上弦の月


 今日も深月から誕生日プレゼントで貰ったスノードームを飾っていた机の上から手に取る。

 充電式になっていて、スイッチを入れると海月が青白く光って、そこにキラキラと銀の雪のように舞う様子を、僕は飽きることなく見ていた。


「深月……。」


 僕は部屋でそっと深月の名前を口にしてみる。胸が擽ったくなり頬が緩む。

 休み明けに案の定、花田の惚気けを聞かされた。胸はチリッと古傷のように傷んだが、以前の引き裂かれるような痛みはなかった。

 むしろ、僕だってその日は深月と特別な一日を過したんだと言いたいくらいだった。


 僕は、水族館に深月と行った日から、深月のことが頭から離れない。そばにいる時も離れている時まで。

 花田に恋をしていた時よりも相手の事を想っている時間が多い気がする。しんしんと降り積もる深月への想いに、僕の胸に少しずつ満たされていく。


「もうちょっと待っててね。」


 古傷さえ痛まなくなった頃、僕の胸はどれくらい満たされているのだろう?そう遠くないうちに深月に伝えられたらいいな。



「なあ、カラオケ行かないか?」


 授業が終わって早々に、こちらに来た花田が急に僕と深月を誘って来た。珍しいというか久しぶりだな。


「なんで俺と雪也を誘うの?彼女と行けば良いのに。」


 お弁当を持って僕と机をくっ付けに来た深月が花田にそう言った。

 

「その彼女とカラオケ行く前に練習したいんだよ。」

「あー、なるほど。」


 僕は、花田のブレない彼女への気持ちに感心する。嫌そうな表情の深月に苦笑したが、僕は深月に言った。


「久しぶりに三人で行く?」

「……雪也が行くなら俺も行く。」

「よっし!決まり。じゃあ放課後な!」


 花田はそう言うと彼女の元へと向かう。ベタ惚れだ。僕がその背中を見送っていると、気遣わしげに深月が言った。


「雪也、大丈夫か?」

「ん?何が?」


 僕がキョトンとすると、深月も意外そうな顔をして僕を見つめてきた。


「いや、花田の事。大丈夫なら良かった。」

「あ、言われてみれば……。」


 あはは、と笑って誤魔化しつつ僕自身驚いていた。深月の歌が聴けることの方に気を取られていた僕は、花田の事を特別気にしていなかった。


「深月の歌、楽しみにしてる。」

「人前で歌うの得意じゃないんだけど、雪也が言うなら。」

「深月の歌うの好きだよ。」


 僕がそう言うと、深月が珍しく照れた顔を見せた。


「じゃあ、雪也の為に歌う。」

「エヘヘ。うん!」


 深月の言葉が嬉しくて、ニマニマが止まらない。そんな僕を微笑んで見つめてくる深月から目が離せない。お弁当を食べながら、取り留めのない話をしながら、放課後を楽しみにしていた。



