第18話 文化祭二日目
文化祭二日目。
冥土喫茶は昨日と同じように繁盛していて、外部のお客さんも大勢来てくれた。昨日聖良に伝授されたコーヒーとケーキ術のおかげで、お店はスムーズに回っている。僕は二時間ほど執事になり、その後はまた自由の身をもてあまして適当に校内を回った。吹奏楽部の演奏や演劇部の発表など、校内ではさまざまなイベントが行われ盛り上がっていた。
昼、スマホを見ると摩耶からメッセージが来ていて、今日文化祭に行きたかったが用事で行けないと書かれていた。「残念だね」と返信すると間髪入れず、「実は今日は私の誕生日なの。もしよかったら家に来ない? お父さんが出張でいないし、ひとりで祝う誕生日はさびしい。午後は病院に行くから夜に来てくれ」という内容の返事が来た。僕は聖良との約束を思い出す。キャンプファイヤーを一緒に過ごす約束だ。聖良との約束も大事だし、摩耶の気持ちも大切だ。これは浮気……ではないよな。八時過ぎなら後夜祭も終わっているし大丈夫だろう。
二時から雛乃のダンスが始まった。雛乃は五人グループのセンターだ。軽快なダンス音楽に合わせて、生徒たちが手拍子をする。会場は歓声の坩堝だ。
ステージ上で雛乃はスポットライトの光を浴びて輝いている。才色兼備な妹が誇らしい反面、どんどん遠くなるようで悲しみを覚えた。雛乃たちはアンコールに応え、全部で四曲もダンスを披露した。家に帰ったら褒めてあげなくては。
妹の活躍に嬉しさを感じながらも、どこか気持ちが晴れなかった。昨日の聖良の話も気になるし、今日これからキャンプファイヤーと摩耶の誕生日を無事に迎えられるのか不安だった。器用でない僕が、なぜか女子ふたりの間を行ったり来たりしている。これでは軟派な男のようだ。
ダンスの後、ずっと聖良のことを考えていた。告白されたことが夢のように思えてくる。彼女のことはもちろん良く思っているし、恋人になれたら最高だろう。でも聖良のことを思うたび、摩耶がちらついてくるのだ。
教室に戻り、冥土喫茶の後片付けを手伝う。料理もコスプレも人気で、最後まで客足は途絶えず校内の話題をさらっていた。
「藤原君、写真撮ろー」
女子たちに促され、写真の輪の中に入る。文化祭を通して僕たちのクラスは、今まで以上に仲良くなれた。最初は顰蹙を買っていた渋沢も女子に混じって、にやけ顔で写真を撮っている。僕は心の中で聖良に感謝した。
「ケーキ余ってるんだけど、藤原君持って行ってくれない?」
切れ長の目をしたクール女子がそう言うので、小さめのケーキをもらうことにした。ささやかだけど、これを摩耶の誕生日ケーキとしてあげようと思ったのだ。丁寧に箱詰めされリボンまでつけてもらった。そのケーキには付箋に名前を書いて、調理室の冷蔵庫に入れておいた。キャンプファイヤーの間はしまっておかなくてはならない。
後片付けが五時に終わり、聖良が待つ中庭へと急ぐ。ゆったりとした楽器の音が聞こえ、その場所に聖良がいた。僕を見つけると彼女はカリンバを弾く手を止め、「浩介君、こんにちは」と言った。初めての聖良の私服姿だ。白いブラウスに焦げ茶色のカーディガン、ベージュのフレアスカート。いつにも増してかわいらしく胸が高鳴る。
「その楽器、カリンバだよね」
「うん、よく覚えてたね。今弾いてたのは、夜明けっていう合唱曲。いい歌詞なんだよ。……あなたがくれたこの翼 夜明けの光を浴びて 未来に向かって羽ばたくから これからもずっと 見守っていて……ね、いいでしょう」
聖良が歌う「夜明け」は穏やかで優しいけどどこか物悲しく、別れの匂いがした。どうして彼女は今日この曲を選んだのだろう。
「ちょっとしんみりしすぎちゃったかな! さあ行こうか」
聖良は僕の手を強く握った。校庭からは、楽し気な音楽が流れ出している。後夜祭の始まりだ。
空がだんだんと暗くなり、星が瞬きだした。校庭に集まった生徒達は、今か今かと点火の瞬間を待ちわびている。
「それでは、後夜祭の始まりです。まず、点火式を行います」
アナウンスが流れ、弓道部が一列に並ぶ。緑風館高校では、後夜祭の点火は持ち回りで運動部が行うことになっている。去年は水泳部が松明を投げ入れて点火が行われた。
点火の合図と同時に、火のついた弓矢を一斉に焚き火台に向かって放った。あかあかと火は燃え上がり、まだ青さの残る夜空に高く火柱を立てた。
「きれい……」
熱に灯された聖良の頬は、美しく色づいていた。
「日本に帰れてよかった。アメリカでの生活もよかったけど、やっぱり生まれた国で青春を送りたかったし。浩介君にも会えたし」
「交流会で会わなかったらずっと会えないままだったね」
