二、【雨宿り】その③



不意を突かれた霖鵜はありきたりな褒め言葉をぶうぶう批判しながら、文碧のそばに歩み寄っていった。


「旦那さまならもっと褒めてくれ……」


 ただ、仏頂面のまま寝台に腰掛けようとしたとき、霖鵜は文碧の頬に一筋の涙が伝っているのを見て息を飲んだ。


「どうしたの?」


 霖鵜の気遣う声を聞いて、文碧はこの時初めて自分が涙を流していることを知った。音を立てないようにとなりに霖鵜が腰掛けるので、なんでもないよ、と呟いて袖で涙を拭う。霖鵜はしばらく文碧の顔を覗き見ていたが、わざとらしく足を揺らして。鈴の音を鳴らした。


「……私の歌声、旦那様は、もっと褒めてくださるのに!」


 一拍置いて、場違いのような霖鵜の声が室に響き、文碧は顔を上げ、霖鵜も伺うようにその顔を見上げた。もう涙のあともすっかり乾いて、いつもどおりの表情に戻っているのを見ると、霖鵜はまた足につけた鈴の音を鳴らした。


「そ、そうかい、……でも。きれいだよ。ただそうとしか言えないな……」


 ただ、文碧の様子を見て、まだおぼつかないふうだと思った霖鵜は、文碧をまじまじと見つめた。それに対して文碧が「目に穴が空いてしまう」と困ったように言うので、霖鵜は分かりやすく唇を尖らせ、はっとした顔で言った。


「口下手なのね、大旦那様って!」


 なにか大発見でもしたというふうな霖鵜の元気いっぱいな声が室に鳴り響き、文碧は悲しそうな表情で頷いた。


「いたたまれなくなるじゃない!」と堪らず霖鵜が声をまた上げると、文碧は今度ばかりは少し冗談めかした声で笑ってみせた。


 


「じゃあ、またね」


 霖鵜がそう言うと、文碧は小さく頭を下げ、霖鵜は室の扉を閉じた。また小さな庵に静寂が訪れ、文碧は涙の流れた跡をそっと指で拭った。最後に泣いたのはいつだったろうとふと考え、文飛の母が亡くなったときだったろうと思い出し、窓の外に視線を投げる。文飛の母、自分の父親の妾であり、最愛であった人。


 文碧は胸に手を当て、ゆっくりと息を吐き出し、冷えた夜の空気を吸い込んだ。


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