第8話

 ぱらぱらと雨粒が傘に当たり頭上で音を奏でる。花壇からは土の匂いが立ち薫る。雨雲が頭上を覆い尽くしたせいで,18時前だというのに校舎の輪郭が分からないくらい暗く,灯りの点いた教室だけがぼんやり浮かび上がっている。


 窓ガラスが割られた時はどのくらいの明るさだったのだろう。


「井上君は呼ばなくて良いの?」


 梓が出し抜けに傘の下から顔を覗かせる。犯行時の状況に考えを巡らせていたため不意打ちの問いに泡を食う。


「なっ,何であいつが出てくるわけ!?」

「だって智佳の話だと井上君と張り合うため宗宮さんは事件を預言したみたいじゃない。心を読む方法だけじゃなく事件を預言した方法も分からなくて,今頃困っているんじゃないの」


 他意はなさそうな顔に思わず言葉が詰まる。そりゃ気にならないわけじゃない。只でさえ読心のトリックが分からず落胆している時に追い打ちをかけるように預言された事件が起きたのだ。更なる混乱に陥っていることは想像に難くない。


 もっと言えば今回の事件は正式に学察に受理されわたしが担当する運びとなった。しかも事件が預言された経緯から井上に情報を開示して構わないと時田さんから許可されている。知識量と推理力だけを考えれば今すぐ物理学教室へ急ぐべきだ。


 警備員控室へと向かう道すがら梓に気付かれないようそっと息を吐く。


「わたしが部室棟の窓ガラスを割りました」


 A棟1階は全て学察関係の部屋で埋められている。渡り廊下から数えて2番目の取調室で向かい合ったわたし達に,持田さんは改めて犯行を自供した。


 時刻は15時40分。ほんの5分前に自ら出向いた持田さんに対して,担当者さえ決めていなかった1課は寝耳に水の騒ぎとなった。一先ず預言の段階から事件に関与していたわたしと課長である時田さんが取り調べに当たった。


「何故,自ら名乗り出たのですか」


 やはり経験を積んでいるからだろうか,時田さんは少なくとも表面上は普段と変わらないように見える。けど自供した理由を初めに尋ねている点に怪訝さが表れていた。


「改めて登校してから,思った以上に大きな騒ぎになっているのを見てびっくりして……。今日1日その話題で持ちきりでしたし,部室棟での部活動が禁止になったって聞いて申し訳ないなって後悔したんです」


 彼女の語る内容を書き留めながら違和感を覚える。下層階だけとはいえ校舎1棟の窓を丸々割ったのだ,大事になることは簡単に想像できるだろうに。それとも,いざ犯行を立ち返ってみるとこうも簡単に悔い改めるものなのだろうか。


「犯行の動機は?」

「……うちの親,かなり厳しくて。3年前中等部の入試を受けたんですけど,落ちちゃって……。公立に通っていたんですが,中学の時はずっと松校の高等部に入るよう言い聞かせられていて,それで何とか合格して1組にも入ることができたんですけど,今度は3年間1組でいられるようにしろって。また3年間,ずっと勉強漬けなのかなって思うと苦しくて……」

「では,事件の経緯を初めから教えて貰えますか」

「……朝の4時半に校内へ侵入しました。事前に警備の方が部室棟を見回らない時間を調べていました。1階の窓は家から持ってきた傘で割って,2階のは落ちていた石を投げました」

「どのくらい時間はかかりましたか?」

「忍び込んでから出て行くまで,30分もかかっていないと思います」


 朝5時となると学外からの目撃情報も集まらない公算が大きい。証拠集めだけでも難しいと判断し下唇を噛む。時田さんも同じ考えのようだ。


「その時の服装は?」

「学校のジャージです。万一見られても言い訳ができるようにと思って」

「傘以外に所持品はありました?」

「家から懐中電灯を持っていきました」

「色と大きさは?」

「赤色で,20cmくらいです」


 持田さんは手で「このくらいかな」と大きさを示す。結構大きく人目を引きそうだけど,早朝の暗がりでそれを目撃している人がいるだろうか。


 事情聴取の結果,どうやら目撃情報が少なく証拠固めは難しそうだと分かった。可能な限り情報を集めるため現在警備の方へ話を伺いに向かっている最中というわけだ。


 誰もいない広場の噴水の脇を通り過ぎる。普段この時間帯は下校ラッシュなのだけど他に生徒の姿は見えない。雨のせいで運動部は外で練習ができないし,部室棟での活動が禁止されたので大半の生徒は既に帰ったのだろう。雨粒の滲み込んだ煉瓦に目線を落としながら,事件に考えを巡らせる。


 恐らく持田さんの供述の裏付けは困難ながらも相応に上手くいくだろう。けどこの事件はそんなに単純だろうか。もし持田さんの語った犯行動機が本心でないなら。もし宗宮さんの預言に何らかのトリックが用いられているなら。


 宗宮さんは,持田さんを脅しているのではないだろうか。


 例えば持田さんと宗宮さんに面識があるなら,読心により弱みを握られた持田さんはそれを言い触らされたくなかったから犯行に及んだのではないか。是枝先輩の自白を預言できたのも同じ理由ではないだろうか。


 こう考えると筋は通るけど,今度は立証が難しくなる。一体どうすれば脅しの証拠を掴めるだろう。当事者が口を割らないのは勿論,読心で握られた弱みを聞き込みで把握できる保証はない。そもそも読心のトリックを暴く必要もある。


 この仮説を時田さんは否定こそしなかったものの,渋面も崩さなかった。「確かに説明つくが,物証がない限り検挙にまでは至らないな」と至極冷静な感想の後続けた。


「窓ガラスを実際に持田汐音が割った証拠を集めるのは時間との勝負だ。だから先にその証拠固めを進めるのが無難だろう。だがこの件の担当はもう任せたんだ,その後自分の考えた可能性を検討すればいい」


 思えばこの時既に井上を頼らないという決意は固まりかけていたのだろう。それは何も落ち込んでいるだろう変人を慮ってというわけではなく,戦略的な意味合いが強い。


 宗宮さんが持田さんを脅していたという考えが正しかったとしても直接証拠は得られまい。このシナリオを宗宮さんに突き付けるためには読心のトリックと,預言が脅しに基づくことを示す間接証拠の2つが欠かせない。前者は知識と推理力のある井上でなければ解き明かせないかもしれないけど後者はわたしでも証拠を集められる。


「警備の人いるみたいだね」


 梓の声に呼び戻され,ふと顔を上げた。正門から少し離れた所に警備員控室の灯りが見える。


「警備員控室って今まであまり注目したことなかったけど,意外としっかりした造りなんだねー」


 確かに,想像していた控室のイメージと実物は幾分異なっていた。8畳程のプレハブ小屋を思い浮かべていたのだけど,実際にはコンビニ店舗程の大きさだ。外観はコンクリートの白い壁に窓と扉のついた質素なものだけど耐久性は良さそう。


「それじゃあ,入ろうか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る