第2話
クビを斬られ落ち込んでいるものの,実はわたしが学察に籍を置いていた期間はそれ程長くない。正式な捜査員として認められたのは去年の10月だから,学察に籍を置いていたのは約半年間。ではその前何をしていたのかというと,ミステリ研究会に入っていた。
学察の存在は知っていたし興味本位ながら捜査員採用試験の説明会にも参加した。だが説明会に集まった生徒数が予想を遥かに超えて多かったのと,捜査員の多くが学年トップクラスの成績と知り諦めたのだ。
学察を諦めたわたしは虚構の世界で満足することにした。ミステリ研究会は部員数20人弱の,この学園では比較的弱小に分類される部活だ。しかも兼部やら幽霊部員やらが多いから,実質的に活動しているのは片手で数えられるくらいだったのではないだろうか。だからこそ,読んでばかりで作品を書かないわたしの流出さえ惜しんだのだろう。偶にしか部室に顔を出さないのに口煩く言われることはなかった。
ただ,そんな活気のない部活に居続ける新入生はそう多くない。現にわたしはクラスの子と仲良くなったのをきっかけに,ゴールデンウィーク明けには全くの幽霊部員と化していた。
そんなある7月の月曜日に事件は起きた。
「やっぱり,ちょっと具合悪いみたい」
この日は朝起きた時から体調が悪くて,気怠い体を引き摺って何とか登校することはできた。だけどやせ我慢はそう長くは続かない。1限目の半ばから先生の声は耳に入ってこなくなり,黒板に書かれる数式はぼやけて何を意味しているのか全く分からない。そんな状況だったから,授業が終わる頃にはとっくに白旗を振る腹積もりだった。
「夏風邪? 保健室一緒に行こうか?」
仲良くなり始めた友達グループに自己申告に行くと,同じクラスだった梓がそう心配してくれた。けどいくら知り合って3ヶ月が経っているとはいえ,倒れそうな程の高熱でもないのに付き添いを頼む図々しさはない。
「ありがと。でも1人で行けるから。えーっと,次何だっけ?」
「体育だけど……無理しない方が良いよ。顔色悪いもん」
「うん,そだね。先生には保健室って言っといてくれる?」
「おけー。ここはわたし達に任せて早く行けー」
マイペースな別の友達の返事に苦笑しつつ踵を返す。そんな微力にも押し出されるくらい足取りは軽いくせに,体は鉛でも含有しているみたいに重苦しい。
やはりやせ我慢が過ぎたようだ。熱っぽい頭蓋の裏側からはがんがんと木槌で打ち付けられているような鈍痛を感じる。夏風邪にしては性質の悪いものを貰ったらしい。廊下に向かおうと机の合間を進んでいると,体の左側に軽い衝撃を受けた。気怠く首を向けると女の子がよろけて頭を押さえている。見るからに大人しい,地味な子だ。身長はわたしよりも小さく少し長めの前髪が彼女から表情を読み取るのを難しくしていた。
えっと,この子名前何だっけ?
クラスメイトであることは分かるのだが,回転の落ちた頭のせいか咄嗟には思い出せない。仕方ない,適当にやり過ごすか。
「あ,ごめん――」
「ちょっと,何してんの!?」
不注意を謝ろうとした時険のある声が響いた。一瞬わたしが咎められているのかと思ったけど,目の前のクラスメイトが小さな体を更に縮めたのを見て推測を正す。それと同時にまるで怯えているかのような彼女の反応を不思議に思った。
「普通に歩いて人にぶつかるとかマジウケる。そんな鬱陶しい前髪してるからじゃん」
ギャルだ。小悪魔ギャルがいる。声の聞こえる方に目を向けすぐそんな感想を抱いた。
殆ど金髪近くに染めた髪はゆるふわ巻きで,それ程小さくないはずの目はアイライナーやマスカラで必要以上に強調されている。かといって厭らしくなり過ぎないよう薄く載ったチークやナチュラルに塗られたグロスから,彼女が年齢の割にメイクに関してかなり卓越していることが伺える。ぎりぎり,これ以上凝ると素材の良さを損なう限界まで攻めた仕上がりだ。指先を見るとピンクのベースの上に載った花のラメネイルがかわいらしい。校則を正面から破りに行く姿勢はその辺の男子より余っ程雄々しいが。
いくらこの学園が全国有数の進学校とはいえ通っている生徒全員が真面目とは限らない。指導を受けない程度に髪を弄ったり制服を改造したりする生徒も少なからずいる。私立の成績偏重の風土のせいだろう,彼らは指導の対象だが試験でまずまずの結果を残し目立った問題行動も起こさないため,教員も些細な校則違反には目を瞑ることにしているらしい。
しかしここまで大っぴらにハメを外す生徒は他にいない。いくら何でも教員に見逃して貰える許容範囲からは逸脱しているのだけど,彼女がメイクを落とすことはない。何故なら彼女は宇尾野グループの社長令嬢,宇尾野鈴夏だからだ。
宇尾野は中国地方に本社を置く持株会社で傘下に医療・健康事業,建設事業,教育・人材事業など幅広い分野に展開する子会社を200以上治める。グループの連結売上高は4000億円を超え,従業員2000名を擁する。代々その代表を務める宇尾野一族は政財界に絶大な影響を有し,血縁を辿れば維新の十傑に辿り着くという庶民には想像もつかない家系だ。
ところで,松羽島学園は卒業生として政財界の要人を多数輩出してきた。現役の鈴夏だけでなく宇尾野の中枢にも学園のOB・OGは多いそうだ。つまり中国地方を中心に事業展開するグループの影響からは逃れようがない。もっとぶっちゃけた話をすれば,宇尾野からグレーなカネが流れ学園の懐を潤していると噂されるくらい。真相の程は分からないが学園の方針に影響力があることは確かだろう。
鈴夏があからさまに校則違反を犯しても咎められないのにはこうした背景がある。宇尾野一族が直々に理事長へ圧力をかけることはないだろうが,教員の側がネームバリューに萎縮してしまうのは仕方ないのかもしれない。また鈴夏本人はそうした状況を至極当然のものと思っている節があるだけに性質が悪い。
「ほら,さっさと謝りな」
ふてぶてしく腕を組み宇尾野は促す。ぶつかった子は半ば強引な仲裁のせいか気後れし却って言葉に窮しているよう。対照的な態度にようやくこの子の名前を思い出した。柳町さんだ。彼女自身はあまり自己主張の激しいタイプでないため思い出せなかったけど,4月にはもう宇尾野にいびられていたのは印象に残っている。
「いいよいいよ,体調悪くてわたしも注意不足だったから」
見かねて助け船を出すも,宇尾野は気付かず柳町さんの肩を小突く。
「病人に謝らせるなよなー。加賀ちゃんゴメンねー,この子鈍臭くて」
お前は香水臭いがな!
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