で朧介は燃える本殿の中に飛び込んだ。息をすれば喉が焼けそうな熱さに思わず怯みそうになるが、着流しの袖口で口元を抑えて懸命に奥へ進む。

 やがて倒れ掛かった柱の奥にご神体の姿を確認すれば、朧介は足早に歩み寄り、そのご神体に手を伸ばした。子供の身長で届くギリギリの位置にあるそれを何とか掴み取った時、崩れかけていた本殿の天井が崩壊。朧介はご神体を庇うように胸に抱いたまま、天井の下敷きになってしまった。脱出しなければ死ぬ。今ここで死ねば、ご神体も燃えてしまう。

 燃える木材を受けた背中が焼ける。叫びだしそうになる激痛に耐えながら、子供ゆえに体が小さかったことが幸いし、なんとか天井の下から命からがら這い出した。

 そのままよたよたと村まで戻り、家に辿りついた所で床に倒れた。頭上から必死に呼びかける母の声を最後に、朧介はそこから数か月目を覚ますことはなかった。


             ***


 数か月後、火傷の後遺症でずっと寝込んでいた朧介がようやく目を覚ませば、見覚えのない地下牢に繋がれていた。何が起きたのかわからず、見張り役であろう村人に問いかければ、男は一度牢から姿を消し、やがて村長を連れて戻ってきた。村長は子供である朧介に対しても至極丁寧に事の成り行きを説明してくれた。

 いわく、数か月前の山火事で村は大きな被害を受けた。加えて、段々と世界情勢の雲行きが怪しくなっているこの御時世、この先いつまた先の大戦のような戦が起き、その戦火が村に降りかかってくるかわからない。戦災、そして災害……これらすべての災厄を退け、村を安泰させるにはと優秀な術師に相談すれば、願抱という方法を教え込まれたと。

 そしてその願抱の呪法とは、長きにわたり贄となる人間の体に呪いと願いを刻み込み、その人間を死滅させることで、命と引き換えに願いを叶えるというものだった。

 理解が追い付かず言葉を失った朧介に、村長は静かに言う。

「雪田の倅よ。お前の背中のたいそうな火傷の跡はこの先ずっとお前を苦しめる。生きていても辛いだけだろう。ならば、村のため、そしてこの村で暮らすお前の母親をあらゆる災厄から守るために、どうか贄になってくれ」

 それが村人全員の願い。もちろんお前の母もそれを望み、同意した。

 村長が言った言葉を疑う余裕もなく、ただ「母のため」という言葉だけが、まともな状態ではない脳みその中で嫌に響いた。

 手と足は冷たい鎖で繋がれ、鉄格子の中に飼われていると言っても過言ではない状態の自分を俯瞰し、ああ、逃げられないのだと……そう悟った。


 それから、二十三歳になるまでの約十年間……雪田朧介は地下牢に繋がれたまま、ありとあらゆる儀式、そして折檻を受け続けた。その間外部との接触は一切なく、毎日のように鞭で叩かれ続けた背中は酷く傷だらけになった。火傷を負った傷跡の上に引き攣れが生じ、朧介の背中は到底人に見せられるものではなくなっていた。

 最初こそ自らに行われる仕打ちに、どう考えてもおかしいと反感を持っていた朧介だったが、日々繰り返される「お前は皆を生かすためにこうしてまじないを刻み、それを持ってやがて死ぬ」という暗示の元に、段々それがおかしい事だとは思わなくなっていった。自分が死ねば、誰かが助かる。自分だけが死ぬことで、何百人という村人の命が助かると言われ続け、いつしかそれが自分の使命なのだと思い込むようになった。

 十年後、数年前より始まっていた大戦の影がついに日本にも及び、朧介はついに村から軍へ引き渡されることになった。通常、自傷の痕や体に何かしらの不具合がある場合は徴兵は免れるのが一般的だったが、朧介に関しては村長が何か手を回したのだろうか、そういった理由で免れることはなく、むしろ軍に進んで引き渡されるような形となった。折檻は背中ばかりに行われていたこともあり、軍服を着てしまいさえすれば、傷は最初から無いように見えた。それすら、村人の計算だったのかもしれない。

「お前が戦地で死ぬことで、この村はようやく長きにわたる願抱を成就させ、災厄から守られる。この村と、お前の母のために死んでくれ」

 その言葉を背に受けながら、朧介は村から連れ出された。

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