第六章:バベルの図書館

 大賢者は、時の塔の謎に迫り続けていた。辞書を完成させたことで、塔に所蔵されている書籍のほとんどが無秩序な文字の羅列られつにすぎないことを確信するに至った。


「これは、ただの乱雑な記号だ……。この書棚に一体何の意味がある?」


 疑念を隠せない彼は、司書に向き直り問い詰めた。


「あなたは一体、この塔で何をしている? ここの書籍は、何のために存在しているのだ?」


 司書はその鋭い視線を受け止めると、静かに微笑み、語り始めた。


「ここは、すべての可能性を秘めた場所なのです。無数の無秩序な文字の組み合わせがここにあり、同時に過去から未来までのすべての書籍、すべての言葉、宇宙の果てに至る真実までもが存在します。そして、それを見つけ出し、整理することが私たち司書の使命なのです。」


 その言葉は穏やかだったが、その奥には確固たる信念と決意が込められていた。大賢者もまた、かつて魔導書を執筆した経験がある。理論的には、文字の無限の組み合わせが、自分が書いたものと同一の書籍を生み出す可能性を理解できた。しかし、その膨大な可能性は、彼にとって現実離れしたものに思えた。


「たしかに理屈は分かる……。しかし、ここに来てから一冊たりとも読める本を見たことがない。こんな場所が存在するなんて、信じがたい話だ。」


 それでも彼は、この塔で司書と共に生活している以上、その事実を受け入れざるを得なかった。



 過去の冒険の日々が彼の記憶に蘇った。かつて数多くの古代遺跡を訪れた彼は、その中で魔物が巣食すくう場所にも足を踏み入れたことがあった。彼にとって魔物は脅威きょういではなかったが、貴重な書物を探すためには、探索の呪文が欠かせなかった。それは、探したい書物を思い描き、呪文の札にその書物に含まれるであろう特定の言葉を書き込むことで、魔法の力を使って在処を探知するすべだった。ただし、この魔法の有効範囲は限られ、最も優れた魔法使いでも数十メートルが限界だった。


「書物を探すための呪文を知っている。ここで探索の魔法を使ってみよう。」

 彼は司書に提案した。その言葉に、司書は目を輝かせ、喜びを隠しきれない様子で微笑んだ。

「そんな呪文があるなんて。それができれば、無作為に歩き回らずに済みます。」


 二人は協力して、探索の呪文を唱えることにした。司書の魔力は大賢者をはるかにしのぐものであり、その力によって探索範囲はさらに広がった。塔の棚の一部が応答を示し始めたが、それ以外の広大な空間は沈黙を保ち、塔の全貌ぜんぼうを明らかにするには至らなかった。


 彼らは探索の精度を高めるため、呪文の札に改良を施し、複数の言葉を書き込めるようにした。また、不要な単語を除外する機能も加えたことで、いくつかの書籍を発見することに成功した。しかし、それでも探索範囲には限界があり、塔の広大さと神秘に改めて圧倒されることとなった。



 それでも、司書にとっては大きな成果だった。これまで一人で収集してきた書籍の二倍もの本を、数日間で発見したのだ。彼女の目には涙が浮かび、その声は震えていた。


「ほんとうにありがとうございます……大賢者様。」


 彼女は頭を深く下げ、感謝の言葉を口にしながらも、すぐにその書籍を整理する作業に没頭していった。



 司書が本の整理に追われる間、大賢者は塔そのものの魔力に着目し、それがどこから流れてきているのかを探ることにした。司書だけの魔力とは思えないほどのエネルギーが塔を満たしていたからだ。彼は塔の中庭に立ち、大地に手を触れて集中を始めた。彼の目的は、火、水、大地、風の精霊たちの声を聴き、塔の秘密に迫ることだった。


 精霊との会話は、魔術師でも高位の魔法使いでなければ不可能な技である。彼は過去にデーモンとの戦いの中でエルフが精霊を呼び出した場面を目撃しており、その時の記憶を頼りに精霊の声を聴く努力を続けた。幾日にもわたる精霊たちのささやきを聞いた末、彼は塔の中央広場にそびえる小さな塔こそが魔力の源であると確信した。


 その塔は高さ五階分ほどで、尖塔せんとうの先端に鋭い棒が突き出した独特の形状をしていた。小窓や外壁の装飾が施され、異様な存在感を放っていた。これまで何度か中に入ったことがあったが、大賢者にはただの荷物置き場のように思えていた。


「これは、魔力の増幅器ではないか……?」


 彼の発見に、司書もその可能性を認めた。二人は協力して中央広場の小さな塔に入り、儀式の準備を進めた。もしこの塔の力を活用できれば、塔全体から必要な書籍を探し出すことができるかもしれない。



 儀式が始まると、司書と大賢者は向かい合い、手を取り合った。大賢者が呪文を唱え問いかけた。


「私は求める知識を持つもの。我らの求めに応じ解き明かせ。」


 その瞬間、塔全体が光に包まれた。司書はその光の中でそよ風に舞うようにゆっくりと宙に浮き、彼の問いに応じるように語り始めた。


「ここはバベルの図書館の一部です。無数の無秩序な知識の断片が、過去から未来までのすべての言葉や物語として存在しています。私の役割は、その知識の中から必要なものを見つけ、あなたに提供することです。」


 大賢者は目を閉じ、心の中で探しているものを明確に思い描いた。部屋の中央からまばゆい光の玉が現れ、次第に星座のような形を成し、目の前に美しい光景が広がった。そして司書の手を通じて伝わる知識の断片は、紛れもない真実だった。

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