座敷わらしとカメラマン

九戯諒

出会い

 「おお~、これで家賃が1万円しないなんてなあ」

 佐崎安吾ささきあんごは白髪交じりのくせ毛をかき上げ、部屋の隅々を確認していた。

 風呂トイレ別。台所のガスコンロは二つ。九畳の洋室にはロフトがあり、庭先には錆びた物干しざおが設置(放置)されている。

 「佐崎様、如何でしょうか? スーパーも近いですし、破格の良物件だと思いますが」

 若い女性店員は慣れた営業スマイルで佐崎に迫った。佐崎はポリポリと頭をかいた。

 「でも、本当に幽霊が出るって噂だけで、こんなに家賃が安いのかね?」

 「幽霊を見たという人もいますが、あくまで証言だけです。証拠があるわけではありませんから、ご安心ください!」

 「……そんな証拠があったら、世界がひっくり返るだろうな」

 何もないロフトを見上げながら、佐崎はボソッと呟いた。



 いわくつきの物件、アパートメント獅子丸。建築当初から幽霊の目撃情報が散見され、ここ最近は大家のお婆さん以外は誰も住んでいなかった。家賃を下げて入居者が現れても、部屋の中の物が勝手に動いたり、冷蔵庫の中の食べ物が勝手に食べられたり、夜中に勝手にパソコンが起動したりと気味の悪い現象が続き、すぐに入居者は去ってしまうのだ。その結果、家賃は下げに下げられ、ついに1万円を下回っていた。


 幽霊の目撃証言。様々な怪奇現象の報告。近所の人も避けて通る『幽霊屋敷』とよばれるアパートメント獅子丸だったが、物件を見学した佐崎は入居を即決した。

 佐崎には差し迫った事情があった。

 貯金残高、ほぼなし。職業、まったくなし。年齢、38歳。この状況で入居できる物件など、アパートメント獅子丸以外には何処にもなかったのだ。



 佐崎はレンタカーを借りて、一人で引っ越しを済ませた。といっても、ほとんど運ぶべき荷物はなかった。傷だらけのちゃぶ台、薄くなったボロ布団、骨董品級の冷蔵庫……もはやゴミなのかどうかも怪しい荷物を運び終えると、佐崎は近所のコンビニでおにぎりを買ってきて、お昼にした。

 使い古した凸凹のやかんで湯を沸かし、しじみのインスタント味噌汁を作った。箸でかき混ぜて味噌を溶かしていると、佐崎はふとことに気が付いた。袋から取り出したばかりの三角だったツナマヨのおにぎりは、上のとんがりが整地され、台形のツナマヨのおにぎりになっていた。

 「……あれ、俺、食べたっけ?」

 佐崎は良く思い出せなかった。袋からツナマヨのおにぎりを取り出して、一口食べてからしじみの味噌汁を作ったような気もするし、一口食べる前にお湯を注いだような気もする。

 「……まあ、どっちでもいいか」


 佐崎は細かいことを気にする人間ではなかった。もしかすると、袋から取り出した時からおにぎりが台形だったとしても、佐崎なら気にせず食べたかもしれない。ツナマヨのおにぎりに明太子が入っていても、「ウマい、ウマい」と言って、満足そうに食べたことだろう。


 佐崎安吾は、決して何事にも頓着しない人間だった。

 ビニール傘を盗まれても屋根下で雨宿りをして、それに飽きるとずぶ濡れになりながら歩いて帰るような人間だ。パスタとレトルトパウチは一緒の鍋で温めるし、鍵をかけないでふらふらと散歩に出かけたりもする。無精ひげは伸び放題で、外に出るとしばしば職務質問を受ける。

 ほとんど無職の佐崎は、いつもこう答えていた。

 「なあに、ただの売れないカメラマンですよ」

 佐崎がいつも背負っている苔がしたようなリュックサックには、在りし日に購入した一眼レフカメラが入っていた。



 ***



 おにぎりを食べ終えた佐崎はリュックサックからカメラを取り出し、引っ越し直後の風景を写真に収めることにした。物理的な寒さに反し、心が温まる三月独特の空気を、ツナマヨの風味が口内に残っている内にどうにかしてしまおうという発作的な気まぐれに、佐崎は無心でシャッターを切った。


