第三十三章

 トニーはジョージと一緒に故郷に降り立った。

約二年振りの。

生まれ育って十六歳まで暮らしていた…とはいってもアイドル活動で多忙だったから何も知らないに等しい。

トニーはジェシカが六歳まで暮らしていた家の跡地をジョージに案内されて来た。

現在は家は取り壊され更地になっていた。

ジョージは、こういう家だったと、当時の写真を見せてくれた。

白い二階建ての家は青空の下で住む人を優しく迎えるような存在感を放っていた。


ジェシカの父親──ジェイムズが殺されているのを発見した友人は華奢な女性だったが気丈に警察に通報した。

そして居間に行ってジェシカの母親が娘に暴力をふるっていたのを母親の背後から羽交い締めにして暴力を止めさせようとしたがジェシカの母親ローラは暴れて抵抗して揉み合いになっていた所に警官が到着した。

ジェイムズの友人、フルート奏者の女性はジェシカを抱き起こしジェイムズを乗せた救急車に一緒に乗せ、ジョージに連絡してきたという。


「彼女の母親がヴァイオリンの弓でね…背中を、めった打ちしたんだよ。だけど初めて会った時、彼女は痛みに声をあげて泣くこともしないで耐えていたんだ」


それを聞いたトニーはジェシカの背中に、月明かりの下で蓄光が弱まった時計の針のように光る微かな無数の傷跡を見たことを思い出した。

見る角度で、よほど目を凝らさなければ、見えない。それとハッキリ判るほど酷い跡ではなかったけれど。


『トニー?どうしたの?背中に何か、付いてる?』

背中にキスしたり撫でていた手が止まったトニーに訊くジェシカは傷の原因を覚えていないか知らないような様子だった。

『何もないよ。綺麗だから見とれていたんだ』

月明かりの下で微かに見えた傷跡すら美しかった。

『やだ、もうトニーったら』

ジェシカがはにかんで微笑みトニーの方に寝返りをうって抱き締めてキスした。

『本当だよ。とても綺麗だ』

トニーもキスを返した。


「じゃあ、そろそろ行こうか」

ジェシカとの思い出に耽っていたトニーにジョージが静かに声をかけた。

「はい」

次に向かったのはジェイムズの墓だった。

トニーは真っ白な花を供えた。

──ジェシカのお父さん、はじめまして。トニー・オルセンっていいます。

ジェシカと付き合っていました。だけど…彼女を守ることが出来なくて、すみませんでした。

今はジェシカと天国で仲良く暮らしていることと思います。

どうか、安らかに。

トニーはジェイムズに心の中で伝えるとジョージと共に次の目的地へ向かった。


次の目的地はジェシカの母親が収監されている刑務所だった。


面会室に現れたジェシカの母親は、グレーの囚人服を着て茶色い髪をショートカットにしていた。

卵型の顔の輪郭にギリシャ彫刻の女神のような顔立ちをしていて美しい容貌だけどジェシカとは似ていなかった。

──ジェシカは母親似じゃないんだな、

トニーはボンヤリ思った。

「誰?」

ジョージとトニーに一言問いかけダルそうな一瞥を向けて、すぐに目を逸らしドカッと椅子に座ると長いため息をついて下を向いたままでいた。


「ジョージ・ノースケッティアです。あなたの娘さんのことで以前に一度お会いしています」

ジョージが名乗るとローラは、しばらく黙っていたが、やがて、

「ああ、娘、ね。私の娘か。そういえば産んだっけ」

言いながらテーブルに片肘をつき手のひらで髪をクシャクシャッと乱暴にかきあげた。

「ふん、どうでもいいわ」

吐き捨てるように言ってからトニーを見ると舌なめずりして、

「あんたは何?なんで私に面会?いい男じゃん」

と言った。

「俺…いや、僕はトニー・オルセンといいます…あなたの娘さんと付き合っていました」

ローラは、ちょっと驚いたような表情を一瞬見せた。

「ああ、そう。そんな年頃になったんだ。何?娘と結婚したいから私に挨拶に来たってこと?そんなの気にしないで勝手に結婚すればいいのよ。面会に来たってことは知ってると思うけど私は自分の旦那を殺したのよ。つまりアンタが結婚するのは殺人犯の血をひいた娘だけど、いいワケ?娘は私と同じヴァイオリニストにならないでピアニストになりたいって言ったわ。旦那…は突然、私と離婚…したいとか言って…言って」

