婚約破棄上等よ!~追放令嬢は隣国で推し活が捗りすぎて尊みしかない~

宮永レン

前編 追放?自由への招待ではなくて?

「これより、リリアナ・フォン・ロッツェン侯爵令嬢を、ロッツェン家および我がノクトレス国から追放する!」

 壮麗な大広間で高らかに響いた声の主は、リリアナの婚約者であり、この国の王太子、ルディ・ヨアヒム・ヴェイヒトだった。


 さきほどまで奏でられていた華やかな音楽が止み、大広間はしんと静まり返る。

真紅のドレスをまとったリリアナは、優雅に背筋を伸ばしたまま、ルディを見上げた。


「追放ですって? 一体なぜでしょうか?」

 小首をかしげれば、艶やかなストロベリーブロンドが肩を滑る。


「お前のような冷たく感情のない女とは結婚できない。それに、私はすでに新しい愛を見つけたのだ!」

 ルディの隣には、可憐で楚々とした美貌を持つ令嬢クロエが立っていた。彼女は怯えるようにルディの腕にしがみつきながらも、どこか勝ち誇った目線をリリアナに向ける。


「これまでクロエに数々の嫌がらせをしてきたそうだな。その挙句、家の財産まで持ち出させ、金品を奪ったそうではないか!」

 ルディの言葉に、クロエはわっと泣き出し、彼の胸に顔を埋めた。


 周囲が疑いの眼差しと非難めいた囁きで満たされていき、徐々にリリアナのそばから離れていく。


(お付き合いを握り潰すこともできたのに、それをしなかったのはあなたが殿下に心酔していらしたからよ。わざわざ嘘をでっちあげるまでもなく、このまま待っていれば婚約解消するつもりでしたのに――)


 リリアナは眉一つ動かさず、壇上の若い恋人同士を見つめていた。かつてルディとリリアナは家格が釣り合っていたからという理由で婚約が決まった。だがルディは高慢で自己中心的な男で、まったく価値観が合わなかった。苦痛でしかない未来をどうにか変えられないかと思っていたところ、ルディがクロエに靡き始めたので、それを放置することにしたのだ。


 思っていたよりも早い破局劇を不思議に思ったリリアナの視線が、クロエの頭からつま先まで移動する。


(あのドレス……なんだかシルエットがおかしくないかしら?)

 そこで合点がいった。


(……そういうことね)

 クロエが身に着けているのは、妊婦用の締めつけの少ないドレスだ。まだお腹が目立っているようには感じないが、二人には結婚を急ぐ理由ができた、ということだろう。


 リリアナはふっと笑いを漏らした。


「な、何がおかしい!」


「国外追放など……大げさだと思っただけです。わたくしを遠くへやらなければ殿下を取り返されるとでもお考えになったの?」


「そっ、そんなわけないでしょう! あなたの顔を見ただけで私は食欲もなくなり、夜も不安で眠れなくなるのですっ」

 リリアナの言葉に、クロエはムキになったように声を上げた。その途端に、うっと口元を掌で押さえる。その様子に、周囲からは痛々しいほどの同情がクロエに向けられた。


(それ、いわゆる悪阻つわりというものではなくて? 女性の体の構造を学ぶ教本にも書かれておりますのに)

 ひょっとしたらそれを知ったうえで懐妊も演技なのかと思ったが、それはもうリリアナには関係のない話だ。


「わかりましたわ。それでは、追放の処遇をお受けいたします」

 リリアナは胸を張り、嫣然えんぜんと口角を上げた。


「え?」

 ルディを含む大勢の拍子抜けた視線が一斉にリリアナに集中する中、彼女の父親であるロッツェン侯爵が出てくる。


「殿下! これは何かの間違いでございます! リリアナはそんなことをするような娘では――」


「庇い立てするなら、爵位も領地も永久に取り上げるぞ!」

 ルディの厳しい声色に、侯爵は何か言いたげに口を開いたが、やがて諦めたように項垂れる。


「お父様、申し訳ありません。今夜限りでお別れでございます」

 父の肩にそっと手を置くと、微かに震えていた。


「リリアナ……お前がいなくなってしまったら……我が家は……」

 侯爵はこちらを向き、不安そうに見つめてきた。


「ヘンドリットお兄様がいらっしゃるではありませんか。この親不孝者の娘のことなど、どうぞお忘れになって」

 リリアナは琥珀色の瞳を柔らかく細めた。


「な、何を言っているのだ、リリアナ。だめだ、お前に出ていかれたら――」


「国外追放の命は覆さぬぞ!」


 ルディの再びの鋭い声に、侯爵は軽く舌打ちした。向こうに背を向けていたので幸い耳に入ることはなかったが、このまま留まれば父が暴れ出しそうだ。


「本当に申し訳ありません。それではみなさん、さようなら」

 リリアナはドレスを摘まみ上げ、完璧なカーテシーを披露すると、颯爽と大広間を後にした。


(お父様は困りますわよね。侯爵家の経済を長年支え、財務や貿易を回してきたのがだと、周囲には秘密にしてきたのですし……)

