第二十五章
やや濃いめのピンクと薄紫で染まった朝焼けの空が綺麗な早朝だった。
男は、ゆっくりとベッドから起き上がり少し腕を伸ばしてテーブルの上に置いた煙草とライター、灰皿を手に取った。
額にかかった自分の金色の髪をかきあげながら煙草をくわえ火を付けて深々と煙を吸い込んだ。
天井に向かって、ふう───っと勢いよく煙を吐いた。
──思いっきり濃いコーヒーが飲みたい…淹れるか。
男はベッドから出てシャワーを浴び服を着てキッチンに行った。
蛇口をひねりヤカンに水を入れて火をかけた。
コーヒーのドリップの準備をして。
チラリとベッドルームを覗いた。
遅い時間に訪ねてきた彼女は、まだグッスリ眠っている。
夕べは愛し合わなかったけど男は彼女が来てくれたことを心から喜んでいた。
同じベッドで一緒に眠ってくれたのも嬉しかった。
──腹が減った。卵とパンも焼くか…。そういえば旨いベーコンも買ったんだっけ。
男は鼻歌を歌いながらベーコンを切った。
──彼女も、そろそろ起きるだろう。
男は卵とベーコンを二人分用意してパンを取り出した。
「おはよう」
パンがトースターの中でキツネ色になり、女が、まだ目覚めきらない様子で、ゆらりとキッチンに現れた。
「おはよう。ベーコンエッグ食べるだろう?顔洗ってこいよ」
「…うん食べる。シャワー借りるね」
女はフラフラしながらシャワールームに向かった。
「ご自由にどうぞ」
男はフライパンからベーコンエッグを皿に盛り付けながら言った。
女はシャワーを浴びてスッキリした様子でキッチンに現れた。
「お腹空いちゃった」
言いながら椅子に腰掛ける。
「このベーコン旨いよ。コーヒー飲むか?リリー」
「要らない。何かジュースある?」
「オレンジジュースでいいか?」
コーヒーを自分のマグカップに注ぎながら男が言った。
「うん♪自分でいれるわ」
リリーは立ち上がり棚からグラスを出し冷蔵庫を開けてオレンジジュースを取り出した。
「私ねぇ…」
オレンジジュースを、たっぷり注いで一口飲むと椅子に座った。
「うん?どうした?」
男は自分で作ったベーコンエッグの出来に満足して食べている。
「…赤ちゃん、出来たかも」
リリーのいきなりの爆弾発言に男は驚いた。
「え、俺との…子だよね?」
「うーん…うん。生理こないの。妊娠初期だと思うわ(奴にレイプされてからピルを飲んだあとに生理来て良かったわ。彼とも安全日を選んだハズなんだけどなぁ)」
リリーはモジモジと肩を揺らしテーブルに視線を落としたまま言った。
「もちろん産む、だろう?」
驚いた男だがリリーを見つめる眼差しは真剣だった。
男はジュリアン・マーティンという舞台俳優で、背が高くハンサムで、そこそこ人気はあるものの最近では自分の演技力に限界を感じていて、そろそろ役者は本当に辞めようと考えていた。
「俺、役者辞めるよ。今、台本をもらっている分の今度の舞台で最後にする。最近、考えていたんだ。潮時かなって」
リリーが返事をしないのでジュリアンが話題をふった。
リリーはジュリアンの方を全く見ないでトーストをザクッと噛った。
約三ヵ月前に連れ去られレイプされたことで撮影に行かれず、すっぽかした形になり、それで事務所をクビになったことをジュリアンに言えていなかった。
言えばジュリアンは心配してくれるだろうけど、それは精神的に苦痛だった。
「辞めて、どうするの?YouTuber目指してベーコンエッグの作り方でも配信する?あなたのベーコンエッグは絶品よ。今日もとても美味しいわ」
ベーコンエッグを食べながらリリーは言った。
「俺は、もともと舞台照明の仕事をしたかったんだ」
リリーの、ややバカにした様子の言い方にジュリアンはムッともせずに答えた。
彼女とは、もう三年ほど付き合っている。
あまり機嫌が良くない時のリリーの言い方には慣れている。
ジュリアンは舞台照明の仕事に興味があり、知り合いを通じて見学に来たところを舞台監督がジュリアンを見初めて舞台に立たせた。
そんな縁で舞台俳優をしていたけど…自分を見出だしてくれた舞台監督には感謝しているけど自分は役者向きではない。それは自分が舞台に立ってスポットライトを浴びる側に立って更に判ったことだった。
リリーとはジュリアンが映画のエキストラを頼まれて行った先で知り合った。
あの頃、彼女は高校生で、主人公の友人役で出演した映画でブレイクしたての頃だった。
