第16話 -彼女からの試練-

「試練か……あの時のクソガキも、そんな大それたことを言えるようになったものだな」


 リヴェルクは湯気の立つ茶が注がれたカップを口元に運び、悠然と微笑みながら言った。その何気ない仕草に、尋常ならざる威厳が漂う。吾輩はその態度に少し圧倒されながら、ずっと気になっていたことを口にした。


「リヴェルク、貴様は吾輩の父上のことを知っているのか?」


 リヴェルクの動きが止まり、鋭い銀色の瞳が吾輩を射抜いた。その視線には確固たる自信と過去の重みが宿っている。


「当たり前だ。我とお前の父、ラグナフィスは、百年前からの仲だからな」


 リヴェルクはカップを置くと、懐かしむような表情を見せた。だがその口元には微かに笑みが浮かび、語る言葉にはどこか毒が混じっている。


「奴がまだ魔王と呼ばれる前、この未踏の地に鍛錬に来たのが始まりだ。奴は毎日ここに通ってきては、剣や魔法を磨いていた。興味が湧いた我が姿を現すと、初対面の奴が言い放った言葉が、『おばさん』だの『隠居生活してるババアだ』だったな」


「……」


 吾輩は一瞬、言葉を失った。吾輩の父上がそんな無礼極まりない発言をする姿を想像できず、信じるべきか悩んだが、妙にしっくりくる気もする。


「まぁ、それでも奴には潜在能力があった。我は気にせず、剣術や魔法の鍛錬を奴に教えた。育成というのは我の趣味みたいなものでな。今でもあの未熟者に一発鍛錬をつけてやりたいと思うほどだ」


 リヴェルクは口角を上げて笑みを浮かべる。その笑顔には、過去を振り返る楽しさと、どこか辛辣な感情が混じっていた。


「……未熟者呼ばわりされるとは、父上も大変だな」


 吾輩は心の中でそう思いながらも、リヴェルクに向き直った。


「さて、こんな昔話はここまでだ。本題に戻ろう。お主らはこの未踏の地に眠る禁書や禁断の魔法を探しに来たのだろう?」


 リヴェルクはカップの中身を飲み干し、卓上に置く。その仕草には無駄がなく、こちらの話を待つという余裕すら感じられる。


「そうだ、吾輩達は父上からの試練としてここに来た。不躾で済まぬが、この未踏の地に眠る禁書の調査を許可してもらえないだろうか?」


 吾輩は慣れぬ敬語で言いながら、リヴェルクに頭を下げた。その姿を見たリヴェルクは少し驚いたような表情を見せ、やがてクスッと笑った。


「全く、親も親なら子も子だな。やはり血は争えん。まぁ、良かろう。ただし、条件がある。それを達成できれば、調査を許可してやる」


「条件?」


 吾輩が問うと、リヴェルクは意味深な笑みを浮かべながら、いくつかの条件を挙げた。


「1つ、人間界にある菓子屋で我が予約した菓子を取ってくること。2つ、我と修行すること。飽きるまでだ。3つ、この未踏の地に生まれる禁断の魔獣を討伐すること。この三つを達成できれば、お主たちの望みを叶えてやる」


 その内容に吾輩は唖然とする。


「菓子屋? 修行? 禁断の魔獣? なんだそれは……?」


 あまりに唐突な条件に困惑する吾輩の横で、グリオンがリヴェルクに恐る恐る尋ねた。


「あ、あの……リヴェルク様、修行というのは具体的に? それと、禁断の魔獣とは……?」


 リヴェルクはグリオンの質問に答えながら、それぞれの条件について詳しく説明し始めた。


「修行はそのままの意味だ。グリオンとやら、お主はここに残るも帰るも自由だが、ヴァミリアには我と修行してもらう。我の目には、彼女の魔力がまだ未完成に見える。大いなる潜在力を持ちながら、それを活かせていないようだな」


 図星を突かれた吾輩は反論できず、言葉を飲み込む。


「そして禁断の魔獣だが、ここ未踏の地は禁書や禁断の魔法が集う場所。それゆえ、稀に禁断の力を宿した魔獣が生まれる。我はこれまで討伐してきたが、さすがに体も衰えた。残り半年で生まれる魔獣を討伐する、それが課題だ」


