第5話 アサルトメイデン 

 時間は現在に戻り、ムサシ第二集団墓地にて


 周囲に埃臭さが漂う。予報通りの激しい雨が墓地の敷地内に敷き詰められた砂利に叩きつけられている。


 クイーンは合同墓の石碑に刻まれた名前の一つに手を合わせていた。

 不快な湿気でシャツが肌に張り付く。不快感をこらえながら祈りを終えたクイーンは、たまらずに胸元をぱたつかせる。


「天気予報だと、あと少しでやむみたい。それまでは待とう」

 ジャケットを脱いだクイーンは訪問者用のベンチにどっかりと座って言った。


 同じく手を合わせていたジャックもクイーンの言葉にうなずく。彼の鋭利な爪が、刻まれた名前をなぞる。


 クイーンとジャックの姉弟は、時々このように墓地に赴き祈りを捧げていた。かつて母と慕っていた女性の名前にだ。

 

 彼方の天井を見上げ、クイーンは深呼吸をする。この場所に通うようになりかなり経つ。


 ホワイト医師との共同生活を始めてから二年ほどが経過したくらいに、ここに母が葬られたと聞かされた。まだ常識の身についていなかった当時のクイーンは、名前が刻まれているだけとしか思えなかったが、それでも何度か通ううちにチャンスがあれば行く程度には習慣化されていったのだ。


 自分たちを大事に思ってくれていた人間が、少なくとも一人は存在していた。石に刻まれた名前がそれを証明している。つらい現実の中では、その事実が数少ない励ましになっていた。


 とはいえ、これからどう動くか。フィクサーの婆からはたいした情報は得られなかった。ニギタマ製薬の一部グループが動きを活発化させているらしいが、下層エリアのフィクサーごときではその真相まではたどり着けない。これ以上の深入りはフィクサー生命に関わると、老婆は調査を断念していた。


 今までに仕留めて回った旧ヨコハマドセンタン研究所メンバーは、末端も末端だ。先日のヨモギも本来ならばその居所を掴むことが難しい程度には大物だった。過去にマスコミのカメラ映像に映りこんでいたのを、偶然に発見して何とか辿り着いただけだ。さあ、次はどうする?


 頭を悩ませていたクイーンをジャックが呼んだ。


「ジャック? どうしたの?」


 相棒が、霊廟の三方向に配置された扉のない入口の西側を顎で指し示す。


 立ち上がり視線を入り口に向けると、そこには女が一人いた。


 クイーンが優れた視力で女の顔を観察した。クイーンやジャックよりも年上の二十代に見えた。見覚えのない顔だ。


 鋭利なナイフのような不機嫌そうな目付きに、クイーンの背筋に悪寒が走った。


 いつの間にか雨の勢いはかなり弱まっていた。次の瞬間、霊廟内の淀んだ空気を撹拌するように突風が吹き込んできた。女は全身で風を受け、前髪の一部が白くなった黒髪を揺らす。その口元には湾曲した威圧的牙のサイバー面頬が装備されている。


 煩わしい突風から顔を守るため、クイーンは右手をかざした。そのほんの瞬間だけ、女から視線が外れた。風が弱まりかざしていた手を下ろす。女の姿がない。


 ウカツ! 下だ! 地面ギリギリまで身を低く構えた女がそこにいた。女は右こぶしを後ろに引き、クイーンの顎めがけてアッパーカットを放った! クイーンは寸前でブリッジ回避! 女は追撃を断念。すぐに距離を離した。女の元いた位置をジャックの拳が空ぶった。ジャックがクイーンを庇う位置に移動。女に立ちはだかる。


「良い反応。とても厄介」女が呟く。


「ジャック、注意して。まわりにもいる」背中合わせになりクイーンが姉弟に警告した。


 後方の入り口から、柱の陰から、墓の後ろから、物々しい兵隊たちが姿を現した。全員が全員フルフェイスヘルメットと軽量アーマーで身を包んでいる。アーマーの肩にはニギタマ製薬所属を現すエンブレムが刻まれていた。


「我々の行動はすべて法律で許された企業の自己防衛の範囲内。違法行為は一切ない」

 欺瞞に満ちた文言が兵士たちが構えた防護盾のスピーカーから流れる。


「企業の幹部を殺しておいてのうのうと、なんて、本気で思っていたわけじゃないよね」

 女はやる気のない態度で前髪をかきあげた。その手には黄色い手甲が装備されている。


「でも安心して、あんたたちは殺さない。話を聞きたい人がいるから連行する。だからさ、ほら、大人しくして?」


 女の言葉に合わせ、盾と警棒で武装した兵士たちがにじり寄る。

 ジャックの左側にいた兵士が、一歩踏み込んだ。霊廟内に固い音が響く。ポリカーボネート製防護盾が砕け散り、兵士が回転しながら吹き飛んだ! 距離を詰めていた兵士たちが戦き後退する。


 クイーンのムチがしなり、兵士の首に巻き付いた。クイーンは力を込めてムチを引き、兵士を墓石に叩きつけた! 衝撃にのたうち気絶する。守りを固めた仲間の兵士たちが更に後退する。


「あっそ、それが答えってわけ」

 兵士たちにアッシュさんと呼ばれた女が、前に出てきた。両腕の手甲がバチバチと音をたてて青白いスパークを走らせる。


 ジャックが咄嗟にガード姿勢。アッシュの下段突きを防御。手甲の放電機構が作動。先端の端子部分からの電撃が、ジャックの筋肉を強制的に収縮させる。抗う事のできない科学の力だ!


