第5話 見たくない君の世界
今日は、木曜日。お客さんがいないと、意味もなく、つい携帯をながめてしまう。もうそろそろ、水沢から連絡が来るのではないかと思って……。
「店員さん。何、ぼんやりしてるんですか?」
「あ……す、すみません」
不意に横から声をかけられて、動揺しながら、携帯を引っ込めると。
「すごい慌てぶり」
そこで笑っていたのは、大樹くんだった。
「びっくりした」
「あはは。家庭教師の給料、一週間早くもらえてさ。この前の取り置き、引き取りに来た」
「そっか。ちょっと待っててね」
ほっとして、わたしも笑った。
「これね。あ、さっきね、新入荷のCDもたくさん出したよ」
「えー。どうしよ。誘惑しないでよ」
大樹くんの弱った表情に、笑ってしまう。
「
「うん。この前のDJイベントでかけてる人がいて、教えてもらったんだよね。そのときに聴いた曲は、ジャズっぽくて、格好いい感じだったけど」
「『ジャズ・ア・ゴーゴー』かな。『ジャズる心』か」
そんな会話をしながら、商品を袋に詰める。こんなふうに、いつでも大樹くんは話しやすくて、友達になってもらえたことには感謝しかない。
「はい。お待たせしました。これ、おつり」
「あ、うん。ありがとう。で……あのさ、光ちゃん」
なんとなく、改まった口調の大樹くん。
「ん?」
「想のことだけど」
「ソウ……ああ、水沢?」
すっかり、仲良くなってしまったようだ。大樹くんまで、水沢と名前で呼び合うほど。
「想は、光ちゃんの元カレの友達だったっていうこと、なんだよね?」
「元カレの友達……うん。まあ」
複雑な思いはあるけれど、わざわざ、ここで否定したり、細かく説明したりすることもない。
「それが、どうかした?」
「あ、いや、で……実は、想のこと、昔から好きだったりとか、ないかなって」
「…………」
「わー、ごめん! 急に、立ち入ったこと聞いちゃって」
大樹くんが慌てふためいている。
「えっと……そういうふうに見えた?」
だめだな、と思う。今でも水沢に特別な感情を持っていることは、表に出さないようにしていたつもりだったのに。
「や、そういうわけでもないんだけどね。なんとなく、そういう可能性もあるかなーとか」
「ごめんなさい。大樹くんにまで気を遣わせて」
普通に、不自然な空気を感じたのだろう。大樹くんなら信用できるし、変にごまかして話をこじらせるよりは、正直に言っておいた方がいいのかもしれない。
「たしかに、一回ふられてる」
「そっか……」
何かを考えている、大樹くん。
「でもね、それからは、水沢のバンドっていうか、音楽のただのファンみたいなものだから」
気にしないで、と言いきろうとしたとき。
「いたいた。光ちゃーん」
店のドアが開く音と同時に、桜ちゃんの声。なぜか、大樹くんが困った表情をしている。不思議に思いながら、桜ちゃんの方に視線を向けて、わたしは固まった。なぜなら、桜ちゃんの後ろにいたのは、颯斗くんと————。
「驚いた? 光ちゃんと
「…………」
多分、何も聞かされていなかった浅里さんは、わたし以上に驚いている。
「瑚子ちゃん、一昨日から、こっちに来てたんだよ。想くんが学校にいる間、一緒に遊んでたの」
「あの……ひさしぶり。髪伸びたね、浅里さん」
治療をきっかけに、ずっとショートにしているわたしとは反対に、ボーイッシュで中性的なイメージだった浅里さんは、綺麗なストレートのロングになっていた。改めて、時の流れを感じる。
「えっ? 待って。佐藤さん……だよね」
当然ながら、かなり混乱している、浅里さん。
「なんで、こんなところに佐藤さんがいるの? もしかして、想を追ってきたの?」
こんな状況、そう思われるのも無理はないのだけれど。
「いやいや、瑚子ちゃん」
