第三章:呪縛

 大賢者が時の塔の入り口に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。それは、外界とは明らかに異なる、時間の流れさえゆがめられた空間だった。荒廃が進む一階の中央広場には、崩れた石材や土砂が散乱し、塔の内側を覆い隠していた。しかし、階を上がるごとに、塔の姿は次第に創世記そのままの原形を保ち、美しさを取り戻していった。


 無数の本棚がひしめく塔の内部には、古代文字が刻まれた本が所狭しと並んでいた。その文字列は、彼がかつて古文書で見つけたものと一致していたが、その意味は依然として謎のままだった。


「ここが時の塔だ……。」


 大賢者はそう呟き、深い息を吐いた。塔に漂う力が自分の理解を超えたものであることを、肌で感じていた。


 彼は塔に住処を作ることを決めた。崩れかけた一階の広場を掃除し、日の光が差し込む場所に家畜を休ませると、大地の呪文を唱えて地面に穴を掘り、水脈を見つけた。さらに、乾いた地面を魔法で耕し、農地を作り上げた。その手際は熟練した農夫のようでありながら、彼の動きには魔法使いとしての精緻せいちさと効率が宿っていた。


「精霊がいれば、もっと楽なのだが……。」


 彼はかつての仲間であるエルフたちを思い出し、少しの寂しさを胸にしまい込んだ。やがて畑の隅に簡素な家を建て、生活の基盤を整えた。汗をかくことは久しぶりだったが、彼は袖でそれを拭いながら、満足げに笑みを浮かべた。


 翌日、大賢者は塔の奥深くへと足を進めた。彼は古びた書斎を見つけ、それを自分の拠点とすることにした。そこには幾千もの本が並び、その全てが彼を待ち受ける謎をはらんでいた。


 彼が塔での日々を過ごし始めて数日が経った頃、司書が彼の前に現れた。彼女の存在は、静寂そのもののようでありながら、空間そのものを支配するような圧倒的な威厳をまとっていた。


「何をお探しですか?」


 司書の声は冷静でありながらも、その響きには深い叡智えいちが宿っていた。彼女の目は星空のように輝き、全てを見通すかのような視線を彼に投げかけていた。


 その瞬間、大賢者は自分が杖を持っていないことに気づいた。彼女の視線には、単なる少女にはありえない魔人のような力を感じ取ったのだ。


「言葉がわかるならお願いしたい。ここに所蔵しょぞうされている本に意味があるなら学びたい。」


 彼は彼女の存在を恐れながらも、その内なる探求心が勝り、思わずそう頼み込んだ。


 司書はじっと彼を見つめると、ふと微笑ほほえんだ。それはまるで、彼が本の秘密にたどり着いていないことを見抜いたかのような笑みだった。彼女の中に渦巻いていた嫉妬心が、その瞬間に霧散むさんした。


「時間ならいくらでもあります。」


 司書の声は、どこか解放感を含んでいた。大賢者が害を成す者ではないと知った彼女は、再び沈黙に戻り、塔の静けさが二人を包み込んだ。


 しかし、この出会いが運命を変えた瞬間であることを、二人はまだ知らなかった。司書の呪縛じゅばくが彼の魂に絡みつき、彼が塔の外へ出ることは、もはや不可能となっていたのだ。

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