第20話 古の痕跡

書庫の奥で、アイリスは古い魔術書に目を通していた。


(やはり、この時代の魔術は独特ね……)


開かれた本には、複雑な術式の展開図が記されている。現代では見かけない記号や配置。それらは、グラティア王国建国期の魔術の特徴を示していた。


アイリスは手帳を取り出し、これまでの調査結果を見返す。


(宮廷内の魔力の歪み。建造物の古い部分への集中。そして、この術式の特徴……)


机の上には、王立図書館からの資料や、宮廷の記録書が広げられている。その横には、彼女が魔術顧問として記した報告書の下書きがあった。


「結界の痕跡……」


調査を始めた当初は、単なる魔力の異常と考えていた。しかし、そうではなかった。これは明らかに、何者かの意図が介在している。


アイリスは立ち上がり、書架の間を歩く。手に持った魔力探知の術式が、かすかに反応を示す。


(この魔力の流れ、まるで網の目のよう。建国期の本に描かれていた術式と同じパターン……)


天井近くまで積み上げられた古い書物。その狭間で、アイリスは思案に耽る。


(そもそも、なぜ建国期の魔術に関する記録が、ここまで集中的に……)


その時、インクの染みを見つけた。古い記録書の欄外に、小さく記された走り書き。


「新たな結界の設置、完了……?」


日付は、先代の治世の最後の頃。


(先代が、宮廷に結界を張り巡らせた?でも、何のために……)


報告書を確認しようとして、アイリスは気付く。その時期の魔術関連の記録が、不自然なほど少ない。まるで、意図的に整理されたかのように。


「……興味深い調査だ」


背後から突然の声に、アイリスは飛び上がりそうになる。


「にゃっ!?」


振り返ると、見覚えのある黒装束の人影が佇んでいた。


「も、もう!近づき方くらい普通にしてよ!」


「……私にとってはこれが普通だ」


レイヴンの言葉に、アイリスは深いため息をつく。


「まったく……って、あなた、どうやってここまで……」


「正規の許可を得て入館しています」


今度は書架の向こうから、リリアの声。巡回の警備服姿で現れた彼女は、周囲を確認してから二人に近づく。


「それで、調査の進展は?」


「ええ、まあ、気になる点がいくつか」そう答えながらアイリスは手帳を開く。


三人は書庫の最も奥、誰にも見られない場所へと移動する。


「先代の時代に、何らかの結界が設置されたみたい。これを見て」


古文書のコピーを広げながら、アイリスは説明を始める。


「この術式の特徴、建国期の魔術を基にしているわ。でも、明らかに後世に改変が加えられている」


「……時期は」レイヴンが静かに問う。


「先代の治世の終わり。ちょうど、崩御される半年ほど前」


アイリスは魔力探知の術式を展開する。青白い光が、書庫の壁を這うように広がっていく。


「まるで結界の性質を変えようとしているようね。でも、それが裏目に出て、あちこちで魔力の歪みが生じている」


「つまり、これは事故や経年劣化ではない」リリアが静かな声で言う。


「ええ。そして、これだけの情報に触れられるということは、その誰かは相当な権限を持っているはず」


「ありがとうございます、アイリス」リリアが囁く。


「引き続き調査を続けましょう、……それぞれの立場で」


レイヴンとアイリスは無言で頷いた。


宮廷の何処かで、古の魔術が蠢いていた。そして、それを操ろうとする者の影が、確実に近づいていた――。

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