「半年……」


 吾輩は唖然としたままリヴェルクを見つめた。


「最後に菓子屋だが、人間界の秘境と呼ばれる場所にある。そこで予約した菓子を忘れず取ってくること。……どうだ、挑戦するか?」


 リヴェルクの目は挑戦を待つように輝き、吾輩を試すかのように見つめていた。

 

「ヴァミリア様、ここは——」


「受けよう、その試練」


 グリオンの言葉を遮り、吾輩は覚悟を込めた力強い声でそう言い放つ。その決意に、リヴェルクの口元が不敵に歪む。鋭利な笑みがその顔に浮かび、彼女の目がまるで獲物を捉えた狩人のように輝きを増した。


「我の鍛錬は厳しいぞ? ヴァミリア」


「そんなもの承知の上だ」


 吾輩は目の前に置かれた茶に手を伸ばし、口に含む。しかし、その瞬間、強烈な苦味が襲いかかり、思わず顔をしかめる。


「……この茶、苦いな……」


 その小さな呟きを聞き逃さなかったのか、リヴェルクはふっと笑い、小さな小瓶を差し出した。


「これをかければ、少しは苦味が和らぐぞ」


 吾輩は半信半疑でその小瓶を受け取り、中の白い粉を茶に振りかける。そして恐る恐る再び茶を口に含むと、先ほどまでの苦味が消え、驚くほどまろやかな甘さが広がった。


「……甘い」


「それは人間界から取り寄せた砂糖だ。魔界では貴重な品だからな、驚いたか?」


 リヴェルクはどこか誇らしげに胸を張り、得意げに語る。彼女の自信たっぷりな態度に呆れつつも、吾輩は再び茶を飲んだ。


 そんな中、グリオンが口を開いた。


「あの……ヴァミリア様。この修行の間、魔王様には何と報告するおつもりですか?」


 その言葉に吾輩は一瞬言葉に詰まり、リヴェルクに視線を送る。しかし、リヴェルクはどこ吹く風といった様子で肩をすくめた。


「『試練』で忙しいからしばらく帰れない、とでも言っておけ。そもそも、こうなったのは父上のせいだからな。少しくらい許してくれるだろう」


 吾輩が軽い口調でそう言うと、グリオンは少し緊張を解いたように頷き、「承知しました!」と熱を帯びた声で答えた。


 その時だった。リヴェルクが鋭い視線を吾輩の胸元に向け、低い声で尋ねた。


「さっきから気になっていたが……ヴァミリア。その胸元に隠している小さなドラゴンは何者だ?」


 その言葉に反応するように、吾輩の胸元に隠れていたルクスがピョンと飛び出す。その瞬間、リヴェルクの目が驚きに見開かれる。そして次の瞬間、彼女はテーブルを勢いよく叩き、声を上げた。


「お主! このドラゴン、どこで拾ってきた?」


 その問いには、驚きと期待が入り混じったような感情が滲んでいた。その迫力に気圧されながらも、吾輩は言葉を選びつつ答えた。


「ルクスは『断絶の谷』にあった未開拓の遺跡から見つけた虹色の卵から生まれた吾輩のドラゴンだ!」


 その言葉を聞いた瞬間、リヴェルクの目は険しいものから柔らかいものに変わり、彼女は深く息を吐いた。


「とうとう生まれたのか……我が息子よ」


「は?! 息子!?」


 吾輩は思わず声を張り上げた。その反応をよそに、リヴェルクは静かに語り続ける。


「このドラゴンは、150年前に我が産んだ子だ。卵の状態で力を蓄えさせるため、『断絶の谷』に隠していた。それがこうして孵り、成長した姿を見られるとは……」


 リヴェルクの視線は、ルクスを見つめる際にどこか優しさと寂しさを滲ませている。それを見た吾輩は戸惑いながらも問いかけた。


「貴様は……ルクスを返せとは言わんのか?」


 その問いに、リヴェルクは穏やかな笑みを浮かべながら首を横に振った。


「親の幸せとは、子が元気に育つ姿を見ることだ。お主がこの子を守ると信じているからこそ、返してほしいとは思わぬ」


 彼女の言葉は、深い愛情と覚悟を感じさせるものだった。吾輩はその場で黙り込み、ルクスを見つめる。


「お前は本当に……特別な存在なんだな、ルクス」


 ルクスは小さな鳴き声を上げ、吾輩の手の中で丸くなる。その小さな命の温かさを感じながら、吾輩は改めて試練に挑む決意を胸に抱くのだった。

 

