第18話 初任務

「魔力の異常、のように思えますね」


アイリスは持ち前の冷静さを装いながら、報告書に目を通す。魔術顧問として執務を始めて最初の仕事は、宮廷内での不可解な魔力の痕跡についての調査だった。


(まさか、レイヴンたちが言っていた調査と同じ案件だったなんて……)


「ええ、特に書庫と地下倉庫での異常が目立ちます」


その場にいた書記官が報告を続ける。


「既に二度ほど、書物が勝手に舞い上がる事態が発生しておりまして」


「天才の私に相談するということは、相当に難しい事態なのでしょうね」


上品に髪をかき上げながら、アイリスは高慢な態度を崩さない。


(これは公的な調査と非公式な依頼、両方に関わることになるわね……やりづらいったらありゃしないわ)


「では早速、現場を……」


「アイリス殿」


声が響く。振り向くと、そこには第二王子、ルーカス・ラ・グラティアの姿があった。


「私付きの魔術顧問として、様々な任務をお願いすることになりますが」


「はい、お任せください」アイリスは丁寧に一礼する。


(ルーカス王子……。クールな印象だけど、目が笑ってない感じ……)


「今回の調査、よろしく頼みますよ」


形式的な言葉を残し、ルーカス王子は立ち去っていく。


(まあ、いいわ。私は役目をこなすだけ)




やがてアイリスが書庫に到着すると、そこには予想外の人物がいた。


金色の髪を優雅に揺らし、薄紫の瞳が書架を見上げている。侍女長を伴ったその姿は、紛れもなく王族のものだった。


(あ……)


一瞬、アイリスは言葉を失う。その麗しさに目を奪われたのだ。


(って、何を考えているのよ私は!所詮、物珍しさに任せて下々の調査なんかを覗きに来た王族でしょう)


「失礼いたします」


気を取り直したアイリスが声をかけると、エステルが振り向いた。


「あら、新しい魔術顧問の方ですね」


穏やかな微笑みを浮かべる。その表情には、アイリスが想像していたような上からの物言いは微塵もない。


「はい。アイリス・アストラリスと申します」


(高慢に振る舞おうと思ったのに、なぜか自然と丁寧な口調に……)


「実は、この書庫での魔力の異常について、少し気になることがありまして」


エステルが一冊の古書を手に取る。


「この書庫の建造時期と、魔力の異常が起きている場所を照らし合わせてみると、何か規則性があるように思えて」


「えっ」


予想外の視点に、アイリスは思わず素の声を出してしまう。


「私も、建物の経年による結界の……」


言いかけて、自分の本来の態度を思い出す。


(あ、そうじゃない!私は天才魔術師なんだから、もっと……)


「な、なるほど。殿下は魔術にご興味が?」


必死に取り繕おうとするアイリス。しかし、エステルは気にした様子もなく、真剣な眼差しで続ける。


「はい。特に結界魔術の基礎理論について。もしかすると、この事態は古い結界が……」


その考察は、アイリス自身も辿り着いていた可能性と一致していた。


(どうして……どうしてこの人は、こんなにも的確な……)


「申し訳ありません、突然、専門的な話を持ち出してしまって」エステルが少し恥ずかしそうに微笑む。


「い、いえ」


アイリスは慌てて咳払いをする。


(なんなの……この人……。ただの物見遊山の王女様じゃ、ない……?)


「エステル様、そろそろ、お時間が」侍女長のセリナが声をかける。


「はい」エステルは名残惜しそうに古書を元の場所に戻す。


「では、また機会がありましたら」


柔らかな笑顔を向けて去っていくエステル。その背中を、アイリスは呆然と見送っていた。


やがて気を取り直したアイリスは、改めて書庫の調査に取り掛かる。


その背中には、何故かリリアとレイヴンの意味ありげな視線を感じた気がした。


(気のせい、気のせいよ……)


こうしてアイリスの魔術顧問としての任務は、思いもよらない形で始まることになった――。

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