第22話 上申
「では、これまでの調査結果を整理するわよ」
書庫の片隅で、アイリスは手帳を開く。今回の暴走事件について、三人で最終的な確認を行うためだ。
「まず、結界の痕跡から」アイリスが説明を始める。
「先代の時代に設置された結界が、何者かによって改変されている。その証拠に、これらの術式の特徴を……」
リリアとレイヴンに、いくつかの展開図を見せる。
「さらに、その改変の時期と、ルーカス王子の動きが一致しているわね。特に、王家の書庫への出入りの記録と」
「……シーフギルドの調査でも、同様の時期に不審な人物の出入りを確認している」レイヴンが補足する。
「警備の記録でも、その時期に不自然な空白期間があります」リリアも頷く。
「全ての証拠は状況的なものだけど、これだけ一致していれば……」
アイリスの言葉を、レイヴンが静かに遮る。
「……全て、ルーカス王子へと繋がっている」
三人の間に重い沈黙が落ちる。
「しかし、私たち三人では……」アイリスが言葉を選ぶ。
「……もう手に負えない、というところだな」レイヴンが短く言葉を継ぐ。
暴走は一時的に収まったとはいえ、結界自体は依然として不安定なままだ。次の暴走はより甚大な被害をもたらすかもしれない。
「エステル様に」リリアが静かに切り出す。
「エステル様に、全てをお伝えしましょう」
三人の間に、再び短い沈黙が流れる。
「これ以上、独自の判断で動くのは危険です。私からの正式な上申という形でエステル様の判断を仰ぎましょう」リリアは慎重に言葉を選ぶ
(この私が、他人に助けを求めるなんて……)
アイリスは一瞬、躊躇いを覚える。しかし、宮廷の安全、そして何より、結界の暴走による民への被害は避けねばならない。
「……そうね」
アイリスも同意する。
その後、リリアは速やかに正式な上申の手順を進め、その日の夕刻、正式にエステルに上申を行うこととなった。
リリアの報告を、エステルは静かに、しかし真摯に受け止めていた。時折、詳細について質問を投げかけ、状況を正確に把握しようとする。
「分かりました。ありがとう、リリアさん」
エステルの声は落ち着いていた。兄の関与を示唆する報告にも、感情を乱すことはない。
「アイリスさん」
突然の呼びかけに、アイリスは反射的に背筋を伸ばす。
「結界の安定化は可能ですか?」
「はい。ただし、相当な規模の術式が必要になります」
答えながら、アイリスは驚きを隠せないでいた。エステルの冷静な判断力。そして、最も重要な点を即座に見抜く洞察力。
「結界を完全に解除するのは危険ですものね。先代が設置した以上、何らかの重要な意味があるはず」
(……!?やはり、エステル様は魔術に関してかなりの知識をお持ちね……)
その言葉に、アイリスは息を呑む。彼女も同じ結論に至っていたのだ。
「私たちは、利己的な欲望のために結界を利用するのではなく、民を守るためにそれを正しく機能させねばなりません」
エステルの凛とした声が、執務室に響く。
「ただし」エステルは一瞬言葉を切り、慎重に続ける。
「ルーカス兄上の関与を示す状況証拠があるとはいえ、まだ明確な証拠には至っていません。最後まで、王族としての配慮は忘れてはなりません」
その言葉に、アイリスは再び驚きを覚える。自らの兄の関与が疑われる中でも、冷静な判断を失わない。そして何より、王族としての責任と礼節を忘れない姿勢。
「それと、アイリスさん」
「は、はい」
「魔術顧問として、表立った対立は避けるべきでしょう。あなたの立場が危うくならないよう、今回の安定化は通常の業務の一環として処理させていただきます」
アイリスの胸に、これまで感じたことのない温かいものが広がっていく。
「アイリスさん、リリアさん、そしてレイヴンさん」
エステルは三人を見渡す。
「私からの正式な依頼として、皆様には、結界の安定化をお願いしたいと思います」
「「「はい!」」」
三人の返事は、迷いのないものだった。
その夜、宮廷の各所で、結界を安定化させる術式が展開される。
アイリスの魔術を中心に、レイヴンの諜報網による援護、リリアの警備での補助。そしてエステルからの全面的な協力。
事態は、最善とは言えないまでも、収束に向かっていった。
だが、誰よりもアイリスには分かっていた。今回の出来事は、より大きな問題の始まりに過ぎないということを。
そして、もう一つ。
(なんて素晴らしい方なの……エステル様は……)
自分の心が、完全に奪われていたということを――。
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