32 美空の過去

 我が家の敷地に駐車されている車の中を、目を凝らして見てみた。


 パッと見、車中には人影はないようだ。ナンバープレートを見ると、わナンバー。


「……レンタカー?」


 わざわざレンタカーを借りてまで、誰が何の用があってこんな僻地にまでやって来たのか。


 玄関の前にも人影はない。中にいた筈の人物は、一体どこへ消えてしまったのか。


 不審に思いながらも敷地内に入り、自転車をその場に立てかけた。ぐるりと辺りを見回してみる。やはり誰もいない。


 更に一歩踏み出そうとすると、吾郎くんが慌てた様子で私を背中に庇った。


「美空、前に出ちゃ駄目」

「いや、でも」


 ここで突っ立っても仕方がない。私は家に入りたいのだ。


「とりあえず、一旦荷物を家の中に運ぼうよ」

「美空、待って! ちょっとだけ待って、お願い」

「え? う、うん」


 吾郎くんは手に抱えていた荷物を地面に降ろすと、突然その場にしゃがみ込んだ。どうしたのかと思いつつ、子どもを見守る気持ちになって待つ。子どもの奇行を何でも事前に止めてしまうと消極的な子に育つかもしれないと読んだからだ。


 吾郎くんは両手を地面につくと、瞼を閉じる。じっとそのまま、微動だにしない。……本当に何をしているんだろう。


 吾郎くんの隣に、同じようにしゃがみ込んでみた。彼の手元を見てみる。


「……!」


 なんと、地面に触れた手のひらから出た根が、地面に向かって蠢いているじゃないか。他の木々と通信するだけでなく、自ら根を張ることもできるらしい。それとも、近くの草の力を借りているのか。


 私は興味津々で、目を閉じ何かを探っている風の吾郎くんの横顔を眺めた。やはり彼の顔は日本人には程遠く、肌の浅黒さも相まって、外国人にしか見えない。でも時折やけに彫りが深い日本人もいることにはいるので、ぎりぎり日本人と言えないこともないかもしれない。


 山崎吾郎という如何にも日本的な名前にしてしまったけど、やはり早まったかもしれない。吾郎くんは一切気にしていないみたいだけど。


 普段、私がこうやって吾郎くんをじっと見つめることは、今はもうない。例の妖しげな雰囲気になるのを避ける為だ。


 いくら経験のない私とて、吾郎くんの私に対する目線が庇護者に対するものじゃなく、恋愛的なものになってきていることくらいは理解していた。だけど、やはり私の心が言うのだ。何も知らない彼を、たかが私程度の人間が縛り付けていいのかと。


 私は昔から、人の輪に入っていくのが苦手だった。でも子供の頃は、ここまで酷くはなかったように思う。思春期に差し掛かった辺りから、この傾向は強くなった記憶があった。


 恐らくは、周囲が恋愛に対して興味を示し始めてからだ。


 私は華奢で、見た目が弱々しい。覇気もなければ大声もなかなか出せず、とろくて何をやるにもワンテンポ人より遅れる。勉強は苦手じゃなかったのは、単にスピードを要求されなかったからだと思う。


 そしてこういう子は、思春期真っ盛りの女子からは省かれ易いらしい。よく漫画や小説では見かけるけど、間抜けなことに、まさか自分がその立場に追いやられるとはその時まで思っていなかった。


 いじめではなくとも、輪に入れなければ自然とひとりになる。すると、優等生タイプの男子生徒が心配してくるのもよく作り話ではあるけど、これがたまたま自分の身にも起きてしまったのだ。


 そして大抵、こういう男子は顔もまあまあいい。かくして私は孤独で仲間外れにされている可哀想な少女という立ち位置に収められ、その可哀想な子に構う優等生でもてる優しい男子、という構図が出来上がってしまった。


 尚、家の教えで人の話を聞く時は相手の目を見なさいと言われていたので、彼がほぼ自分語りをしている間、私は相槌を打ちながらきちんと相手の目を見て聞いていた。それもまたよくなかったらしい。自分を一切否定せず話を聞いてくれる私に、彼はどんどんのめり込んでいった。


 優等生にも色々と苦労があるんだなあ、と口を挟めず黙って聞いていただけだったけど、彼にとっては彼だけを頼りにしている儚げな女の子に見えていたらしい。


 自分が彼女を守らなければという使命感に燃えた彼は、ひとり盛り上がり、とうとう私に告白をしてしまった。


 それまでの間に、クラスの女子の目はどんどん吊り上がっていっていた。何度か、その中心的人物の女子が彼のことを好きなのを知ってやってるのか、とかいう絡み方もされた。


 話しかけているのは向こうからであって、私じゃない。そう反論したかったけど、女子の集団の口撃に対し私がひとりで立ち向かえる筈もない。ただ黙っていることでやり過ごすしかなかった。


 一度、上履きを学校の池に捨てられたことがあった。私が固まっている間に彼が血相を変えて学校中を探しまくり、見つけた上でクラス全員にこんな最低なことをする奴は誰だ! と怒鳴ったことから、二度目はなかった。