 ※

 

 リヴェルクとの話し合いが終わり、緑が一面に広がる平野で、吾輩はルクスを預けるべきか、それとも連れて行くべきかを迷っていた。


「うーむ、どうしたものか……」


 吾輩は腕を組みながらルクスの小さな体を見つめる。その虹色に輝く鱗が陽光を反射し、まるで宝石のように美しい。その様子を横目に、リヴェルクが吾輩のもとへ悠然と歩み寄ってきた。


「どうした? ルクスをどうするか迷っているのか?」


 リヴェルクの低く落ち着いた声に、吾輩は顔を上げる。彼女は軽く片眉を上げ、何かを考えるような表情をしていた。そして、ルクスをじっと見つめながら、提案を口にする。


「ルクスはここに置いておけば良いのではないか? 別に我は構わんぞ。それに、息子の姿を見られるのは我としても嬉しいからな」


 リヴェルクは軽く手を差し出し、宙を飛んでいたルクスを手のひらに乗せる。その指先がルクスの小さな頭を優しく撫でると、ルクスは気持ちよさそうに鳴き声を上げた。


「それも一理あるな!」

 

 吾輩は納得したように頷くと、振り返ってグリオンに向き直った。

 

「グリオン! 吾輩は1人でも十分にやれるから、貴様は魔王城に戻って構わんぞ!」


 だが、グリオンは険しい表情を浮かべ、毅然とした態度で言葉を返す。


「それはできません、ヴァミリア様!」


「なぜだ?」


 吾輩が目を丸くして問いかけると、グリオンはその場に跪き、頭を垂れた。その姿は炎を纏うイフリートとは思えぬほど、神妙だった。


「俺は魔王軍幹部であり、ヴァミリア様の忠実なる部下です。ヴァミリア様が試練を無事に終えられるまで、この命に代えてもお守りいたします!」


 一瞬の沈黙。吾輩は彼の真剣な眼差しを見つめ、軽く息を吐いた。そして、誇らしげに胸を張りながら言い放つ。


「グリオン、貴様の忠誠心はしかと受け取った。ならば、吾輩が死なぬよう全力で守れ! それが貴様の役目だ!」


「仰せのままに!」

 

 グリオンの体が青い炎を帯び、忠誠を示すかのように燃え上がる。


 それを見ていたリヴェルクが、微笑みを浮かべながら吾輩の肩に手を置いた。


「信頼されているのだな、お主は……」


「当然だ! 吾輩は魔王の娘だからな!」


 その言葉に、グリオンとリヴェルクの口元からクスリと笑みが漏れる。


「ヴァミリア様のそういう所に、俺は心から忠誠を誓っているのです!」

 

「ヴァミリア、良い部下を持ったな……さて」


 優しい雰囲気を漂わせていたリヴェルクが一変し、真剣な表情を見せる。その鋭い瞳が吾輩とグリオンを射抜いた。


「では、早速だが最初の試練を課そう」


 その言葉に、吾輩とグリオンは緊張感を覚え、一瞬息を呑む。


「まず貴様らに命じるのは、人間界の『秘境』と呼ばれる場所にある菓子屋へ行くことだ。そこで我が予約した菓子を取ってくる。それが最初の試練だ」


「菓子屋……だと?」

 

 吾輩は困惑し、思わずリヴェルクの顔を見つめる。グリオンも同じように眉をひそめた。


「どうした? 貴様らにはこれも試練に思えるのか?」


 リヴェルクは冷たく嘲るような笑みを浮かべ、手を振った。その仕草は、彼女が本気でこの課題を試練と考えていることを示していた。


「さぁ、行け! 未熟者よ。その菓子は、ただの甘味ではない……お前たちにとっての試練そのものだ。道中、全力で挑む覚悟を見せてみろ!」

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