AAAリロード:ファジー

端庫菜わか

第1話

「ぅ嗚呼……」

 徐々に人がはけて、黒い床が見えるようになってくる。その中で、あたしは手のひらで目を覆って天井を仰いだ。ライブって素晴らしい。ありがとう、音楽。生きる糧。明日も頑張るよ。

 けれどもいつまでもそうしているとスタッフの方々にも迷惑がかかるので、ふう、と息を整えてペンライトを鞄に仕舞う。そしてそそくさと緑のランプが点っている出口へと向かった。

「び……っ!?」

 その瞬間、踏み出した足がズッと滑ってあたしは思わず短い悲鳴をあげた。花も恥じらう女子としては聞き苦しい声をしていたのでどうか書き表さないでほしい。ともかく背中から倒れるのをなんとか踏みとどまって足元を見ると、靴の下から現れたのは、この場所ではごく普遍的で小さな落とし物であった。

 電池。

 ライブ用ペンライトにも使用されている、使い捨ての単四アルカリ電池が一つ。きっと誰かの予備だろう。

 もう観客はみんな撤収しつつあり、誰が落としたかももう分からない。まだ余力があるなら勿体ないけど半分ゴミみたいなものをスタッフに渡しても迷惑になるし、うっかり拾い上げてしまって少し後悔した。

 仕方ない。今度うちで捨てることにしてあたしは電池を持ったまま、人の流れに急いでついて行った。

 用事は済んで、あとは帰るだけ。

「————い!」

 それにしてもいいライブだった。耳の中にまだベースやドラムの重低音と充実感が鳴り止まない。

 鳴り止まない。

 けたたましいサイレンの音が——。

「危ないってば!」

「うぉお!?」

 ぼうっとしていた肩に正面から体当たりされて、お尻からどってーんと転んだ。と、一瞬の間を置いてあたしの立っていた場所に、大きな黒いパイプが縦に落ちてきた。

「…………ハ……」

「何!?」

 危機一髪の恐怖にあたしが絶句している間に、周囲ではサイレンの音にざわついていた。


「……火事!?」


 焦げ臭い匂いと共に廊下からじわりと恐慌が広がって、興奮混じった微睡から、会場に残っていた平均年齢二十七歳の約千五百人が一気に地獄の何者かに叩き起こされる。出口へと逃げる足音が、頭が割れそうなほど近くを走っていく。

「な、なに……?」

「いつまでぼうっとしているの」

 あたしより小柄な少女があたしの上から立ち上がりながら叱責してくる。

 身を挺して助けてくれたのはこの子だった。

 癖のある黒い髪を高い位置で二つに結び、黒を基調としたゴシック風のワンピースがひらめいて。あたしより四、五歳ほど若いだろうか。強気な性格を表す直線の眉と大きなつりがちの目が可愛らしい。

 そう、言うなれば、美少女。

滑稽ね。早く立って、行くのよ!」

 そうだ、突然の輝きに目を瞬かせている場合じゃない。お客さんが逃げないとスタッフの人たちも避難誘導から解放されない。

 普段ボケボケ暮らしてると非常時に限って鈍臭いんだな。

「ありが、」

「いいから急いで」

 非常灯をくぐって煙の流れてくる方と反対の出口へ。幸い、元々入ってきた表のエントランスだったので道に迷うこともなかった。あたしは逃げながらも隣を注意深く歩く彼女を盗み見て感動していた。

 なんて勇気のある子なんだろうか。かっこいいな。

「って、待って! こっちだよ」

 少女が避難経路を逸れてスタッフ専用の廊下に行こうとするのをあわてて止めた。そちらはもう煙が回っていて、とてもじゃないけど安全なルートとは思えない。

 少女は引き止められた腕からゆっくりと視線を上げて、険しい目であたしの顔をじっと見る。

「何を言ってるの」

 それからあたしの手を掴み返し、ぐいっと引っ張ってこう言った。

「あなたも来るのよ!」

「へぇあ!?」


 少女はあたしを道連れに炎逆巻く通路へ飛び込んでいった。

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