 だが、浅い! ジャックは硬直する筋肉を無理やりに動かし、アッシュに横薙ぎの一撃を放った。手甲がかろうじて拳の直撃を防ぐ。


 ふらつきながらアッシュが後ずさる。

〈バケモノめ。満足に動けないはずでしょ? それなのにこの威力か〉

 アッシュは左腕の痛みをこらえた。先の一撃で左手の手甲が破損。放電機構を破壊したジャックの苦し紛れの攻撃は、手甲の防御を突き抜け、衝撃によってアッシュの前腕に少なくないダメージを与えていた。


 ジャックが続けて反撃。電撃の責め苦から解放された拳の威力はポリカーボネート盾すらも砕く。人間相手には過剰すぎる威力の高速突き。


 その拳を、アッシュは左手をジャックの拳に添えて、力の流れを逸らすことで回避した!


 人の枠を越えた剛力を正面から防御すれば、全身を砕かれて無様を晒すこと必至。突きが迫りくる寸前で、そう判断したアッシュはぎりぎりのところで防御から回避に選択を切り替えていたのだ。


 だが無傷とはいかない。右腕の袖と皮膚が裂け血液が滴り落ちる。

〈これは無理。荷が勝ちすぎる。……だけど、これで多分正解〉

 アッシュは当初の作戦通りに動き出した。狙うはジャックと背中合わせのクイーンだ。


 狙いに気づいたジャックが阻止に動こうとするが、盾を構えた兵士たち決死のスクラムによって動きを封じられてしまいかなわず。


 クイーンが異変を察知して振り返るが、すでにアッシュとの距離は手を伸ばさずとも届く位置まで肉薄されていた。


 鞭では間に合わない。左手をヘビ・ケンの構えにして応戦する。しかしアッシュが早い。クイーンは鉄の塊に衝突されたような錯覚を覚え、抵抗する暇もなく頬と胸を石床に押し付けられテイクダウン。衝撃で肺の空気が逃げ出した。


 目標の一人目を拘束したアッシュは、膝でクイーンを押さえつけながら迎撃の構えをとり警戒した。だが予想に反して動きはなかった。


 ジャックは鋭く尖った歯を剥き出しにして威嚇しながらアッシュを睨み付けた。それでも一向に動き出す気配はない。


 そこでアッシュは、目の前の生体兵器が次の行動を決めあぐねている事を悟った。

「動けば彼女がどうなるか、わかるよね?」

 アッシュがこれみよがしに右手の手甲でクイーンの顔を撫でて言った。その際にクイーンが指に噛みつこうとしてきたため、少女の頭をペチンと叩いた。


 クイーンが自分に構わず周囲の敵を倒すようにわめく。


 兵士たちがジャック跪かせようとするが一歩も動かない。せめてもの抵抗だ。

 恐怖に駆られながら、兵士たちは仕事を果たすために手荒な行為にでた。

「ウォオオオ! くらえ! 合法的暴力!」

 何本もの電磁警棒がジャックの体に打ち付けられた。全身への電撃で筋肉が収縮し強制的に跪く。丸まって防御姿勢になったジャックに、兵士たちは過剰なまでの暴力を加え続けた。


 ジャックは同じように地面へ押しつけられた少女の目を見る。困惑の感情が色濃く浮かんでいる。彼には分かっていた。少女の言わんとすること、望んでいる事が。だが、ジャックは歯を食い縛り、屈辱に耐える事を選択した。やろうと思えば兵士たちなど簡単に殲滅できた。しかしそれではだめだ。

 彼は暴れるだけが能のケダモノではなかった。第一にクイーンの守護。己の生命を賭してでも。それが彼の第零号規定だった。だが、今の状況はどうしたことか。守護者は自分自身に憤った。


 何たる迂闊。何たる無様。すべてはおのれの不甲斐なさゆえ。お前は何のため生まれた。何のために戦っているのだ。ヒメコを守るためではなかったのか!


 ジャックは奥歯を噛み締めて耐え続けた。深い知性を内包した金色の視線が、アッシュの警戒する目と交わる。



〈自分が大人しくしていれば、兄弟に危害は加えないだろうと計算しての行動? むぅ、だとすれば意外にも知性的存在〉

 アッシュは兵士たちに、床に丸まって転がるジャックを連行するように指示を出した。油断すれば折角の有利が簡単にひっくり返る。速やかに二人を分断をする必要があると判断したのだ。


「これで勝ったつもりなわけ? 見てなさい。最後に勝つのはあたしたちよ」

 腕の下でクイーンがアッシュを睨みつける。


 なぜこれほどまでに強がれるのか、アッシュにはわからなかった。

「別に、最後に勝つのが誰かなんてどうでもいいけどさ。あんた相棒に感謝しときなよ? 彼が大人しくしてるからこの程度で済んだんだから。愛情深い兄弟に感謝ね」

 アッシュは呆れたようにため息を吐き、諭すように言った。


 クイーンが何か言おうと口を開きかけたが、手甲の電撃がそれを封じる。


「喋りすぎた。それじゃ行こっか。応援してるよ。精々がんばって」

 アッシュに見下ろされながら、クイーンは悪態をつく。声にならない声で。


 兵士たちが、金属同士の擦れる耳障りな音を鳴らしながら到着したストレッチャーへとクイーンを載せる。

 電撃で麻痺したうえにベルトで拘束された状態のクイーンに、使い捨て注入器を握る手が伸びる。そして兵士の手が慎重な手つきで注入器を、クイーンの露出した腹に添えてボタンを押した。極細の針が皮膚に突き刺さる。麻酔薬が注入器から体内へと速やかに流れ込み、クイーンは意識を失った。


 ストレッチャーが護送車に載せられた。アッシュの合図でクイーンとジャックの姉弟を載せた、なんの変哲もない偽装バン二台が発進した。墓地に再び静寂が戻る。目撃者は誰もいない。


 

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