 そういう意味では、抑止力は十分にあったと思う。まあ、彼が私に構わなければそもそも起こらなかっただろう事柄ではあるけど。


 彼のことは別に嫌いじゃなくて、お人好しもいるもんだと思って好印象ではあった。でも、如何せんあまりにも周りの空気を読まない傾向が強い。


 最後の方に至っては、私の孤立化を彼が助長している面も多々あったことから、「勉強が忙しいので」という当たり障りのない理由で告白をお断りさせていただいた。角が立たないようにするには、これが一番だと思ったのだ。


 するとどういうことが起こったかというと、お前如きが彼を振るなんて信じられない、というバッシングが始まったのだ。


 いやいや仰ってることが違いませんかと返したかったけど、即座に反応できないのが私だ。あまりの勢いに何も返せず黙っていた私についたあだ名は、『魔性』だった。


 なお、彼は中心人物だった女子に慰められ、付き合うに至ったのだとか。はじめからそうしてくれれば私も巻き込まれずに済んだのに、と思っても仕方ないと思う。


 ちなみに不名誉なこのあだ名は高校時代もついて回り、そのせいで遊び人と思われ、結構な被害に遭った。


 幸い大事に至ることはなかった。だけどやがて彼らが私のあだ名は法螺らしいと気付くまで、彼らの猛攻は続いた。皆元気だなあと思っていたけど、思っていただけで口には出さなかったのはお約束だ。


 そういう訳で、地元では、私の評判は非常によろしくない。よって、県外の大学に通うことにした。しかも無名の。大学生になったらさすがに少し周りに合わせて友人のひとりや二人くらい欲しいなと思い、慣れない化粧を頑張り、お洒落も雑誌を買って研究したりと、粛々と大学デビューを目指した。


 それは、初めの内は成功していたように思う。周りにも大学デビューなんだろうなと思われる人たちはちらほらいたので、この調子ならいけるんじゃないか。そんな期待をした。


 だけど駄目だった。


 彼女たちと私の圧倒的な違いは、順能力だ。周りの大学デビューの人たちは、時間が経つにつれ、元々輝いていた人たちと遜色なくなってきた。だけど、私はいつまで経っても大学デビューを頑張っている人のまま。


 理由は簡単だ。本心では望んでいないから、積極性が足りない。だけど、冷静に自己分析をしたところで物事は解決しない。本人にやる気がないものを継続させるのは、至難の業だ。これは全国共通の認識だと思う。


 大学時代にもあれこれと声を掛けられることはあったけど、中学高校の反省から、初めから断るということを学んでいた。それでもしつこく声を掛けられることはあったけど、あいつは変人だという認識が広がるにつれ、その頻度も落ちていった。


 そして、段々と心の奥底に降り積もる焦燥感。帰らなければいけないと、いつからか心が締め付けられるようになった。二年生が終わったところで退学届を提出した時は、ほっとしたものだ。


 実家に戻り、暫くのんびりしたいことを母に告げた後、母が再婚して出て行くまではここで家事手伝いをして過ごした。母が出て行った後は、自分が生きていく上で必要な家事だけを行って、のんびりと生活していた。


 吾郎くんを発見するまでは。


 だから、私がこんなにも家族以外で深く人に関わるのは、彼が初めてだ。彼が普通の人間だったのなら、きっとここまで関わることはできなかっただろう。彼があの場所に生えていたから、初めて目を開けたその時に笑ってくれたから、だから関わって大丈夫だと思えた。


 何故なら、私の知らない過去の彼は存在していないから。


 だけどふと、中学時代の自分との対比に慄くのだ。私は優等生の男子生徒の話を聞いていただけだったけど、彼は私が受け入れて彼を頼っていたと勘違いした。それは、形は違えど今の私と吾郎くんの関係と同じじゃないかと。吾郎くんは、まだ多くを知らない。だから、頼れるのは私だけの状態だ。


 私は、あの時の自分の経験を元に、吾郎くんをわざと勘違いさせようとしているんじゃないか。それはまるで、名雲さんが私にしようとしていたこととそっくりそのまま同じように。


 私の隣なら大丈夫だよと、世界から吾郎くんを遮断し、見せたいいい子の自分だけを見せる。自分が隣にいて安心できる吾郎くんをこの場に繋ぎ止めたいが為に、私は――。


「美空、近くには誰もいない」

「はっ」


 またもや自分の思考の海を漂っていたらしい。吾郎くんは私を安心させるように微笑むと、ズルズルと根が回収されていく手のひらを地面から離し、やがて全て収納すると手をパンパンと叩いた。


「今のは何をしていたの?」

「僕たち以外の誰かが、この辺りを彷徨いてないか感触で探してた」


 そんなこともできるらしい。ソナーみたいなものか。とりあえず普通の人間にできる技ではないので、やはり吾郎くんは人間の姿形をしていてもマンドラゴラという植物なのだ。一度レントゲン写真を見てみたい気もする。


「じゃあどこに行っちゃったんだろうね?」


 よっこらしょ、と二人で立ち上がる。周りに誰もいないことが確認取れたので、吾郎くんの警戒も少し薄らいだようだ。てくてくと車の方に近付くと。


「あ」


 運転席を倒し、呑気に寝ている人間の姿があった。灯台下暗しとは正にこのことだ。


「吾郎くん、人がいるよ」


 車の中を指差すと、吾郎くんが血相を変えて私の元までやって来た。

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