第6話
ボケているのか素でやっているのか判断に迷うわたしとは裏腹に,宗宮さんはこの奇行を見事にスルーした。椅子から立ち上がり井上に対峙する。狗神様も心得たもので身を起こし椅子から飛び降りた。お告げ云々はともかく賢いことは確からしい。
「勘違いされる方も多いので断っておくと,狗神様そのものは神の遣いに過ぎません。ですが神より授けられたその力は強大で,どんなに疾しい心でも立ち所に明かすことができます。わたしの役割はそれを読み解き伝える仲介役です」
狗神様を見下ろしていた宗宮さんは,視線をこちらに向け不敵に微笑む。
「ですから,読み取ったことは全てありのままにお話しします。隠し事や嘘偽りを暴かれる覚悟がおありでしたら,狗神様の前に立ち目を合わせて下さい」
整った容顔に浮かぶ微笑みは,底知れない沼のように不気味に映る。全てを白日の下に晒すと言われ井上もさすがに躊躇いを覚えたらしい。口を噤み静かに狗神様を見下ろしている。それでも引くに引かれないと思ったのか,やがて狗神様の前へ進み出た。
「……それでは始めます。肯定する場合は1度だけ吠えます。回数で答える必要がある時はその分吠え続けます。何でも好きなように聞いて下さい」
特に始める際儀式は必要ないらしい。考えを巡らしたのか井上は一瞬間を置く。
「私の名前は井上了ですか?」
この程度の問いに答えられないなら端から歯牙にもかけないということだろう。狗神様は間を置かず「ワン」と1度だけ吠えた。
「私は何日生まれですか?」
ワンワン!
「では生まれた月は?」
ワンワンワンワン!
「私が今朝目覚めたのは何時頃?」
ワンワンワンワンワン!
「……整数19のn乗+(-1)のn-1乗×2の4n-3乗の全てを割り切る素数は何?」
ワンワンワンワンワンワンワン!
信じられないように狗神様を凝視する井上は呆然と呟く。
「……全て合っています」
嘘,本当に?
ぞわぞわっと全身が総毛立つ。
井上が質問する間何か指示を出すのではと宗宮さんを見張っていたけど,狗神様は目を逸らさなかったし不審な動きもなかった。恐らく指示を出したり予め吠える回数を覚え込ませたりする可能性を考慮し最後数学の問題を加えたのだろう。けどいくら名の通った進学校とはいえまだ1年生の宗宮さんが咄嗟にその回答を導き出せたとは考え難い。つまり,宗宮さんが狗神様の吠える回数を操っている可能性は否定して良い。
予測を外され井上は不可解そうに眉根を寄せる。その顔からふざけている気配は読み取れず,本当に目撃した現象が説明できない困惑が伝わってくる。これでは本当に狗神様が井上の心を読み取ったようではないか。
堪らず口を開いた。
「狗神様っ,井上が揉み消した不祥事が何件あるか教えて下さい!」
「ってそれは今聞くことじゃないです」
困惑はどこへやら,井上はすかさずツッコミを入れる。チッ。今ならこいつの悪事を暴けると思ったのに。
「そのまま狗神様の方を向いていて下さい。井上先輩が今日来られた理由は,わたしが新聞部部長の停学を預言したからですね」
宗宮さんは狗神様と井上を向かい合わせたまま問いかける。一瞬わたし達に対する問いかと思ったけど,狗神様が一度吠えたことで遅ればせながら主導権を握られたことに気付いた。
「新聞部といえば,先月保管庫での不審火が話題になりましたね。先輩方はそれに関わっているのでしょうか」
ワン!
「成程。ですがその件に関わったお2人がここに来られたのは不思議な話です。不審火と新聞部部長の停学は関連があると先輩方は考えているのでしょうか」
ワン!
「益々分からなくなりましたね。どうして終わってしまった2つの事件を調べているのでしょう。それとも,まだ不可解な点が残っているのでしょうか」
ワン!
「全容が明らかになっていないのはおかしいですね。事件に関わったなら不審火の謎は井上先輩が解き明かしたはず。解決した本人がまだ調べを進めているのは奇妙を通り越して異様にすら思えます。何か事情があるのでしょうか」
ワン!
まずい。直観的にそう感じた。
何らかのトリックであろうとなかろうと,このままでは学察の内部情報が駄々漏れになる。下手すると保管庫の事件関係者の個人的な事情まで暴かれかねない。棒立ちの井上の前に割って入る。
「宗宮さんもう止めて。狗神様が本当に心を読めることは良く分かったから。こいつも疑ったことを後悔しているみたいだから,もう止めたげて」
虎視眈々と獲物を狙う肉食動物のような目付きを浮かべていた宗宮さんは,残念がる表情を見せたものの「お分かりになられたなら結構です」とそれ以上畳みかけず優雅に踵を返した。その足音を聞きつけたのか狗神様も椅子に戻る。井上は狗神様がいた辺りに目を釘付けたまま微動だにしない。
「ほら。ショックなのは分かるけど,今は出直した方が良いでしょ」
宗宮さんに聞かれないよう井上の腕を引く。予想を超えて狗神様はかなり正確に情報を引き出せるしそのトリックは皆目見当がつかないけど,宗宮さんの態度からこれが超常的な預言の成せる業ではないという感覚は掴めた。ここは一旦引き下がりどのようなトリックか検討する方が得策だ。
井上を引っ張ってこの場から逃れようとするわたしに,隣に控える狗神様を撫でながら宗宮さんは奥ゆかしく告げた。
「そう言えば,読心はともかく預言についてはまだ信じて貰えていないようなので,1つ預言しますね。明日の朝校内の窓ガラスが割られます。場所は部室棟の1階,枚数は42枚です。窓を割るのは1年1組の持田
こうして,不吉な預言と共に狗神様との邂逅は幕を閉じた。この邂逅は学園探偵にとって,恐らくこれまでの事件で最も無様な敗北だった。
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