第21話 覚醒

 走馬灯のおこる理由の一説には、強いストレスを受けた脳が今まで蓄えた記憶の中から解決方法を必死で探し出しているというものがあるらしい。

 死の危険などに直面した脳は、その動きを活性化させて、問題解決の答えをはじき出そうとしているのだと、そう何かで知った。


 それならば、今思い出しているこの記憶は、何かしらの役に立つのだろうかとクイーンは思った。

 施設から逃げ出し、ホワイトの手配で姉弟で小学校に編入して半年が経ったころ、クイーンとジャックは映画を観ていた。古い映画で、主人公のプリンセスが自分と同じ金色の髪をしていたのを覚えている。強い雨と雷の鳴り響く夜に、ジャックと肩を寄せ合って観た。


 雷を怖がる自分をジャックが慰めてくれた。タオルにくるまりながらテレビを観た。楽しかった。嬉しかった。良い思い出だ。だが、この記憶を思い出したことになんの意味があるのだろうか?


 クイーンは記憶の意味を考えながら、ジャックの拳を顔面に受けた。拳が当たる瞬間に上半身を後ろに逸らして受けたため、ダメージは最小限に抑えられた。それでも、完璧ではない。口内に血の味が広がった。どうやら口の中のどこかを切ったようだ。

 口の中に溜まった血と唾液の混ざった体液を吐き捨てる。そのはしからさらに出血して唾液と口の中で混じりあっていて不快な気分だった。


 ジャックのさらなる攻撃。突き出される手刀。クイーンは右腕で突きを逸らす。懐に潜り込みジャックに体当たり。ガラスポッドに向かってジャックの背中がぶつかり分厚いガラスにひびが入る。常人なら重度の打撲を負っても不思議ではない衝撃だったが、ジャックは意に介さない。


 大きな腕が、クイーンのジャケットの襟を掴み床に投げる。受け身を取ったクイーンに、ジャックがまたがりマウントポジションを確保する。先ほどとは逆の立ち位置だ。右のパンチが振り下ろされる。クイーンは顔をそむけてぎりぎり回避。逃げ場のないこの状況で拳を食らえば、顔には一生消えない傷が残るだろう。

 次は左フック。あたる直前にパンチの流れる方向に顔を動かしダメージを最小限にする。拳がクイーンの鼻を掠めた。ほんのわずかにかかわらず、鼻腔から鼻血がこぼれだす。


 血が流れだす。真っ赤な血が、呪縛を解放された鮮血が、母の遺産により浄化された血が。


「血だ。鼻血が出てる」

 クイーンは手のひらで拭った自身の血を見てぼんやりとした調子で言葉を続けた。


 ジャックの拳が止まる。


「ねえ、話したことあったかな。あたしだって、プリンセスが好きだった。覚えてる? 金曜日の夜に、二人で映画を観たこと。プリンセスに王子様がキスをする。一番の盛り上がりで、あたしはタオルケットを頭から被ってた。なんでだと思う? 雷が鳴ってたからじゃない。あなたが一緒にいてくれれば平気だった。それはね……、」

 

 クイーンが両腕を伸ばす。その手がジャックの服の襟を掴み腕を曲げる。二人の鼻先が触れ合う。


 洗脳されていても、ジャックの豊かな戦闘IQは少しも損なわれていなかった。服の襟を掴んだクイーンはそのまま頭突きで攻撃してくるだろうと、彼はそう予測していた。やぶれかぶれの攻撃だと思った。だが、実際にクイーンの起こした行動は、ジャックの予想の埒外にあるものだった。洗脳され、感情のほとんどを制限されたジャックだったが、その心に戸惑いの感情が生まれた。


 唇が重なる。弟の体温を感じながらクイーンは愛撫を続ける。舌をジャックの口腔に差し込み自分の口内に溜まった血液を注ぎ込む。

 ぎこちない動きで舌を絡ませる。血が出なくなった。かわりに唾液を注ぎこむ。獣のように恋人にするように丁寧に丹念にクイーンは口づけを続けた。


 大切な人の一部が体の中に流れ込んでくるたび、ジャックの心臓が強く脈打つ。先に薬によって自由を得たクイーン。彼女の体液に混入した薬の成分がジャックに足りなかった分を補い始める。


 ジャックの唇に痛みが走る。クイーンが歯で唇の皮を嚙み切っていた。クイーンは少しだけ顔を離すと舌を突き出しながら挑発的に笑った。血に染まった舌にむかってさらに血が滴る。


 ジャックの体温が燃え上がるほどに上昇する。溜め込まれたエネルギーが下腹部で激しく沸き立つ。自我を封じられ凍り付いていた心が氷解を始める。体が自由に動く。力の制御もできる。淀んで光を失っていた瞳に活力が甦る。


 ジャックはクイーンの肩を掴み優しく引きはがした。姉弟を繋ぐ糸がキラリと光る。


 クイーンがまっすぐに見つめてくるジャックの顔をまじまじと見る。


「ジャック? あたしがわかる?」

 兄弟の瞳に知性が甦ったことに気づきクイーンは恐る恐る訊ねた。

 ジャックは静かに頷いた。その腕は優しく姉の両手を包む。


「良かった。ほんとうに、本当に良かった」

 クイーンは目を擦りながら何度も言葉を繰り返した。

「あれおかしいな。嬉しいのに、止まらない」

 涙が視界を滲ませる。抑えようと思ってもなかなか止まらない。


「スマナイ。心配カケタ」

 ジャックはクイーンを抱きしめた。姉と同じように自分だって愛情では負けていないのだと力いっぱい表現してみせた。


彼は間違いなく自分の知っているジャックだ。もう彼は大丈夫だと、クイーンは胸に抱かれながら理解した。


 二人に分かたれていた魂魄が、拳を交わし、その血を混じり合わせ、再び一つの存在へと回帰する。もう離れない。もう離さない。




 ***




 抱き合う姉弟の映像を見たカダスマは身をゆだねていた浴槽から跳ね起きた。

「なにをやっている? 何が起きた。捕まえたのならばどうして連れてこない」

 浴槽の縁を掴む手に力がこもる。高級木材で作られた浴槽がミシリと音をたてた。老人のこめかみに青筋が浮かぶ。滑らかな白い肌が醜く歪む。

「内線を繋げ」

 秘書はお盆の上に載ったレトロな黒電話をカダスマに差し出した。力強いデザインの受話器を耳に当て、カダスマは施設中にいる人間に対して次々に命令を下していった。持てる戦力のすべてを投じ、ジャックとクイーンを捕獲するのだと。施設内に非常事態を知らせるサイレンが鳴り響き、回転灯が回り始めた。



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