第29話 決着、月子対祐希

「おおう、アレが噂の上段使いの子よ純」


「本当にやるんやねぇ。やっぱりカッコよかね見た目は」


 月子と祐希の試合。中断からの再開の際、祐希が上段の構えをとった時、新谷ひよりの姉である純は観客席にいた。


 元中央高校薙刀部でキャプテンを務めていた彼女。かつての仲間たちと連れ立って後輩たちの応援に訪れていた。


 月子と同じように彼女たちにとっても上段の構えは意外のようだった。


「クラブで佐々木先生に仕込まれてるだけあって、基本は出来てるしむしろ上手かとやけん、上段にこだわらんでよかとにね」


「江崎先生もよう許したね上段なんて。私現役時代公式戦で見た事ないかも」


「まあでそれもあの藤野って子の個性やし、無理に辞めさせてもね。それに聞いた話けどあの子上段使った試合は、割と勝ってきてるらしいからね中学時代」


「そいはすごかね!背も高かし同性の後輩にモテてるやろね〜」


 ワイワイと後輩をネタに話す一同。そんな中、一番真剣な顔で試合を眺めていた純がまた口を開く。


「ただ、狙ってるのかは分からないけど、おそらくあの畠山の西山って子は、教本みたいなオーソドックスな薙刀が、それこそ骨の髄まで染み込んでいるようなタイプ。薙刀歴も長そう」


 幼い頃から母親の指導のもと、薙刀の稽古と経験───それも言うなら王道のものを積んできた月子。純の洞察はかなり当たっていた。


「だから防御が上手くて、色々な技に対応できる………そんな“優等生”なあの子には、上段は活きると思う…けど、どっちもまだ1年かあ……!」


 純は現役時代さながらの鋭い視線を眼下の月子と祐希に送っていた。



(ほ、ホンマに上段の構えしてきた……しかし、やって来るって分かってたつもりやけど……普通にしとっても大きいのに…こう振りかぶられると……!)


 長身の祐希が石突を向けて薙刀を頭上で構えている。先ほどは笑っているように見えたが今は穏やかな顔つきだった。


 しかもその構え自体も大したもので悠然と薙刀を持ちながら月子を見下ろすその姿に、思わず圧倒されそうにもなる。


(実際目にすると、冗談とか言えへんな。なんかこう…猛獣が威嚇してるみたいな…)


 攻撃的な代わりに防御が薄い構えなのに、威圧感のせいか攻め込むイメージがわかない月子。


 祐希が少し前に来ると思わず同程度下がってしまう。そんな時、背後から明日香の声が飛んできた。


「月ちゃん!大丈夫です!落ち着いて!」


(明日香ちゃん…!)


 その声が砂に染み込む水のようにスーッと月子の耳から全身を流れていき、そのまま冷静になれるような錯覚を覚えた。


(………そや、なにビビっとんねん月子!それこそ藤野さんの思う壺やないか!)


 かぶりを振り、気圧されかけていた自分を鼓舞する。


(それに、昔お母さん言ってたやろ?変わった事、奇をてらったことをしてくる人への対処法は正攻法が一番やって!対抗して変わった事やったら負けやって!)


 奥歯を噛み締め眼前に立ち塞がるような祐希を見回す月子。


(確かにホンマに迫力はあるし、構えそのものは綺麗や……けど、頭以外はガラ空き!どこでも打てる!恐れる事はない!)


 むしろ均衡していた戦況の中で、判断ミスを冒してチャンスをくれた。そう思い直そうとしていた。


「……やっぱり出したねえ。まあ祐希といえば上段やもんね。西山もびっくりしとるかも」


「うん、しかも絶対内心ワクワクしてるよねユウちゃん!『ボクの上段の構えを、西山はどんな風に受けてくるだろう?』なんて」


 愛理が笑顔で評する。彼女もだが、祐希は強敵や難敵と対する時、怯んだり恐れたりする性格ではなく、むしろ喜ぶ性質たちだった。


(……行くで!)


 ふーっと息を吐く月子。祐希の上段の構えを迎え撃つ覚悟作戦も決まっていた。試合が動こうとしていた。


「いやああっ!!」


「おおっ!!」


 2人の気合いの入った掛け声が響く。先に動いたのは祐希だった。


「めぇぇぇんっ!」


「スネぇぇっ!」


 祐希が上段から踏み込み面を放ち、月子はその裏をとるべくガラ空きのスネを狙った。


 タイミングも完璧、動きの大きい祐希の面打ちよりも速く彼女のスネを打った───はずだった。


(は、速───!?)


 祐希の攻撃は月子が予想していたものよりも遥かに速かった。


 スパァンと二つの打突の音が重なる。ほとんど同時にお互いの面とスネが打たれた。月子は頭部に祐希は脚に強い衝撃を感じていたが、相打ちはどちらのポイントにもならない。


「……小手ェ!」


「スネっ!」


 旗が上がらなかったので、月子も祐希もすぐに次の攻撃に移行した。身を翻し相中段からの攻防。


 月子のスネ打ちを祐希が柄で防ぎ、切り返しの小手を薙刀のちょうど真ん中辺りで受ける月子。


 中距離での流れるような打突の応酬。薙刀を振るう風切り音と、木の床を踏みつける跫音と薙刀の炸裂音が絶え間なく響く。


(乱戦…というよりは、ユウちゃんも西山さんもしっかり打ってる…!時間が無いからって雑にはなってない)


 と愛理が心中で評するように、どちらかにポイントが入ってもおかしくない攻撃だったが、互いに防ぎ合いったり、身体に当たっても同時だったり浅かったりで入らない。


「西山ー!気持ちで負けんよ!時間なかし攻めて攻めて!」


「月子ちゃんがんばれー!一本いこう!」


「祐希!時間いっぱいいくよ!」


「ユウちゃん、足!足も使って!」


 一歩も引かない月子と祐希に、見守っている畠山と中央の仲間たちの応援も熱くなっている。


(速い、藤野さんは本当に速い…!けど絶対負けへん!)


