35 対話へ

 首を傾げる吾郎くんに向かって、丁寧に言葉を選んで伝えていく。


「そう、外の世界。私から離れてみて、例えば他の人と仲良くお喋りしたり、お友達を作ったり、外には私以外の人間もいっぱいいるんだよってことを見てきて欲しいんだ」


 吾郎くんの紫眼が、食い入るように私の目を見つめ返してきた。


「今、吾郎くんの隣には私しかいない。私が見せている世界しか、吾郎くんは見てないし知らない。だからね、自分の目で見て色んなことを自分で知って、それでもここに戻ってきたいな、私といたいなって思えたら、その時は戻ってきていいよ」


 偉そうな言い方だ。お前は一体何様だ、そう思いながらも続けた。


「私はここで待ってるから。だから吾郎くんがもし戻って来たくなくなったら、それはそれで仕方ないと思うことにする」

「美空、僕はそんなこと思わない」


 首を横に振り、伝える。


「それは、外の世界に触れてからしか信じない」


 吾郎くんが、ハッと息を呑んだ。今この場で、吾郎くんの想いを受け入れるのは簡単だ。だけど、そうすればきっとずっと、私の中には燻ったものが残り続ける。この選択は本当に吾郎くんの為だったのかと。こんな私の傍で、吾郎くんは本当に満足しているのかと。


 そして、常に恐怖を抱えるだろう。彼がその後にふとしたきっかけで外の世界を知った時、そこに運命の番がいた時に、今度こそ私はここに置いていかれるんじゃないかと。


 そしていつかその日が来る時の為に、心の中に予防線を張り続け、いつそれが訪れても耐えることができるように、心の準備をしながら彼と過ごしていく。


 ……どんな地獄だ。


 そうだ。吾郎くんの為だと言いつつ、結局は自分の為だった。私はそういう卑怯な人間で、自分から人と関わらないことを選んだのに、吾郎くんにはそれを求める最低な人間だ。こんな人間なのに、吾郎くんは純粋だから好きだと言う。だけど、私は知っている。自分が如何に愚かで狡い人間なのかを。


 私だって、名雲さんと変わらない。自分のいいところだけを見せておいて、後でふとした瞬間に裏のどす黒いものを見られても、今更だから許してくれるよねと甘えるような卑怯者だから。


 だから、後戻りできなくなる前に吾郎くんには世界を知って欲しい。私なんて星の数ほどいる人間のひとりに過ぎないんだときちんと理解して欲しい。


 裏切られたと、こんな筈じゃなかったんだと言われたくないから。


「美空……」


 吾郎くんの手が、私の頬に触れる。滲んでしまった涙を親指で拭うと、吾郎くんはこくりと頷いてくれた。


「分かった。美空の言う通りにする」

「……ありがと、吾郎くん」


 それでも。


 外の世界にいる普通の明るい人たちと関わった上で、まだこの暗くて覇気のない私がいいと思ってくれたら、その時は。


 その時は、私もきちんと伝えよう。私も貴方のことが最初から好きでした、と――。


 私たちが、黙ったまま見つめ合っていると。


「……あのー、お話は終わりましたデスカ?」

「はっ」


 いつの間にか薄く開けられていた玄関の引き戸の隙間から、ウドさんが顔を覗かせている。一体どの時点から、私たちの会話を聞いていたのか。私の心配を他所に、ウドさんは感慨深げにうんうんと頷いている。


「なるほどデスネ。マンドラゴラの愛は情熱的ですからネ」


 ほぼ聞いていたようだ。それにしても、「マンドラゴラの愛は情熱的」? それじゃあまるで、ウドさんがマンドラゴラの愛を知っているような言い方じゃないか。チラリと吾郎くんを見ると、考え込むように眉間に皺を寄せている。


 それでも先程までの全拒否な態度とは違い、ウドさんを見る目からは警戒が少し薄れているように見えた。肩を落としている姿に罪悪感を覚える。だけど今は心を鬼にするべきだ。慰めてあげたい気持ちを必死で抑えた。


「ウドさん、貴方は一体……!」

「ですから、祈祷師ですネ」


 彫りが深いせいで眼窩が窪み一瞬睨んでいるようにも見えるけど、目の端は楽しそうに緩んでいる。どうやらこれで笑っているらしい。


「あ、ワタシの奥サマはマンドラゴラですネ」

「――は?」


 ウドさんは照れくさそうに頭を掻きながら、財布の中にあった一枚の写真を自慢げに見せてきた。ブロンドヘアの物凄い美人がウドさんにくっついている写真だ。肉感的で、色気の塊と言っても過言ではない。


「マ、マンドラゴラって女の人もいるんですか?」


 見た感じ、吾郎くんと同様あまりマンドラゴラ感はない。ただの普通の人間だ。


「マンドラゴラは、女性ですネ」

「え? でも吾郎くんは」


 思わず吾郎くんを見上げると、吾郎くんはあまりピンと来ていないのか、首を傾げているだけだ。ウドさんは続ける。


「そうなんデス! 男性のマンドラゴラは希少中の希少! 滅多にお目にかかることができないのデス! と言ってもワタシも奥サン以外のマンドラゴラはほぼ知りませんケド!」


 マンドラゴラ自体が希少だと思うけど、そこはあえて触れないでおくことにした。私が下手に口を挟むと、会話の流れが止まってしまうことはこの二十三年間で熟知している。


「そもそも何故ワタシがマンドラゴラの奥サマを捕まえたかという話、聞きたいデスカ?」


 ウドさんが、眼窩の奥にある青い目をキラリとさせて尋ねた。聞きたい。非常に興味がある。だけど吾郎くんはどうだろうか。吾郎くんを見上げると。


「――聞かせて欲しい」


 これまで難色を示していた吾郎くんが、真剣な面持ちでウドさんに向かって言った。

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