火柱の爆ぜる音が心地よく耳に伝わって、僕らは寄り添いやすい雰囲気になる。後夜祭舞台では、ライブイベントが行われており、生徒たちが有り余った元気を最後のステージにぶつけている。
「実は私、日本に帰ってきてから浩介君の家の前まで行ったことがあるんだ。元気にしてるのかなと思って。思いっきり変装してたけどね。そしたら君がちょうど家から出てきて
私と鉢合わせしちゃったの。覚えてないかな」
春にそんなことがあったかもしれない。かすかに記憶に残っている。
「あたふたしている私に、浩介君は『どうしたんですか』って優しく聞いてくれた。それで私は『道に迷っちゃって』と咄嗟に言ったの。そしたら君は駅まで連れて行ってくれた。嬉しかったなあ、浩介君は昔のままだった」
「なにそれ。軽いストーカーだね」
からかうと聖良はむきになって、
「だって私、日本に帰ってきたら初めに君に会いたかったんだもん」
と言った。
「憧れられるような人間じゃないよ」
「そんなことないよ。浩介君は立派な人です」
軽快なワルツが流れてきた。ダンスなんて踊ったことがなかったけど、周りの生徒の見よう見まねで聖良の手を取った。彼女は音楽に合わせて軽やかにステップを踏む。聖良は僕が踊れないのを知ってか知らずか、自然にリードを取り始めた。僕も負けじと聖良についていく。
「競争じゃないんだよ」
手を取り合いながら聖良がくすっと笑う。それから僕たちは静かに火の周りを踊り続けた。言葉を交わさなくても、心がつながる思いがした。
空高く花火が打ち上げられる。僕たちは芝生に座りその光景を眺めた。
「来年もまたここで浩介君と一緒に踊りたいな。いいよね」
聖良が空を見上げてそう言った。
「もちろんだよ。それまでにダンスを毎日練習しておくよ。きっと達人になって帰ってくる」
「約束だよ」
後夜祭も終わりの時を迎えた。名残の花火が舞い上がる。聖良は僕に「手をつないで」と言った。手を握るとぬくもりが伝わってきて、彼女を愛おしく感じた。
「ねえ、このまま帰るのももったいないよね。今から二人だけでどこかに行かない?」
後夜祭会場には蛍の光が流れている。学生たちはさまざまな思いを胸に、家へと帰ってゆく。人がまばらになった校庭に僕たちは残されていた。
「どこかってどこへ?」
「そうだな。家へ来ない? もちろんちゃんと送り迎えはするから。私の家でケーキ食べよう。冷蔵庫にケーキ入れてあるでしょ?」
もうすぐ七時になろうとしている。摩耶との約束の時間まであと一時間しかない。このままでは遅刻するだろう。僕はどうしたらいい?
そんな僕を見て聖良は全てを見透かしたように、
「この後誰かと約束がある、とか?」
と言った。図星を突かれ言葉に窮する僕に聖良は更に追い打ちをかけてくる。
「もしかして、石動さんのところに行くの?」
聖良から摩耶の名前が出たことに僕は驚く。聖良と摩耶は知り合いなのか。何も言えず、目を逸らすことさえできない僕は悲しいピエロだ。聖良は消えかけた炎の残りを愛おしそうに眺めながら、
「あはは、ごめんね。藤原君にだって用事があるよね。小柴聖良は七時までのレンタルでしたー。ここからは延滞料がかかるから、お早めにご返却ください」
と言った。僕は聖良に申し訳ないことをしたなと思い一言「ごめん」と謝った。それを見た聖良は「いいよ」と寂しそうに笑う。
「じゃ、またね。本当に楽しかったよ。私、今日のこと絶対忘れない」
聖良は黒塗りの車に乗り、帰っていった。聖良を見送りながら、僕は自分の愚かさ加減に呆れてしまう。どっちつかずの態度を取り、彼女を傷つけてしまった。胸がズキリと痛む。
これから摩耶の家に行くのはためらわれる。ささっとケーキを渡し誕生日を祝い、家に帰ろう。その後は聖良に「今日楽しかったね」とメッセージを送ろう。それでいいんだ。
校内はまだ生徒たちが残っていて、文化祭の余韻が漂っていた。遠くで蛍の光が聴こえる。学内に残っているのは余韻を楽しむカップルばかりだ。僕はそんな彼らを横目に調理室へ急ぐ。
調理室が見えてきた。このまま行けば摩耶の家にはぎりぎり間に合うだろう。そんなことを考えていたら、急に誰かとぶつかった。やけに急いでいるらしく、謝りもせずにそのまま消えて行ってしまった。
誰もいない調理室は何となく不気味だ。さっさとケーキを取り出してしまおう。その時、僕は異変に気づく。ケーキがないのだ。付箋に名前を書いて貼っておいたはずなのに。僕は調理室の電気をつけてくまなく部屋を探し回った。優作とメグがいたずらで隠したのかもしれない。