(凄いよ西山!防御だけじゃなくて攻撃も上手いじゃないか!)



 熱闘は続いたが、勝者は決まらなかった。ビービーとブザーが響き2人は中央に戻される。


「どっちもポイントなしか…この場合どがんなっとね白川?」


「1分の延長戦を行い、それでも決まらなかったら旗判定です……それより、ドリンクの用意を!規定通りならここで給水を挟むはずですから」


 言われてひよりがストローのついたドリンクを握る。明日香の言う通り、水分をとる時間がある事を主審が告げて2人を下げる。


「西山!大丈夫か!?ほら、飲め飲め」


「月ちゃん……すごい汗…!」


 ストローから水分を吸い上げる月子の顔面には、玉のような汗がびっしりと浮き出ている。思えば今は6月、気温も高いが湿度も高い。


 絡みついてくるような暑さと不快さの中、防具を着込んで全力で戦っているのだから無理もなかった。


(延長がスタミナ勝負となると……短いとはいえ、引っ越しのドタバタで稽古をしていなかった時期のある月ちゃんがずっと薙刀をしていた祐希に比べて不利…?)


「んぐっ……大丈夫よこれぐらい。あっちでお母さんにイヤと言うほど鍛えられてるからね」


 明日香の不安を察したのか、笑う月子。しかし確実に表情から疲労は見て取れた。


「それに……疲れとるのはあちらもやろ…また上段を使ってきたら、絶対応じ技でカウンターとるから」


「よっしゃ!その意気よ西山」


 志穂が拳を握りしめて月子を鼓舞する。それに月子は同じように左手で拳を作って答えた。


「どがんね祐希、暑さでへばっとらんね?」


 一方中央高校陣営も同じように恵子が祐希にストロー付きの飲み物を差し出していた。


「……ぷはっ!大丈夫だよ恵子、ボクは平気。それよりも本当、西山って上手いよね!愛ちゃんとも榊原ともタイプが似てるけど違う…やってて楽しかよ。どがんすればあの防御を破れるのかな?とかさ」


 確かにどちらかと言うと、攻撃型の祐希と防御型の月子は薙刀が噛み合っているといえ

、それが試合の楽しさにつながってもいた。


「 そりゃあ良かったばいね……あちらさんはどがん思っとるか分からんけど」


「でも楽しんでる祐希ちゃんなら、本当疲れの心配はなさそうね」


 恵子と美咲、祐希と小学校からの付き合いの2人が安心した様子を見せた。


「…ユウちゃん、私ももうこの試合見てて欲求不満が溜まりまくってるからね?なんで私がコートにいないんだろうって」


 冗談のように言っているが、これは愛理の本音だった。ある種祐希以上に彼女は薙刀での勝負を楽しむ性格だからだ。


「ふふっ、じゃあもっと愛ちゃんを悔しがらせる試合ばしてくるね?試してみたいこともあるんだ」


 少年のように笑う祐希に、愛理は黙って拳を突き出すと彼女も同じように拳を作り合わせた。


 短い休息が終わり、2人が勝敗をつける場所──コートの中へと戻る。


「はじめぇっ!」


 短い延長戦が始まった。構えはどちらも中段。


「サアッ…こてぇっ!」


 時間がないこともあるのか、いきなり祐希が仕掛けた。左小手を狙ったものだったが、月子は落ち着いた様子で柄で防御した。


 応じ技を警戒して祐希が下がり、また間合いが切れる。牽制も含めた、間合いとタイミングの測り合い。


 とはいえ試合時間の少なさから、いつまでもはやっていられない。旗判定にもつれた時のためにも積極的にいく必要がある。


「スネえっ!」


「こてぇっ!」


 祐希と月子の動きが交差する。どちらも浅く旗は上がらないが、この攻撃は両者とも半ば織り込み済みだった。


(次が…ボクの本命!)



 打突の後身体を翻し、すかさず上段の構えをとる祐希とそれを中段で迎え討とうとする月子。


(やっぱり来た上段!それを待ってたんや!)


 祐希の打突のスピードは、先程で掴んだ感覚はあった。いかに速かろうとも、予測通りならば今度こそ応じ技で一本を取ってみせる自信が月子にはあった。


 上段からくる打突といえば、面か小手が大抵だ。どちらにせよ打たれる前に、祐希のスネを捉える。そのつもりで動いていた。


 ───しかし、後の先をとったつもりの月子は次の瞬間、想定外の展開に面食らう事となった。


(……えっ!?)


 スネを叩くべく動いているのに、その叩くべき祐希の足が来ていない。


(し、しまった!これは──!)


「フェイント……!」


 面の中の月子と同じくらいか、もしかしたら彼女以上に明日香は“やってしまった”顔を浮かべていた。


(そうだった…祐希は…………祐希は、上段の構えをフェイントに使う事もできる!前に一度榊原さんとの試合でやったのに…!伝え忘れていた!)


 痛恨の後悔。明日香の眼前で尊敬する2人の動きが、ゆっくりと見えるような気がしていた。


「…こてえっ!」


 わずかとはいえ、隙を晒してしまった月子もなんとかかわそうとしたが、絶好の機会を逃すほど祐希も甘くない。


 月子の右手首に祐希の薙刀が、無慈悲に上段から振り下ろされパシンと乾いた音を立てた。


「小手ありっ!」


 赤の旗が三本上がる。この上もない一本だった。月子が打たれたのは、かつて中学最後の全国大会で凛に打たれたのとは逆の小手だった。

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