 カラオケに行くと、ほぼ花田のワンマンショーだった。深月なんて「歌ったの全部歌えばいいと思うよ。」と、投げやりな感想を言っていた。

 僕も最初は真面目に聴いていたけど、途中から「上手いねー。」くらいしか言えなくなった。


「ん?あっ!彼女からだ。悪い、ちょっと抜ける。」

「行ってらっしゃい。」


 花田はスマホを持って部屋から出て行った。僕は、いそいそと深月におねだりしてみる。


「ねえ、深月の歌聴きたいな。」

「ん、約束だったしな。花田もちょうどいないし……母さんの得意な歌なんだけど、俺も気に入ってる曲なんだ。それ歌っても良い?」

「うんっ!」


 そう言って流れ始めたイントロは、僕も知っている冬の曲だった。

 冬の定番恋愛バラード曲。

 でも、深月の深い柔らかい声で歌われると、僕が深月にして貰った色々な事を思い出す。

 失恋して深月の腕の中で泣きじゃくったあの日。

 気遣わしげにいつも僕を見守ってくれる深月。

 包み込まれるような愛に、僕は自然と涙が溢れて止まらない。

 深月、僕は深月の事をこんなに好きになってたんだ。

「愛してる」なんて歌詞のようには言えないけど「ずっと一緒にいたい」って思っているよ。

 伝えよう。今日、深月に告白しよう。僕はそう思った。


「雪也、伝わった?」


 深月の言葉で曲が終わっていたのを知った。僕は涙を止められないまま何度も頷いて、伝わったよ。と声にした。深月は苦笑してハンカチで僕の目元を抑える。

 早く伝えたい。僕が口を開こうとした時だった。


「二人とも悪いな、彼女とこれから会うことになった……って、ええ!雪也泣いてるのか?」

「だって、深月の歌が良過ぎて……。」

「雪也の事は気にするな。花田も帰るなら、俺達もかえるよ。いいか?雪也。」

「うん。花田びっくりさせてごめんね。早く彼女のところに行ってあげなよ。」


 僕がそう言うと、花田も安心したのか三人で店を出ると一人で彼女の元へと向かった。

 外はすっかり暗くなっていた。


「深月、二人であの公園に行きたい。いいかな?」

「……いいよ。」


 深月と僕は二人で雪道を歩く。今夜は夜空が綺麗に見える。その分冷え込んでいて、さっきまで濡れていた頬はピリピリと凍りつくようだ。呼吸が真っ白に立ちのぼると途中で消えていった。


 言葉少なに公園に着くと、今度は僕が深月に缶コーヒーを奢った。僕はまたココアだ。

 持っている両手が温まる事に勇気を貰って、僕は深月に話しかける。


「深月、僕が失恋したあの日、慰めてくれてありがとう……告白もびっくりしたけど、嬉しかったよ。」

「……うん。」


 深月が少し緊張した声を出した。

  

「それから、ずっと僕のそばにいてくれてありがとう。失恋で苦しかった胸が少しずつ癒されていったんだ。」

「うん。」

「水族館は楽しかったな。二人きりみたいで、本当にデートみたいだった。」

「俺としてはデートに誘ったつもり。」


 ほんの少し拗ねた深月に僕はちょっと可愛いと思ってしまった。

 

「ふふ、そうか。あの日の誕生日プレゼント凄く嬉しかった。僕、今でも毎日見ているんだよ。そうすると、深月の事を思い出すの。」

「……」

「それから、学校でも、家でも深月の事を想っているよ。」


 僕はゆっくり息を吸って、真っ直ぐ深月を見つめた。深月も僕の事をジッと見ている。


「好きだよ、深月。」


 告白した途端、グッと腕を引っ張られ強く抱きしめられた。


「俺も……俺も好きだ。雪也。」

「待たせてごめんね。深月。」


 少し震えている深月の腕を感じながら、僕も深月に腕を回す。ピクリと深月が動くと、僕と頬と頬を擦り合わせて、もう一度、好きだと言った。

 深月の思っていた以上に深い想いに気付かされて、僕は言った。


「深月の気持ちには、まだ追いつけないけど、いつか満月みたいな想いを深月にあげるから、待っててね。」


 僕がそう言うと、ほんの少しだけ身体を離した深月と目が合う。


「楽しみにしてる……でも今は、コレちょうだい?」


 深月はそう言って、僕の唇に親指でなぞるように触れた。僕は深月をウルウルと見つめた後、ゆっくりと瞼を閉じた。

 フワリとコーヒーの香りがして、冷んやりとした柔らかなものが唇に触れた。徐々に温かくなっていく感触に、今、僕は深月とキスをしているんだと実感する。

 僕のファーストキスは、ココアの甘い味とコーヒーのほろ苦い香りがした。自然と涙が一粒流れ落ちたが、それは幸せの証だった。 

 

 

 

 


 

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