呼吸が乱れ言葉が途切れ途切れになり、わなわなとローラの肩が震え、頬を涙が伝った。


ローラは自分が罪を犯した日から時間が止まっているのかもしれない。

トニーはローラの様子を見て、言葉を発することが出来なかった。

言うべき言葉が見つからなかった。

「あなたの娘は亡くなったんですよ。彼はジェシカの母親である貴女に会ってみたいと言って、だから来たんです」

ジョージが静かにハッキリとした口調で言った。

「死んだ?だから何?私が叩いたから死んだの?私の罪が増えたってこと?どうでもいいわ!どうせここから出られないんだから罪状が増えたって構わないわ。娘はピアニストになりたいってなりたいって…なればいいじゃない!旦那は私と、りこ、離婚したいって突然言ったのよ!」

ローラが肩を激しく上下に動かし呼吸が荒くなってきた。

「うああああああっ!」

突然叫ぶと一度、テーブルに伏してから上半身を勢いよく上げると左右に体を捻ってローラは椅子から落ちた。

看守が二人駆けつけローラを押さえた。

「死んだって?私は罪を償って生きているのに?なんでよ?なんでよぉ────っ」

ローラは両脇から看守に支えされながらも、まだ叫び続けていた。

「勝手なんだよ!離婚したいとか死んだとか!私の人生を返せ──────っ!うわああああああああぁ─────っ」

両足をバタつかせローラは看守に連れて行かれた。


ローラの叫び声は彼女が遠ざかるにつれ小さくなっていったがトニーの頭の中には、いつまでもエコーがかかって彼女の言葉が繰り返し響いていた。

『アンタが結婚するのは殺人犯の血をひいた娘だけど、いいワケ?』

──それは貴女の罪であってジェシカは関係ない!

ジョージから話を聞いて、ずっと思っていたことだった。ジェシカは母親が犯した罪にも苦しんでいた。ローラに、そう言えば良かったのだろうか…でも…。


「ジェシカのお母さん、一度もジェシカの名前を言わなかったですね…娘とは言っていたけど。俺が付き合っていましたって過去形で言ったのも気に留めなかった」

刑務所を出て駐車場まで歩きながらトニーは言った。

「そうだね…」

ジョージはポツリと返事をした。


二人は一度、街中へ出てコーヒーショップで休憩した。

今夜ホテルに一泊して朝早くに出発すれば午後にはエドワードの屋敷に到着する予定だった。

「疲れたかい?」

トニーがジェシカの母親に会ってから、ほとんど無言なのでジョージが声をかけた。

ジェシカの母親が、あんな状態では会わない方が良かったのではないか、と心配していた。

「いえ…なんて言うか…俺、ジェシカと付き合っていた期間は短かったですし、今は写真もなくて、彼女と過ごした時間すら幻のような気がしていたんです。だけど、こうしてジェシカのお父さんのお墓参りも出来たし、彼女のお母さんにも会えた。だから、ジェシカは本当に実在していたんだなって思っていたんです」

ほとんどコーヒーを飲み終えた紙コップを見つめてトニーが答えた。

彼の目に微かに涙が光る。


彼女の母親の精神は酷い状態ではあったがトニーは今、ジェシカが生きていた証を訪ねている。それが記憶を完全に取り戻すことが出来なかったとしても。

ジェシカが自殺してしまい、トニー自身は半身を裂かれたような感覚だったのではないか。トニーは部分的な記憶喪失が続いている。

「変なこと言ってすみません…ジョージさんにとって娘同然だったのに。お店でジェシカがピアノを弾いている姿だって俺は視ているのに」

ジョージは無言で微笑んだ。

「何も変なことじゃないと思うよ。写真すら手元になくて、しかも亡くなった時の記憶が無ければ、そんな風に考えることもありだと思うよ。あの子の母親に会って精神的に疲れているのでなければ良かったよ。明日の出発は早い。今夜は早く寝よう。そろそろチェックインの時間だ。行こう」

二人は、ゆっくり立ち上がると店を出てホテルに向かった。


チェックインを済ませて、部屋に荷物を置くと、トニーは外に出た。

ここは汽車やバス、馬車に乗り換えて、それぞれの目的地に向かう分岐点で乗り換え待ちの客相手の軽食やコーヒーを出したり土産物を売る店が廃ビルなどの間にポツポツと点在する所で観光するような場所はなかった。


──十年くらい前、まだ小さかったジェシカがエドワードさんの屋敷に行く為に通過した場所。彼女は、こんな風に歩き回らなかったと思うし、ジェシカと付き合っていた俺がエドワードさんの屋敷を訪ねて行くなんて…小さかった彼女には俺と出逢って付き合うとか思いもよらなかったことだろう。


夕闇が深くなってきて微かに風も吹き始め人気が殆どない通りに街頭が灯った。

トニーは立ち止まり真っ直ぐ通りを見た。

道路は広いけど車一台通らない。

飲み屋もあるようで遠くに明かりと賑やかに酒を飲む人達の声が聞こえた。

彼は踵を返してホテルに戻った。



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