2 人の頭から生えている

「えっ?」


 よく見ると、額から下は根っこが伸びて、癒着している。


 頭から生えた葉っぱと花。飛び出た額、そして額の下の根っこ。これが意味するところは。


「……人間じゃ、ない?」


 誰も聞いている人間がいない森の中で、ひとり呟く。


 額の下は、根っこ。これが指す意味はひとつ。どうやら生きてはいるみたいだけど、ここにいるのは普通の人間じゃない。いや、そもそも人間かどうかすら怪しい。


 さて、どうしよう――。


 考えてみても、妙案は浮かばない。そもそも、問題がどこにあるかも分かっていない。


 ひとまず、この場に留まりどうすべきかを考えることにした。お尻は濡れてしまったので、潔く諦めてお尻を地面につき、膝を抱えてこの不思議な植物を眺める。


 そよそよと秋の風にそよぐ風が、緑の葉を揺らした。段々と昇ってくる日の光が、てかりのある葉の表面を照らして反射する。中央にある紫の花の中心部分は、鮮やかな黄色。これだけ見ると、この下に人間の頭部の一部らしきものが埋まっているとは思えないほど穏やかな光景だ。それも多分死体じゃないと思えば、恐れる気持ちなんてどこかに行ってしまった。


 とりあえず、どうやらこれは人間じゃない。でも生きているみたいに、僅かばかりだけど動いた。つまり一体どういうことだろう――。


 言い訳をするならば、昨夜読んだホラー小説がちょっとばかり怖くて、なかなか寝つけなかったのだ。あまりも怖い話は、人家のない地域で考えなしに読むものじゃないと学べたのはよかったけど、だから今日は寝不足だった。――意識が、途切れる。


 頭がジリジリと熱いことに気付き、ハッと起きた。自分でもまさかと思ったけど、得体の知れない植物の前で考え事をしていたら、いつの間にか寝てしまっていたらしい。どれだけ抜けているんだろうか。


 空を見上げる。なんと、太陽が真上に来ている。一体何時間寝ていたのか。辺りを見回し、他に変化がないかを確認した。常に人など通らない山道だ。痴漢や変質者の心配がない代わりに、野生動物に襲われる確率の方が高い。そんな場所で膝を抱えて寝ていたなどと母にばれたら、けちょんけちょんに言われてしまう。


だけど、幸いにしてその母は最早同居していない。そして私の安否を知りたがるのは、しょっちゅうこんな辺鄙な田舎まで来ざるを得ない宅配便のドライバーのお兄さんくらいだ。


「あ、そういえば」


 ひとり暮らしが長くなると、独り言が増える。独り言なんて寂し過ぎると思っていたけど、ここまで声を発する機会がないと、咄嗟に声すら出なくなるのだ。先日大きな蛇が出た時も、口を開けるだけで声ひとつ出やしなかった。声を出したところで誰が助けに来る訳でもないけど、もしかしたら誰かがたまたま近くにいることだってあるかもしれない。


 ということで、発声練習の重要性を認識した私は、いざという時に声が出せるよう、独り言という声出しをするに至った。なので、これはあえての独り言。決して癖じゃない。そして寂しいからでもない。


「……確認しまーす」


 相変わらず目の前にある謎の植物の葉を、ぺらりとめくる。やはりそこには、泥が付着した額。そして――。


「……眉毛?」


 そういえば、先程よりも植物の位置が気持ち高くなっているかもしれない。手を隙間に突っ込み指で長さを測ると、葉の下までの高さは十五センチほどか。朝見た時は見えていなかった眉毛が、土に埋もれながらもきちんと判別できるまでになっていた。


 どうやら、私が呑気に眠りこけている間に、目の前の謎の植物は縦に成長したらしい。主に、人間の部分が。


「……男の人、かなあ?」


 額は丸みがあまりなく、どちらかというと平坦だ。眉毛はそこだけ見れば、キリリとした感じと言ってもいいかもしれない。


 俄然興味が湧くのは、人間の性か。美に関しては、時代や地域により認識に差はあれど、皆美しいものに目がないのは万国共通だと思う。不快で歪な物を好む人も、中にはいるだろう。だけど、それは恐らく己が他者よりも美しいという認識を持ちたいが故の心理なんじゃないか。


 そんな正直どうでもいい人間の心理についてつらつらと考えていたら、手が止まっていた。いけないいけない。すぐに自分の思考にのめり込んで行動が停止してしまうのは、私の悪い癖だ。


 このすぐに停止する癖のせいで、秋野さんはよく無視するよね、なんて嫌味を度々言われた。初めの頃はそうじゃないと必死で説明していたけど、やがて段々人も近付いてこなくなった。だから私は、集団行動には向いていないのだろうと、人と過度に関わろうとするのを諦めた。


 そよそよと、風が吹く。濡れた下着に触れている肌がひんやりしてきたので、いい加減家に戻って着替えたい。


「じゃあ……決めた」


 当然のようにひとりで喋る。土に埋まった額に向かって独り言を喋る女なんて、見ている人がいたらかなりシュールな光景だろう。でも、しつこいようだけど、ど田舎なので人はほぼ来ないから問題はない。ちなみにここまで来ると、携帯の電波も入らない。


だから私は携帯を携帯していない。どうせ誰からも連絡は来ないし、唯一連絡をしてくる母は家の固定電話にしか電話してこない。だから、基本は自分の部屋に置きっ放しにして、ニュースや調べ物をする時だけ電源を入れる程度だった。


「植物くんの観察日記を付けていこう、そうしよう」


 取り立ててすることのない毎日。過度な刺激は苦手だけど、毎日少しずつ成長する物を観察する程度の速度なら、私も焦らず気圧されず対応できる。それに、最近は電子書籍なんかもあるらしいけど、私は紙じゃないと嫌なタイプだ。紙はずっと残るからいい。電子だとどうしても実態がなくて、読了後に本当にその世界を読んだっけ、と切なくなった。


 観察については、植物くんの顔がどんなものかに単純に興味が湧いただけ、とは認めないでおこう。これはあくまで未知の存在に対する好奇心による決断だ。


「どういう観察日記にしようかな……」


 首を傾げ、考える。ぽっと思い浮かんだのは、小学校の時に夏休みの宿題であった、絵日記だ。だけど、絵心は悲しいほどにない。それに私は大人だから、文字だけでもいいだろう、と決める。それに、素敵じゃないか。どういう形であれ観察が終了したら、何年経ってもペラペラと日記をめくればそこにこの時のワクワクが蘇るのだから。


 そうとなれば、まずはノートを入手しなくちゃいけない。ノートを売っている町の文房具店は、自転車でも三十分は余裕でかかる距離にある。そして夕方にもう一度観察に来よう、そうしようと決めた私は、ここ数年味わうことのなかった高揚を覚えながら立ち上がった。


「植物くん、また後でね」


 なんとなく声をかけた方がいい気がして、そう言って手を振る。馬鹿馬鹿しくてもいい。


 さわさわと風が吹き、日の光でてかる葉が、まるで私に手を振り返しているみたいに揺れた。

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