 「……ん、今、何か通ったか?」

 ファインダー越しの閉じた世界を眺めていると、時々、小さな黒い影が自分の世界を通り過ぎるような気がした。

 「……まあ、いいか」

 佐崎は結局気にすることなく、シャッターを切り続ける。無心で、ただひたすらに。

 「……おーい、幽霊さんよ。良かったら、モデルにならないか?」

 佐崎は再び発作的な気まぐれを起こし、『幽霊』に問いかける。

 「モデル代として、……そうだな、ウマいモンを食わせてやる。こんなボロアパートの幽霊なんだ。どうせ、ロクなケーキの一つも食ったことないだろう?」

 「ボロアパートの幽霊屋敷で、悪うござんしたね」

 「……え?」

 カメラを向けると、小さな老婆が床に座り込んでいた。怒っているというより、若干呆れた様子だ。

 「ほう、これはまた。随分と年季の入った幽霊だな」

 佐崎は遠慮なくシャッターを切った。

 「幽霊に見えるかね?」

 「婆さん、明治生まれか?」

 「戦後生まれ」

 「ほう……? まさかとは思うが、戊辰戦争じゃないだろうね?」

 「私の婆さんだって、まだ生まれてなかったろうよ」

 老婆は雑巾をバケツにかけると、「よっこらせ」と腰を労わりながら立ち上がった。

 「お、おお……?」

 佐崎はファインダー越しに、老婆のゆっくりとした動作を見守った。

 「私は丸山ヨツ。この幽霊屋敷の大家をしとる」

 「……え?」

 佐崎は思わずシャッターを切った。



 ***



 その晩はひどく天候が荒れた。三月だというのに真冬のように寒く、重たい雪がしんしんと降り積もった。佐崎は少し坂道になっている道路を転ばないように慎重に歩き、スーパーで数日分の食材を一気に買い込んだ。家に帰るころには頭の上に白い雪帽子ができていた。


 佐崎は買ってきたばかりのモヤシの袋を開け、適当に半分くらいを鍋に入れた。ヨツ婆さんから貰った大きな白菜の葉を多めに千切り、軽く水洗いしてそれも鍋に入れた。豆腐は水を切り、手で適当な大きさにした。

 「……ここにこれをっと」

 スーパーで買ってきたばかり。大きな半額のシールが張られたラップを取り、豚肉を半分投入。もう半分はラップをして冷凍庫にしまう。そして鍋に水を入れ、顆粒だしを少々。後は蓋をして、火が通るのを待つだけだ。



 「……さて、そろそろか」

 鍋の小さな穴から湯気が勢いよく出始めた。佐崎は器用に袖口を使って熱々の蓋を取る。大きな湯気が立ち込めた。軽く一混ぜして火を止めると、お玉で味噌をたくさん取り、そのまま鍋に溶かし入れてしまった。

 「……よし。こんなモンだな」

 佐崎流。野菜たっぷり味噌豚鍋(節約バージョン)、完成だ。



 「なんじゃ。鍋かと思って期待していれば、ただの味噌汁ではないか」

 「……ん?」

 折りたたんだ古新聞の上に鍋を置くと、一瞬、声が聞こえた。それも、昼間のヨツ婆さんの声ではない。幼い女の子の声である。振り返ると、本当に幼い女の子が鍋を覗いていた。

 「……え、誰?」

 佐崎は驚きのあまり、頭が真っ白になった。

 「……は? お、お主、ワシが見えておるのか……?」

 女の子もひどく驚き、固まってしまった。

 「……あ。もしかして、ヨツ婆さんの孫か?」

 佐崎は、ふと昼間のことを思い出した。


 声に出すと、本当にそんな気がしてきた。勝手に部屋に入ってこれるとしたら、合鍵を持っている大家のヨツ婆さんしかいないだろう。女の子はヨツ婆さんに似て、古風な格好をしている。日本人形のコスプレのような恰好……と言えば聞こえはいいが、赤い布は所々糸がほつれていて、ひどく貧乏くさいように見えた。

 佐崎は狼狽えた様子の女の子を見て、「まあ、何でもいいか」と呟くと、そのまま台所に向かった。

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