第32話




 吹きつけてくる風は温かくて、澄んだ空気は心地がいい。踏みしめる度に、草地はやわらかな音を鳴らしてくる。


 前に訪れたときは空一面が暗雲に埋めつくされていたが、今は中天にのぼった陽光が若草と枯れ草の入り交じった大地を明るく照らしている。


 古代の魔術師たちによって封印されていた『終焉の地』は、ローランド島の全土に轟いた地響きと共に地上へと出現した。島の人々によれば、本当にいきなりどこからか転移してきたように島の隣に現れたらしい。


 その『終焉の地』は、ローランド島が豆粒に思えるほどの巨大な大陸だった。俺が想像していたよりも、遥かにドデカイ大地だったようだ。


 あの後、地震に揺れるダンジョンのなかを必死こいて逆走していき、どうにか地上に帰還することができた。俺たちが脱出してからも、ずっと島のダンジョンは揺れ続けていた。


 その数日後のことだった。島にあるダンジョンが、全て崩壊してしまったのは。


 瓦礫に埋めつくされた跡地からは、新たな魔物や宝が生み出されることはなかった。ダンジョンの残骸は沈黙を続けている。おそらく不死の王と『終焉の地』が解き放たれたことで、島のダンジョンはその役目を終えたんだろう。


 おかげで島中が大混乱になった。島の象徴でもある宝を生み出すダンジョンがなくなってしまい、島外から冒険者を呼び込む術が失われてしまったのだから損害は計り知れない。


 その一方で『終焉の地』のほうでも、呪われて茫然自失となっていた人々や魔物が意識を取り戻しはじめていた。そこには過去にダンジョン内のトラップによって、『終焉の地』に飛ばされた冒険者たちもいるはずだ。


 すぐにローランド島と『終焉の地』の間では交渉が行われて、数百年ぶりに呪いから解き放たれた人々は、島のほうで受け入れることになった。


 しかし、みんながみんな島に移動するわけではなく、なかには『終焉の地』に残って、自力で生活しようとする人達もいるみたいだ。


 まだいろんなことが協議中で、『終焉の地』についてはわからないことばかりだ。なので交渉中は島にいる冒険者たちは、『終焉の地』に踏み込むことを禁じられた。 


 で、そんな取り決めは早々に破られた。お宝があるかもしれないという欲に駆られて、船を使って続々と『終焉の地』に渡る冒険者たちが後を絶たない。ホント困った連中だ。


 かくいう俺も、その困った連中なのだが。


 おそらく今後は島に拠点を構えつつ、『終焉の地』で活動する冒険者が増えていくだろう。


『終焉の地』は、冒険者たちにとって新たな開拓地となる。


 ここには、島のダンジョンに流れ込んでいた財宝があちこちに眠っている。それに島にあったものとは違うが、ダンジョンや詳細不明の廃都だってある。未踏の地は数え切れない。


 もちろん良いことばかりじゃなくて、危険だってともなう。呪いが解けた魔物たちは呆然と佇んでいるだけではない。自分の意思で人間に襲いかかってくるようになった。


 いろんなことが混沌としたままで、整理できていない。


 だけど世界なんて、いつだってそんなもんだ。


 生きている者がいるかぎり、いつだって混沌としているし、いつだって安定なんかしてくれない。そんな場所で生きていかなきゃいけない。

 

 足を進めながら、同行者に目を向ける。


 後ろを歩いているマリスは、わずかに呼吸を乱していた。ここまでだいぶ歩いたから、疲れが出てきたみたいだ。


 島の港から金を払って密航したときは。


「ザ、ザインさんのせいですからね? な、なにかあったら、ぜ、ぜんぶザインさんのせいですからね?」


 例のごとくビクビクしながら、全責任を俺になすりつけようとしてきた。別にかまわないので了承しておいたけど。


 ダンジョンがなくなったので、島で活動していたマリスも先行きが不安になり、『終焉の地』に眠っている財宝を求めて同行してきた。


 そんで『終焉の地』についてからも、しばらくはおっかなびっくり足取りがままならなかった。前にここに飛ばされたときのことが、よっぽどトラウマになっているようだ。


 歩みを進めていると、微風が吹く。おかしな形をした木々の梢が揺れて、草地が小さな波を立てる。


 隣にいる彼女の長い黒髪が、風に乗るようにしてなびいた。


 吹き飛んだ右手も、腹部にあった刺し傷もふさがって、元通りになった体で生まれ育った大地を踏みしめている。壊れた黒革の軽装鎧も新調されていた。


『終焉の地』に降りたっておびえていたマリスに、ディナはこう言っていた。


「自分の故郷に帰るのに、いちいち島の連中の許可なんて取ってらんないね」


 いつものようにクヒヒヒヒと笑って、恐れるものなんて何もないようだった。


 どうしても呪いが解けたその体で、帰郷したかったんだ。


 あのとき【蘇生の魔術】によって、失われた魂を呼び戻すことはできた。だけど右手や腹部の傷までは、治すことはできなかった。禁忌の魔術もそこまで万能ではない。


 放置すれば肉体の損傷が原因でまた命を失う。かといって、俺もマリスも回復系の魔術が使えるわけではない。


 なので、俺が使用した『回復の泉』を利用させてもらった。まだ天井から降ってくる瓦礫に埋もれていなかったから、負傷しているディナを泉に浸からせてみた。

 

 あらゆる傷を癒やし、あらゆる呪いを浄化する泉は、ディナの右手と腹部の傷も立ちどころに治してくれた。


 意識が戻って死の淵から蘇ったことを知ったとき、ディナは「バッカじゃないのか?」と本気で怒っていたし、本気で呆れてもいた。自分は死ぬべき人間だと思っていたようだ。

    

「どうしてわたしを蘇らせたりなんてしたんだい? わたしはアンタを騙して裏切ったんだよ?」


 鋭い目つきで睨んでくると、そんなことを聞いてきた。


「俺を『回復の泉』まで護衛するという取り引き自体は守られた。隠していたことはあったが、そこだけは本当だっただろ? それに……」


 ニヘラァと笑いながら、不満げな顔をしているディナと向き合った。


「俺は良い人じゃないからな」


 良い人だったら、悪いことをしたディナを蘇らせたりはしない。自分の都合よりも、善悪の基準を優先させるはずだ。


 でも俺は良い人じゃないから、自分の都合を優先させてもらった。


 その答えを聞くと、鋭い目をしていたディナはとても驚いていた。


「それに約束があったからな。ディナが見たがっていた景色を、俺も見てみたかった。何百年間も焦がれていた願いが叶う瞬間を」


 だからディナには生きていてほしかった。交わした約束を守るために、倫理を無視して自分の意思を押し通した。


「また蘇れたんだ。ラッキーくらいに思っとけばいいさ。せっかく拾った命なんだから、自分から死のうだなんて考えないでくれよ」


 不死の王の呪いは解けた。もうディナは普通に年を取るし、普通に死ぬことだってできる。そんな人間なら当たり前のことを、投げやりにはしてほしくない。


 俺からの説得を受けると、ディナはムッと下唇を突き出していた。気に食わないことがたくさんあるようだ。


 それでも、顔をそむけながら。


「……しょうがないね」


 そう言って、生きることを受け入れてくれた。


 そんな経緯があって、『終焉の地』に三人で向かうことになり、不気味な形をした木々が乱立する森林を抜けて、小高い山地を登ったりしているわけだ。



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