囚われの姫と悪い魔法使い

第1話

 



 目が覚めると、いつも通り見慣れた石レンガの天井が見えた。とても長い夢を見ていて、眠っていたはずなのに頭痛が酷い。


 起き上がって、顔を洗い、着替える。いつも通り、リリーの朝の日課をなぞる。


 今日見た夢は、一人の女性の人生だった。乗り移って体験しているかのように主観的で、最悪な人生だった。まだ目の奥に余韻が残っているような気がして、ぎゅっと目を瞑る。


 鏡台の前に座って、髪をとかす。真っ白な肌に、ふっくらとした薄桃色の唇。当然鏡には銀髪碧眼のリリー・ペデュリアンが映っていた。


 私は、以前夢に出ていた女の人だった。そして今は、ペデュリアン王国の王女、リリーだ。

 混乱しそうになるけれど、あまり深く考えないのが私なので、あっという間に意識が馴染んでいく。


 櫛の端は欠けていて、手が当たらないように気をつけながら髪を梳く。鏡に反射したこの部屋は、石レンガとコンクリートのような床で作られた、どこか冷たい感じのする部屋だった。少なくとも王女の部屋とは到底思えない。


 十歳の脳では理解できなかったことも、成人して働いていた前世の記憶のおかげで分かったことがある。

 リリーという名前のこの子は、王女だということ。そして、隣国に近い辺境の塔に幽閉されているということだ。


 この塔は堅牢に作られていて、おそらく国で一番高い建物だと思う。てっぺんに一番近い屋根下の部屋が居住スペース、その下は書庫と倉庫になっていて、あとは壁沿いに作られた螺旋階段だけが下までずっと続いている。下の扉は強い魔術がかけられていて、開けることができない。

 リリーの記憶を拾って考えていくと、なぜ幽閉されているのか、薄々感づいてしまった。


 転送魔法で届けられたパンを、ちぎって口に入れる。


 今世の私の母は、城でメイドをしていた男爵家の次女だった。とびきり美しかった母は、王にお手つきになってしまい、私を孕んでしまう。

 幸いなことに王家の象徴とも呼べる銀髪碧眼の私が生まれたことで王は認知し、王女と認められたが振り分けられた予算はなぜか微々たるもの。王妃の口車にのせられ、療養の目的で辺境のこの塔に訪れるが、そのまま二人で閉じ込められてしまった。

 王妃や側室は高位貴族だった。男爵令嬢の母に逆らうすべはなく、私が五歳の時に病で亡くなってしまった。


 母は死ぬ時、私を見ることなく、王家に呪詛を吐き続けながら死んでいった。


 五年前から一人になった私は、忘れられたこの塔で生きている。

 内務尚書のブリックがいなければ、食料品日用品を届けてくれる人が居なくて死んでいただろう。私は彼の責任感と同情で生かされていた。


 机に積み上げられた本の一冊を手に取って、腰掛ける。

 リリーはこの塔の中で、毎日本を読んでいた。というか、それしかすることがなかった。

 日が暮れれば、本が読めなくなり、途端に退屈になる。蝋燭は数に限りがあり日常で使えるものではなく、リリーは日が沈んだら眠っていた。


 バルコニーに出て、見慣れた外の景色をぼんやりと見つめる。今日は満月で光量が多いため、少し遠くの方まで見通せそうだ。

 王国の辺境にあるこの地は、青々しく茂る森が広がっており、人の気配はまるでなく、東側には隣国との国境を示す城壁が長く続いている。


 ──歌ってみようかしら。


 ふと、思い立つ。誰もいない上に、声がよく響きそうだと思った。長いこと人と会話をしていないから、声が出るかが心配だ。


「……あ、あ」


 子どもの高い声が出た。少し震えた声だったけれど。

 親が何も教えてくれなかったから、この世界の歌は何も知らない。誰かが聞くわけでもないし何でもいいだろうと人気の洋楽を思う存分歌う。よく聞いていたから、歌詞は覚えていた。


 正面から風が吹き込み、乾燥しないように瞼を閉じると、耳にかかっていた髪が、風で靡くのが分かる。今日は満月だから、月明かりで目を瞑ったままでも明るく感じる。


 あと何年後かも分からないけど、書庫の本を全て読み切って、何もすることがなくなって、もしも退屈でたまらなくなったら、ここから飛び降りてしまおう。うん、それがいい。


 今後の方針も決まったし、心がスッキリして、軽くなった。いいストレス解消法になりそうだな、そんなことを思いながら瞼を開けると、目の前に黒いフードを被った男の人が立っていた。後ずさって、瞬く。