でも結局ケーキは見つからず、僕は途方に暮れた。これでは摩耶に誕生日プレゼントをあげられない。必死になってなぜケーキがなくなったのかを考えてみる。そして僕はひとつの結論に辿り着く。さっきぶつかった生徒、彼が持って行ってしまったのではないか。
タイムリミットが迫る中、僕は必死になって男を探した。すると昇降口のところに人影が見える。ゆっくりと近づき声をかけると、影は一目散に走り去っていった。
「待ってくれ」
僕は影を追いかける。だんだん距離が近づいたところで、その影が転んだのが見えた。
「何で逃げたんだ」
よく見ると手にケーキの箱を持っている。間違いない、こいつが僕のケーキを盗んだ張本人だ。
「ケーキを返してくれ」
「それはできない相談だ。あの人の命令だからな。おっと、この先は言えない」
僕は彼に乗りかかる。ケーキさえ返してくれればいいんだ。だから手荒な真似はしたくない。頼むから折れてくれ。そう心の中で願ったが、相手は力を緩めようとはしない。僕が腕に力を込めた瞬間、男はケーキを力いっぱい床に叩きつけた。
「はい、これでケーキはおしまい。悪く思うなよ」
僕は男を組み伏せた。男は無抵抗で、殴られる用意はできているといった感じだ。もう目的は達成したから後はどうなってもいいということか。
僕はケーキの中身を確認した。やはり食べられる状態ではない。
「どうしてこんなことを……」
口惜しさと虚しさで一杯になる。何故こんな目に遭わなければならないのだ? 呆然と立ち尽くす僕を尻目に、男は「悪いな」と言ってそそくさと逃げて行った。
約束の時間まであと一時間もない。考えている暇はなかった。摩耶の家まで軽く三十分はかかる。急いで学校を出ないと間に合わない。
僕は摩耶の家に行くことを義務的に考えていた。しかしケーキが消失するという逆境に立たされると、理不尽さが許せなくなって、何としてでも彼女に誕生日プレゼントを届けたいという気持ちになっていった。コンビニのケーキでもよかった。でももっと心のこもったケーキをあげたかったのだ。
学校の周りにはケーキ屋どころかお店もない。どこかに洋菓子店はないか。雛乃にメッセージを送り聞いてみると、駅から歩いて五分のところに「モンターニュ」という美味しい菓子店があるという。急ぎ足でその店に向かった。しかし残念ながら土曜は定休日だ。
もはや時間がない。時刻表で電車の時間を確認したが、二十分後に到着する次の電車を逃すと一時間待ちになる。絶望的な気持ちになったところに、雛乃から再度メッセージが来た。「駅から五分のところに、もう一軒洋菓子店があるよ」と書かれていて、地図も一緒に送られて来た。
最後の賭けだった。息を切らして地図の場所に行くと、「ラヴィアンローズ」という看板が出ていてまだ店は開いていた。冷たい汗をぬぐい店に入ると長髪の男性店員が、
「どうしたんだぃ、そんな息せき切って。マラソンの帰りかぃ」
とコック棒を直しつつ僕にそう聞いた。友人の誕生日だからケーキを買いたいと率直に言ったところ、
「ふぅん、そんなに一生懸命なのは、もしかして彼女かい?」
興味深そうに聞いてくる。「友だちです」と言ったが信じてはいないようで、
「それじゃ、好きなものを選びたまぇ。もう閉店だから安くしてやろう」
「この星が散りばめられたチョコレートケーキをください」
値が張ったが、お金は惜しくない。自己満足かもしれないけど、できる限りのことをしたかった。
「じゃ、一割引きにしてあげよう」
「いえ、定価でいいです」
「何でだい、ラッキーって喜べばいいじゃないか」
「値下げした商品を誕生日にあげたくないんです。安くてよかった、一割引きのケーキで十分だって思いたくないんです。自己満足でしょうか」
僕がそう言うと店主は、
「いい心意気じゃないか。これもあげよう」
そう言っていちごケーキを箱に包み始めた。僕が慌てていると、
「ケーキ一個プレゼントだ。君の心意気に免じてね」
「そんな、悪いですよ」
「いいんだ。どうせ廃棄するものだし、君ならあげても惜しくない」
と店主は言った。
「申し訳なく思う必要はない。でも君が親切を受けたと思ったなら、今度はその親切を誰かに返すんだ。私に親切を返そうなんて思わなくていい。きっと親切の連鎖が起こり、巡り巡って誰かが僕のケーキをまた買いにくるだろ。それでいいんだ。じゃ、ガンバレよ少年」
ありがとうと礼を言って店を出た。重いケーキを二つ抱え、形が崩れないように気を付けながら駅へと急ぐ。駅の改札を抜け、ぎりぎりのタイミングで電車に飛び乗った。あと少し遅ければ一時間待ちだった。そうしたらきっと摩耶の家には行けなかった。
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