はじめに
ここでの著者の主張は正しいことが確認されている理論ではありません。
理論を成立させるためには時間が必要であり、時間を構造的に捉え直すことで様々なことが解決できるだろう
という哲学に近い主張です。
ひと言で言えばメタ的な論述です。
ここで語られることの全てを理解する必要はないです。
「例え話」さえ理解できれば問題ありません。
細かい話は掘り下げられるように書いているだけでそこは本質じゃないですからね。
大事ではあるんですけど……。
(堅牢性が無いとただの夢物語になっちゃうので)
時流構成論の意義は時間は何かに与えられるものではなく、人類が構成している便利な道具であるとちゃんと説明することにあります。
内容を踏まえて言うのであれば、
時流構成論は人間中心的に展開しつつ、源混沌という理解しなくても良い存在を活用することで、不変不朽の理論が完成しないことを認め、「便利な道具」として理論を使うことが理論の本質になるという話になります。
順番通りに読まなくても構いませんが、順番に読まないとわかりにくいと思います。「面倒くさいな早く言いたいことを言ってくれ」という人は、「考えるとは」や「極大時流理論」の項目だけ読んでみてくださいね。
今が何時か気になったときに見るものは時計ですよね。
でも不思議だと思いませんか?
時計そのものは時間の向きを教えてくれません。
針は同じところをぐるぐると回り続けたり、同じ文字をまた表示したり、何度も何度も繰り返していますが、今が果たして何回目なのかはちっともわかりません。
けれど時間が進んでいることにもう終わるのかと残念に思ったり約束に間に合わないかもしれないと慌てたり、私たちは時間に向きがあって未来に進み続けていることを知っています。
なので時間は大きさだけでなく向きが大切なものと考え、
時間をベクトル(向きや大きさを持つ矢印のようなもの)に近いもので表現するのはどうだろう
と考えました。
また、大きさや向きを持つものとして捉えることで時間の持つ向きや大きさの働きが何かを捉えられるだろうと期待しています。
私はこれを時に(向きを持つ)流れがあることを重視する議論として時流構築論と呼んでいます。
そして、いきなり物体の運動が変化する状況を考えるのは難しいのですよね
だから物体の運動がほとんど変わらない(静止していたり、等速運動をしている場合)安定した時間に限定して先に考えてみましょう。
これを静的時流構成論と呼んでいます。
静的の逆の動的な時流構成論も考えていますが、こちらはまだ明確な形にはなっていません。
追記
ベクトルでは矛盾する部分があるのでベクトルとして扱えないものは改稿中です。
余談は極大時流理論を執筆する以前に書いているのであまり気にしないでください。
時流の大きさが機能を果たすことができない極端な場合は、極大時流構成論で扱います。
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