冷えひえカヘル侯の巨石事件簿(一)天地の間に巨立石/メンヒル、君がいる

門戸

プロローグ:メンヒルの花嫁

 

 西空かなたに、夜が眠りにゆく。


 代わってそっとやってきた、あけぼのぬくもりが身体をつたうのを感じ、今日も朝がうまれるな……と、かれは思った。


 湿気と薄闇とが次第に立ち消え、千草が眠りから覚めて、小さな花びらをいっぱいに広げ始める。そこから立ち昇る生命の芳香……蜜蜂くま蜂のぶうぶう言う羽音が、かすかな潮騒にまじっていく……。



 かれは今日も、よろこびに満たされた。


 何千回と繰り返してきた夏を、またひとつ重ねる。


 何百万回と越えてきた一日を、さらに豊かに連ねる。


 自分以外の数多の生命に囲まれて、かれは嬉しかった。


 さわがしくて温かくて、心地よいこの世界。その一端を担えることの喜びを、重く大きなその身体いっぱいに、たたえていた。




 …… ♪ もうじき もうすぐ 花嫁が


 あなたのところへ あゆんでゆきます……



 ひとの声が流れてくる。


 甘い風のようなそれ、かれの心をくすぐってさらなる喜びで満たすその風を、歌と言うのだとかれは知っている。



「おはよう」



 かれの前にたたずんで、美しい生きものは言った。


 しなやかな手のひらがかれの冷たい表面に触れて、かれは彼女の熱を感じる。


 かれは娘を知っていた。ようく、知っていた。


 二本の足で、たどたどしく歩いてやってきた頃から……いいや。母親の腕に抱かれてかれの前にやって来た頃から、かれは娘を知っている。


 くる日もくる日も、きっと娘はやってきた。


 かれにその小さな手のひらで触れ、熱を与え、少し話して帰ってゆく。


 そうして来るたび、ちょっとずつ大きくなっていった。



ふるいあなたは、いったい何を知っているの?」



 ある日問いかけられて、かれは何でも知っているよと答えた。



「賢いあなたに、わたしの未来は見えるの?」



 別の日につぶやかれて、幸せにおなり、とかれも囁き返した。


 娘は微笑して、そして去ってゆく。


 かれは娘が、いつか自分のことばを察するようになるかもしれない……と思った。


 今日か。明日か。ずうっと、先の日……。



「あのね、わたしね」



 これまでにない美しさ、生命いのちの熱をみなぎらせた姿で、今朝の娘はかれにささやく。



「今日。大切な人のところへ行くの。あの人の、妻になるのよ」



 恥じらいながらも誇らしげに、娘はそう言った。言って、笑った。


 かれはその笑みを見て、喜びに満たされる。


 動けないかれは、自分にできる精いっぱいの祝福でもって、娘の身体を包んだ。


 どうか、しあわせになっておくれ……と、心からの寿ことほぎをおくった。


 娘はゆっくり、かれの前にくずおれる。


 ふわりと長衣の裾が揺らぐ。かれの周りにたくさん咲いている、ひなげしと同じ色の衣が地にひろがる。



 巨立石メンヒルのやさしい祝福にいだかれたまま、


 ……娘は眠るように、こときれた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る