 とても大きくて、リリーの身長の二倍はありそうな大きな人だった。

 それより、どうやってここに来たんだろう。地上五十メートルはあると思うんだけど。もしかしたら、お化けなのかもしれない。

 そう思ったらなんだか落ち着いてきて、目の前の男の人に話しかける。


「だあれ?」


 微笑みかけて、下からフードの中を覗き込む。明るい月と逆光となり、フードを深く被っているせいで、顔が全く見えない。


「……俺は、ルークだ」


 うん、名前も大事だけどね、何者か知りたいのよね。

 風貌はかなり怪しい。見た目だけで判断するなら、彼は……


「あなたは悪い魔法使いなの?」


 つい口に出してしまった。

 はっ、と両手で口を塞ぐ。

 怒っていないかな、と上目遣いに伺うと、ルークはふっと笑って、屈んでリリーと視線を合わせた。


「そうかもしれないな」


 長い睫毛に、筋の通った鼻筋。そしてなによりも、ルビーのような赤い瞳が印象的だった。


「あなたはどうやってここに来たの? ここ、一番高い塔のてっぺんよ」

「ああ、転移魔法で少しな」


 見た感じ、二十歳くらいだろうか。

 かなり美形の彼は、分かりやすく視線を逸らして、言葉を濁す。

 今は追求しないでおいてあげようかな。


「魔法が使えるの?」

「……まあ、魔法使いだからな」


 魔法使いっぽいという想像は合っていたようだ。途端に気持ちが上がって、前のめりになる。


「そうなのね、私生活魔法しか見たことなかったの! よかったら見せてくれる?」


 ルークは急に近づかれて驚いたのか、綺麗な目を見開いた。


「あっ……ごめんなさい。久しぶりに人とお話したから」

「どういうことだ? 君は一人でここに住んでいるのか?」


 ルークは私の目を射抜いて、真剣な顔になる。


「ええ。母が死んでからは私一人で住んでいるわ」

「失礼だが、君はいくつだ?」

「ええと、多分十歳くらいかしら」


 形のいい眉が眉根に寄せられて、赤い瞳が私の栄養失調気味な身体に視線を向ける。

 彼は分かりやすく同情の表情を浮かべていた。信じられない、可哀想だと、そんな感情が溢れた顔をしていた。


 苦しそうな顔が見ていられなくて、ルークの頬に小さな手を置く。


「大丈夫、なれてるから」


 視線が絡み、ふわりと微笑む。


「君、名前は?」

「私はリリー。よろしくね、ルーク」


 どう見ても年上の男の人だけど、この世界には目上の様以外の敬称が無いのだ。


「そうそう、ルークはなんでここに来たの?」


 彼は思い出したように、ああと声を漏らした。


「帰路につく途中、君の歌声が聞こえた。先の歌、あれをどこで知った?」


 この美形に拙い歌を聞かれていた。恥ずかしい。じんわりと頬が熱くなる。

 前世の夢で知りました、だなんて言えないし、誤魔化すしかない。


「夢で聞いたのを、覚えていただけよ。……どうして?」


 小首を傾げて、不思議そうな顔で問いかける。ルークはフードを被ったまま、後頭部に手をやって視線を逸らした。

 その様子から、ピンと思い立つ。例の曲はみんな知ってる人気の曲だった。もしかしたら、ルークも昔の記憶があって、この曲を知っているのかもしれない。


 ルークは逡巡した後、ぽつりと呟いた。


「……死んだ母が、同じ歌を歌っていた」


 ルークのお母さん、きっと前の記憶があったのだろう。こんな偶然があるのか。


「そう…だったの」


 月が彼の美しい横顔を照らしていた。そっと頬に手を伸ばして、視線を合わせる。

 ルビーの瞳が私を捉えたら、にっこりと微笑む。


「ルークのお母さんと私、同じ夢をみていたのかもね」


 そう言うと、ルークは目を細めて「そうかもな」と薄く笑った。その笑みが綺麗で、思わずぼうっと魅入ってしまう。

 ルークは立ち上がって、フードを深く被り直す。


「ありがとう、邪魔したな」


 背を向けて、帰ってしまいそうな彼のローブの裾を不意に掴む。違和感に気がついたルークが首だけ振り返る。


「どうした?」

「ねえ、また来てくれる?」


 彼のローブの裾を掴んだまま、見上げる。

 リリーの記憶の中で五年ぶりに会った人。ここで接点を断つには、あまりにも惜しいと思った。


「久しぶりに人と話したの。だめ、かな?」


 彼の瞳がわずかな動揺に揺れる。


「じゃあ……また来る」

「ありがとう、ルーク!」


 外の状況も知りたいし、少し打算もある。可哀想な子どもだと思っているルークの手前、下心は覆い隠して、無邪気に笑ってみせた。




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2025年1月10日 20:00
2025年1月11日 20:00
2025年1月12日 20:00

囚われの姫と悪い魔法使い @eri_han

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