まだ十七歳で可愛い容姿と、ぎこちない演技力が初々しいと評価された。
そんな彼女は、それから演技力が上達する事もなく受けた主演のオーディションは悉く落ちている。
やっともらった台詞がある脇役の撮影を、すっぽかした、というのをリリーの行方を聞く為にジュリアンに電話してきたマネージャーから話を聞いていた。
ジュリアンは、今回すっぽかした理由をリリーに聞いていなかった。
付き合ってきて時々こうして一緒に過ごして傍で見てきたリリーは一度たりとも「役者」という仕事に真剣に向き合っていなかった。
『つまらないわ!あんな役じゃあ本気で演技する気になれないわ!』とか、
『私を主演に起用しない見る目がないボンクラな監督の映画なんて脇役すら御免だわ!』
などともらった役を突っぱねたり撮影をすっぽかす度にリリーは、そう言っていた。
今回また理由を聞いてもリリーは同じことを言うだろう、いつまでも、ぎこちない演技力が通用する甘い世界ではないのに。そんな不真面目なリリーに事務所側も見切りをつけるんじゃないだろうか、と事件を知らないジュリアンは思っていた。
──リリーだって女優向きではないと俺は思うけど彼女は続けたいんだよな。いや、脇役を極めたらいいかもしれないけど彼女は主演を目指しているんだよな…だけど…。
「リリー、産んでくれよ。俺、舞台辞めて働くから。子供が生まれて子育てが落ち着いたらカムバックすればいい」
リリーはベーコンエッグを綺麗に平らげオレンジジュースを飲み干した。
「うーん。考えとく。それに生理が遅れてるだけかもしれないし。今まで、こんなに遅れたことはないけどね。ごちそうさま、ありがとうジュリアン。私、帰るね」
リリーは、そう言って立ち上がり食器を片付けることもせず、上着を着ると自分の車のキーを取り出した。
車に乗り込みエンジンをかけた。
ジュリアンが家から出てきて見送ってくれたが一瞥もくれずに発進させた。
リリーは拐われてレイプされた後、その悪夢を払拭したくて繰り返しジュリアンを訪ねて抱かれていた。
──本当に赤ちゃんが出来たとしたらジュリアンの子供であることは確実だけど、なんとかトニーに会って生理が来てないことを話そう。
主演のオーディションは落ちまくって、ほとんどエキストラのような脇役しかもらえなくて。
つまらなかったんだもの。
トニーが、ちょっとカッコいいから誘惑して寝ようとしたのに上手くいかなかった上に他の奴にレイプされちゃうなんて最悪。
それに事務所をクビになったし。
最低。
つまらない。
つまらないわ!
このままジュリアンと結婚したとしても冴えない人生で絶対に、つまらないもん。
なによ、舞台照明の仕事なんて地味過ぎるわ!
人気バンドの彼を誘惑して結婚する方が注目を浴びて絶対にいいもの。
うまくやって見せる。
リリーはアクセルを踏んだ。
ジュリアンのことは特に好きでもなんでもなかった。
エキストラとしてリリーの目の前に現れた彼はカッコ良かった。一度きりのつもりでモーションをかけて関係を持ったけど予想外にジュリアンは真面目で一途な男だった。
──まぁ妊娠したって言った途端に態度が変わって逃げるような男じゃないのはいいけど、ちょっとウザ。
ジュリアンは、たまに会った時に寝床と美味しい食事を提供してくれるから便利なのよ。
リリーは、そのまま、トニーが住む隣の州まで車を走らせた。
ジュリアンはリリーの車を見送って彼女の車が見えなくなると家に戻って食器を洗った。
妊娠したかも、と言った彼女は全然嬉しそうではなかった。
長く付き合っていても結婚する約束をした訳ではなかったから、もちろん、戸惑いもあっただろう。彼女は、まだ二十歳なんだから。
そういえば彼女、なんとかというバンドのヴォーカリストのファンだとか言っていたな…その彼と付き合っているのか?
ジュリアンはリリーが自分と付き合っていても気晴らしに他に他の男と関係を持っているのを薄々気づいていた。
それでもリリーは必ず自分の元に帰ってくる。
今回また、そのヴォーカリストに飽きたら戻ってくるだろう。
ジュリアンはリリーを愛していた。
役者で貯めた金は彼女が子供を産んでくれる時の為に使おう。
コーヒーを飲み終えてジュリアンは台本を読み始めた。
この役を終えたら、本当に舞台照明の仕事を勉強しよう、と決意した。
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