第12話 月華の剣
警備体制の変更が始まった東棟は、異様な静けさに包まれていた。新たな警護への移行期間。巡回の姿は減り、薄暗い廊下に人影はまばらになっている。
エステルの居室前、リリアは普段通りの様子で立っていた。ただ、彼女の意識は全て周囲の気配に向けられている。そして、その耳が捉えた。まるで風のような、かすかな足音を。
黒装束の影が三つ、四つ、次々と姿を現す。想定を超える数の刺客が、あらゆる方向から東棟へと忍び寄っていた。
「やはり、全方位からですか」
シーフギルドの伝令が、壁の影から囁くように告げる。「裏庭に二十、中庭に十五、地下通路に十」
「ご心配なく」
リリアは初めて、剣の柄に手を掛けた。これまでの任務では決して見せなかった、本来の剣術の構え。警護としての立ち振る舞いが、一瞬にして消え去る。
地下通路からの刺客が最初に姿を見せた。三人が一斉に襲いかかる。続いて中庭からの二人が、窓を通じて侵入を図る。
この瞬間を狙っていたとばかりに、裏庭組も動き出す。完璧な連携による、三方向からの奇襲。
リリアはゆっくりと剣を抜く。その仕草には無駄が一つもない。
最初の刺客が斬り掛かってきた瞬間、廊下に一陣の風が吹き抜けた。まるで見えない何かが、空間を切り裂いたかのような感覚。
一瞬の後、五人の刺客が武器を取り落としていた。誰一人、リリアの剣筋を追えていない。
「な、何が」
続く刺客たちが躊躇する。その一瞬の隙を突いて、壁の陰から無数の投げ針が放たれる。レイヴンの部下たちが、影から動き出したのだ。
だが、それさえも想定内だったかのように、新手の刺客が姿を現す。天井の梁から、床下の隙間から。シーフギルドの罠を、さらなる罠で包み込むように。
「これ程の人数とは……!」
「いいえ、何も問題はありません」
リリアは、より深く腰を落とした。剣に宿る殺気が、一段と鋭さを増す。
その剣は、風のように廊下を駆け抜けた。寄せては消える幻影のような動き。一撃一撃に無駄がなく、全ての動作が必然のように繋がっていく。
刺客たちの剣が次々と宙を舞い、叩き落とされた武器が床に転がっていく。
負傷者は出るものの、命を奪うことはない。腕や足を確実に狙い、戦闘能力だけを奪っていく。
「終わったようだ」
レイヴンが影から姿を現す。投げ針と短剣を組み合わせた戦術で、リリアの死角を完璧に守り切っていた。罠を仕掛けられたはずが、逆に敵を罠に嵌める形となっている。
「証拠も、確保できた」
レイヴンはそっと紙片を差し出した。値の張る羊皮紙に認められた達筆な文字。それは宮廷でも指折りの実力者、エデン伯爵の署名が刻まれた指示書だった。
「まさか、エデン伯爵が……」
リリアは息を呑む。エデン伯爵といえば、先代から続く保守派の重鎮。女性の王位継承に断固反対の立場を取り続けてきた人物だ。その彼が、ここまで過激な手段に出るとは。
「陛下の時代から、彼は女性継承に反対し続けてきた」レイヴンが静かに言葉を続ける。
「だが、継承者会議で法案が通る可能性が高まった今、最後の手段として暗殺という道を選んだということか」
その指示書には、女性継承者の排除を目論んだ陰謀の全容が記されていた。これは決定的な証拠となる。継承者会議に向けた組織の動きは、完全に止まることになるだろう。
「エステル様は?」
「無事だ。先ほど、セリナの護衛と共に、より安全な別室へ」
リリアは小さく頷いた。
翌朝、継承者会議の延期が発表された。
エデン伯爵の一派による陰謀が明るみに出た影響で、より厳重な警備体制を整えてからの開催となる。
そして、この一件の影で暗躍した者たちの存在は、誰の目にも触れることはなかった。
ただ、宮廷の闇を払った一筋の光が、確かにそこにあったことを、限られた者たちだけが知っている――。
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