 そうはいっても、今回ばかりは仕方がない。楽観主義の頼りない兄の性根が変わることを祈るしかない。



 翌日、リリアナは一路、隣国ルヴェールへ向かう馬車に乗っていた。荷物は少ないが、幼い頃から秘かに集めてきた貴金属や、家計の整理で得た私財をしっかりと持ち込んでいた。


 目指すのは、劇場都市アルカリスだ。そこには彼女が密かに推し続けている舞台女優アリックス・オルロープがいる。


 アリックスは孤児院育ちで、貴族の援助もないままにトップ女優の地位を掴んだ女性だ。その存在を知ったのは、彼女が所属する劇団がノクトレス国へ公演に来た時だ。圧倒的な演技力と、歌声、その裏にある人間味のある信念に、リリアナは胸を打たれた。


 しかしながら国外への移動、舞台の準備には多額の資金が要るらしく、彼女がアリックスの舞台を目にしたことはほんの数回のみ。


 ルディは演劇にはまったく興味がなく、いくらリリアナが推しの魅力について語っても時間の無駄だと言われるだけだった。そんな男は見限るしかないだろう。


「……これで、推しに会いに行けますわ!」

 リリアナは流れる景色に向かって叫んだ。


 旅路の途中、彼女の膝の上では白猫のレオが気持ちよさそうに丸まっている。彼は一年前に王都で拾った野良猫だ。その恩義を感じているのか、リリアナが家にいる時は片時もそばを離れることはなかった。


「レオ。家にいた方が一日中寝て暮らせたのに、ついてくるなんて、よっぽどわたくしのことが心配なのね。ありがとう」

 リリアナはふわふわの毛並みをそっと撫でる。


 レオはアイスブルーの瞳で彼女を見上げると、一声鳴いて同意するように尾を揺らした。


 隣国へ向かったリリアナは私財を売り払い、それを元手に持ち前の才覚を活かして貿易事業を立ち上げ、たった数ヶ月で大成功を収める。


 『追放令嬢』ではなく、今や『商業の才女』として名を馳せ始めた彼女のもとには、多くの商人や貴族が訪れるようになった。


 そして、アリックスが主演を務める舞台公演の千秋楽――念願のプレミア席のチケットを手に入れることができた。


「夢みたいですわ……!」

 リリアナは劇場の最前列で推しの姿を見つめ、その圧倒的な演技に涙を流した。そして終演後、偶然のきっかけでアリックスと話す機会を得る。


「アリックス様の演技、本当に素晴らしかったです!」

 リリアナは舞台のクライマックスに天井から降ってきたキラキラの銀色のテープを手に目を潤ませた。


「ありがとう。あなたのような熱心に応援してくださる方がいるから、私は舞台に立てるの」

 アリックスは凛々しい眼差しを緩め、微笑んだ。


 その一言で、リリアナの胸は熱くなった。


(推しがこんなに優しいなんて……これはもう一生ついていくしかないですわ!)

 リリアナがルヴェール国で新生活を楽しむ中、アリックスが所属する劇団に危機が訪れた。


 最近はやや公演がマンネリ化していたこともあり、貴族たちからの資金援助が打ち切られ、次回作の上演が危ぶまれているというのだ。


「それなら、わたくしにお任せください」

 リリアナはアリックスと劇団に自分の知識と資金を提供することを申し出る。


 かつて家計を支えていた経験と、今まで蓄えてきた資産の一部を切り崩し、スポンサーとして名乗りを上げたのだ。


 アリックスと劇団のメンバーは感謝しつつも、リリアナの行動力に驚きを隠せない。けれど彼女はさらに次々と実務的な問題を解決し、舞台制作を成功へ導いていく。


 劇団は再び黒字に転向し、チケットは飛ぶように売れ、かつての栄光を取り戻した。


 そんな中、アリックスはふとリリアナに尋ねる。


「リリアナさんは、どうしここまで私たちを助けてくれるの?」


「それは……わたくしがあなたのファンだからですわ。推しは推せるときに推せと申しますでしょう?」

 リリアナの率直な言葉に、アリックスは目を瞠った後、思わず微笑む。


「あなたのようなファンに恵まれて、私たちは本当に幸せよ。これからも素晴らしい公演を作り上げていくから、応援していてね」


 ああ、今日も推しが尊い。


「ええ。もちろんですわ!」

 そんな才女には縁談も絶えなかったが、すべて断っていた。


「わたくし、推し活で忙しいから、恋愛なんてしている暇はないのよね」

 夜、ベッドに入ってきたレオの喉を優しく撫でながら、リリアナは呟く。


「だって癒しはあなたで充分だもの」

 リリアナはレオの柔らかなお腹の毛に顔を埋めて、スーハーと深呼吸を繰り返した。猫飼いにとって至福のひと時である。


「猫吸いはたまらないわ。ふふ、ミルクの匂いがする。また一緒にお風呂で洗ってあげるわね」


「ミ“ャー……」

 しかし、レオは何か言いたげに歯切れの悪い返答をするだけだった。


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