とっさに何も返せずにいたわたしの代わりに、大樹くんが答えてくれる。
「想がこっちに来たのは、この春でしょ? 光ちゃんは、それより全然前から、こっちに住んでるから」
「あ……うん、そう。わたしも、水沢がこっちの大学に通ってたことは最近知って、すごくびっくりして」
嘘ではないし、何もやましいことはないけれど、後ろめたさを感じながら、わたしも説明した。
「むしろ、想くんが光ちゃんを追ってきてたりして?」
「桜ちゃん……! 桜ちゃんは、よけいなことを言わない」
続く、無邪気に笑う桜ちゃんと、それをたしなめる大樹くんのやり取りのあと、以前のような笑顔で浅里さんが口を開いた。
「ごめん。さっきのは、冗談。佐藤さんが元気そうで、よかった」
「うん……」
わたしと浅里さんは、わたしが水沢への想いを瀬名くんに吐露していたのを聞かれたのが最後。そんなふうに思わるのも無理はないから、まんざら冗談でもなかったはずだ。
「これからさ、想と合流して、この前の中華の店に行くんだけど、光ちゃんも来ない? 仕事終わったら。で、そのあとは、カラオケ」
「残念なんだけど、今日は……早く帰ってくるように言われてるから」
さすがに、颯斗くんの誘いに乗る勇気はなかった。ふと目が合った浅里さんが微妙な表情をしていたのも、きっと気のせいではない。
「そっかー。じゃあ、また報告に来るね。想くんがカラオケで何歌うか、光ちゃんも興味ない?」
「カラオケ……う、うん」
気が気ではない思いで相づちを打っていると、位置的にいちばん近くにいる大樹くんが、申し訳なさそうに肩をすくめていた。大樹くんは、わたしと浅里さんが鉢合わせしない方がいいのではないかとか、いろいろ考えてくれていたのだろう。
「瑚子ちゃん、明日帰るんだっけ?」
「ううん。明後日の朝。明日は、どこにも行かないで想の部屋でゆっくりしてるつもりだから、今日は何時になっても……」
「じゃあ、早速行こう! またね、光ちゃん。取り置き、ありがと」
桜ちゃんと浅里さんの会話を少々強引に遮って、大樹くんが桜ちゃんと颯斗くんの背中を押す。
「取り置きくらい、いつでもするよ。じゃあ、気をつけてね。水沢にもよろしく」
「おっけ。あ、光ちゃん。明日の夜とかは?」
「ほらほら、お客さんも来てるし。とりあえず、出ようって」
再び大樹くんが桜ちゃんを促し、慌ただしく店を出て行く、四人の後ろ姿を見送る。いつでも、見えなくなるまで手を振り続けてくれる桜ちゃんが行ってしまうと、息をついた。
明後日の朝に東京に戻るということは、浅里さんは水沢のお母さんと夜ちゃんとは入れ替わりになるということか。一昨日から明後日まで、浅里さんは水沢の部屋で生活しているわけだ。それは、かつて、夜ちゃんに聞いたときの状況とは全く違うに決まっていて、それを苦しいと思う自分がいる。
目を覚まさなければ、と思う。この数日間、認めたくなかったけれど、わたしは確実に恋の感情を思い出していた。誰とも恋なんかできる立場ではないのに。そう、目を覚ますのだ。思い知らされて、傷つく前に。
「あ……」
そこで、ちょうど、水沢からのLINEの着信があった。初めて、水沢が送ってくれたLINEは、それほど長くはないけれど、土曜日の待ち合わせ場所と時間の確認だけでなく、わたしの気持ちも気遣ってくれている丁寧さが伝わるものだった。
そんな水沢の心遣いには、『わかりました』とだけ短く答えて、あとは浅里さんのことを冷やかすような文面を送り返した。こんなことを伝えたいわけではない。でも、どうするのが正解なのかがわからないのは、わたしも同じなのだ。
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