第9話 廃教会と妻ヘカーティア
教会の高い塔は、上部が崩れ、無残に瓦礫が散らばる。
風や雨にさらされ、表面が削れ苔がところどころに生えていた。アーチ状の窓は荒れた石枠だけ。
内部には、わずかに差し込むものの、灰色の曇った空から漏れる薄明かりしかないために、教会内は常に薄暗く、冷たい雰囲気が漂っていた。
破壊されたのか、風化したのか、表面が崩れかけた壁と荒れ果てた祭壇と残されているだけだった。
かつてここで何があったのか、何が起こったのかは、時間が全てを消し去ってしまったようだ。
「見覚えは?」
「あるわけなかろう」
そう、あるはずもない。
そもそもリューファスが、倒れた場所はここではない。
石化された記憶もなければ、この廃教会は自分のゆかりの地ですらない。
しかし、もしここが自分の記憶にある場所だったとしても、こんなに荒れ果てているのでは、何も思い出せるはずもない。
「ちなみに、リューファス。君の最後の記憶は?」
「戦場で倒れた。 ……場所は、バンスラディア王国の北東の国境だ」
「ふうん。 よほど強い呪いを持った怪物が相手だったんだね。それとも、呪いの武器を有した敵将?」
「怪物……ああ、まあ、怪物と呼んでよいだろうな」
あくまで真実はぼやかした。
己の名が、ライル王として間違った名で伝わっているようだ、ということは察している。
同時に、古代の王であると露見すると面倒ごとになりそうなことも。
バンスラディア王国が滅び、今では『雷鳴の騎士団』の騎士団長ゼノスヴァインが築いた新たな王国が、その地にあることは理解している。
自分の生存が知られることで、その王国の正当性に疑問が生じることは避けなければならない。
(過程はどうあれ、家臣が国を興して、民を導いたのだ。今更、乱は起こしたくはないものだ)
過去の英雄、あるいは伝説の存在として消えてしまった自分に、今更何かをしようという気力はない。
「当時は何を信仰してたの、この教会」
「南方から入って来た白教の派生だろうな。余は詳しくないが」
「ああ、白教ね。弱者救済、大衆のための教義を唱えてる、アレ、か。ちなみに、君は?」
「……はあ、魔術師が神に頼ることも、滅多にないだろうに」
リューファスはくだらぬ問いかけに呆れを見せた。
「余は、奇跡に期待することも、神に祈ったこともない。経験上、奴らに頼るとロクなことが無い」
石畳を歩き、内部へ入る。扉はもはや存在すらしていない。
漂う湿気と埃の匂い、淀んだ空気。重く響く足音が静寂をかき乱す。
教会の壁面は、ひび割れが無数に走り、苔やカビが壁を這い上る。
所々で石が剥がれて土台が見え始めている。
かつての装飾や彫刻は、摩耗している。
崩れた壁の傍ほど、風化が著しい。かつて祈りの声が響いた祭壇は、神聖さではなく、時の無常さと喪失を感じさせるだけだ。
「このペルホの廃教会に地下があると聞いたが?」
「君が安置されていた場所かい? 祭壇の裏側に隠し階段があったそうだ」
頷いて、覗き見る。
中央の祭壇の裏にある、隠し階段があったであろう場所。
薄暗い空間の中で、床の隙間から、湿った空気が鼻を突いた。
かつては発動していたであろう隠蔽術は、もはや機能していない。
あっさりと見つけられたが、開けるための仕掛けすら動いてないので、かえって石畳を力づくで除ける必要があった。
なんとか、こじ開けてみると地下室へと続く通路は土や石が積み上げられていて、かろうじて数段の階段が垣間見えるだけだ。
その先に何があったのか、確かめることはできない。
「ありゃりゃ、手掛かりは無しか」
しかし、意外なことにリューファスは、気落ちした様子を見せなかった。
「いや、そうでもない」
除けた石畳の裏面を指さす。
そこには三叉路を模した紋章の中央に、トリカブトの花と松明が描かれている。
リューファスの記憶にすらある名家の紋章だった。
「ベスタル家の紋章? ……さすがに嘘だろ」
メッツァがやけに驚いたような顔をした。
「なにをそんなに驚いている?」
「いや、だって。ベスタル家は、フィンダール共和国を興した家柄の一つ。大学を創始した家でもある! それが、白教と繋がってたなんて……それで、君を保管してただって?」
「そのようだな」
リューファスも驚かなかったわけではないが、腑に落ちた、という心境だった。
ベスタル家。
それはリューファスの東西南北にいた4人の妻のうち、その一人。
東の妻、ヘカーティア・ベスタルによって興された大魔術の名家だった。
(確かに、ヘカーティアならば、全てが可能やも知れぬな)
自身の蘇生に関与していたのが、妻ヘカーティアであるとしたら、多くのことに納得がいく。
ライル王という間違った名が伝わったのも、まるで関係のない白教の教会に眠っていたのも、それが中央から遠く離れ、呪われた土地に近い辺境であったことも。
「そうか。わからぬが、余の石像は誰かにとって邪魔であったのだな」
良き妻を持った。きっと、来るべき日まで守ってくれたのだろう。
なぜ、己が石化したのか。どのような紆余曲折を経て、ここに流れ着いたのかはわからない。
それでも、簡単な事ではなかったはずだ。
が、この境遇を己は望んではいなかった。
(余が重荷になるのなら、いっそ砕けば良かったものを)
ヘカーティアが生きているのなら、共に再会の喜びを分かち合うことも出来ただろうが、己一人だけ、生き返ったところで何の意味があると言うのか。
(……思えば、ヘカーティアにはひどいことをしたな)
元々、この東の秘境、山中に住まうとある部族『ベスタル』にいた娘だった。
神々から授けられた『聖なる火』を護り、周辺部族から、才能ある子女を集め、巫女として養成する役割をも担っていた部族。
そんな火守りの巫女達の中でも、ヘカーティアは最も優れたる巫女だった。
その美貌と聡明さで部族の者たちを魅了し、また、『聖なる火』の守護者として、神託を受ける立場にあった。
偉大なる巫女として生涯を終えるはずだったヘカーティアの運命を変えてしまったのは、間違いなくリューファスだった。
「不思議なものだ。てっきり、あの女は余を恨んでいると思っていたのに」
そう、妻にされたヘカーティアにはリューファスを恨む権利があった。
リューファスが欲していたのは、神殿の奥底に眠る『ベスタルの聖杯』だった。
『ベスタル』の始祖たちは、聖なる火の受け皿として扱っていたようだが、リューファスと配下である魔術師達が考えるに、それは膨大なエネルギーを蓄えることが可能な貯蔵装置の一種だった。
無論、政治的な理由から、東の部族のなかで有力な人間の娘を得ようとは思ってはいたから、良い相手を探すつもりでもあった。
だが、最初の動機は『ベスタル』の秘儀を暴き、その秘密を我が物としたい。そんな欲望が当時のリューファスにはあった。
(東方を治めるうえでの、単なる通過点の一つに過ぎなかったがな。実際、手に入れてみれば……まあ、それはよい)
そんな己の生き様や選択に後悔はしていないが、己が先に死んだことで、与えくれた行為に報いてやれなかったことは、無念だった。
「余は死ぬときに、お前を頭に浮かべる事すらしてやらなかったと言うのに」
しばし、リューファスは物思いに耽っていたが、無粋な殺意が感傷を引き裂いた。
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