第16話 文化祭一日目①
「第六十七回 緑風館祭」と大きく掲げられた巨大なアーチと、まだあちこちで聞こえる工具をふるう音が、いやが上にも生徒たちのテンションを高めている。僕たちの文化祭はそれほど規模の大きいものではないけど、二日間でかなりの人数が毎年来校する町の人たちも楽しみにしているイベントだ。
生徒たちは忙しそうに動き回りながらも、その高揚感は周囲に伝わり、自然と僕の心にも期待感が生まれた。
教室に入ると、もう冥土喫茶の準備が始まっていた。食材のチェックや衣装の最終確認が行われている中で、渋沢はコーヒーの味に納得がいかないようで、何度も班のメンバーに作り直しをさせ、クラスメイトの顰蹙を買っていた。
「藤原君、これ着てみて」
女子に促され黒いジャケットに白い手袋をはめ、胸に十字架を垂らすと、何だかその気になってくる。
「似合うね。おかえりなさいませ、お嬢様、って言ってみて」
仰せの通りに執事の接客言葉をいくつか口ずさむ。自分ではそれほど似合うとは思っていないけど、まあ馬子にも執事だ。
コーヒー班では、渋沢の檄が飛んでいる。もっと気楽にやれよ思うけど、ここが見せ場と思っている彼に何を言っても仕方ない。でも僕が買ってきたゲイシャコーヒーにみんなが満足してくれれば、勿論嬉しい。
「大変だなあ、コーヒー班」
優作が渋沢を見ながらそう言った。コーヒーとケーキ班は苦戦していたけど、他の班は結構余裕がありそうで、みんな楽しそうに衣装の写真を撮ったりしている。
スイーツは市販の和菓子とかだし、軽食系もレンジで温めるものがほとんどだ。あまり凝った物で失敗しても仕方ないし、手間をかける必要もないとクラスの意見が一致して、今のメニューになった。でもケーキ班は実際に一から作る。女子リーダーがそこは譲れないと言い張ったのだ。
「それで、優作は自由時間はメグと回るの?」
優作は照れたようにそうだと言う。一緒に回る人のない僕には羨ましい。すると今度は優作が、摩耶は来ないのかと聞いてくる。すっとポケットの中のスマホを確認してみるけど、彼女からは何のメッセージも来ていない。少しホッとする自分と、寂しさを感じる自分がいた。摩耶がいたら楽しいだろうけど、いつもドタバタしてるし、今日もしっちゃかめっちゃかになる可能性が無きにしもあらずだ。
九時になり、体育館集合の校内アナウンスが響き渡る。体育館はすでに生徒たちでいっぱいだ。ざわざわと嵐の前の静けさが場内を満たし、さざなみのような熱気が、今か今かと生徒たちの底深くで溢れていた。
「お兄ちゃん、いよいよだね」
雛乃が僕を見つけて声を掛けてきた。高校最初の文化祭、雛乃は精一杯楽しもうとしている。全てにおいて全力投球の雛乃が正直羨ましい。
場内が一気にしんと静まり返る。さあ、文化祭の幕開けだ。一列に並んだ文化祭実行委員、壇上に立つ委員長。マイクを前にコホンと一つ咳ばらいをして息を吸い込み、
「それでは、第六十七回緑風館高校文化祭の開式を宣言いたします! みんな、盛り上がっていこうぜ」
と天高く拳を突き上げるのとともに、実行委員たちがクラッカーを一斉に鳴らす。会場は一気にボルテージが上がり、雛乃も右手を上げて周りの生徒とともにジャンプしている。
こうして二日間にわたる文化祭が幕を開けた。
僕は冥土喫茶のシフトが来るまで、学校を回ることにした。本当にいろいろな出し物があるものだ。各クラスだけでなく、文化部も趣向を凝らした展示や企画をしている。例えば科学部の「AI接客くん」は、客の特性を瞬時に判断して、その人に合ったキャラで接客を行ってくれる。ただ、なぜか僕には「オネエ言葉の体育会系居酒屋店長」というよくわからないキャラクターがぴったりと判断され、髪型から姿勢までひととおりダメだしされた後、急に「人生いろいろあるわよね、まあ飲みなさい」とサイダーを出してくれた。
しばらく学内をあてもなくさまよった後、冥土喫茶に戻った。もうお客さんがちらほら来ている。冥土喫茶という名前に惹かれてもの珍しさに来る人や、休憩がてら寄ってみようという人までさまざまだった。中には女子のメイド姿や男子の執事姿目当てで来ている客もいて、一緒に写真を撮ったり黄色い歓声(野太い歓声?)を上げたりして、思い思いに楽しんでいる。
シフトをバトンタッチして執事服に着替える。コスチュームを着ると気持ちまで変わるから不思議だ。数名の女子生徒の注文を取りクスクス笑われながらも、無難に仕事をこなした。
「お兄ちゃん、来たよ」
雛乃が冥土喫茶に現れた。恐れていた瞬間だ。僕は、
「いらぅしゃいませ」
と変な発音になってしまい、雛乃と友達の安達さんに笑われてしまう。
「頑張って、お兄ちゃん。しかも大事な一文が抜けてるよ。いらっしゃいませ、お嬢様でしょ。さあ言ってみて」
「いらっしゃいませ……おじょぅさ……ま」
「声が小さいよ執事さん」
僕はありったけの爽やかな笑顔で、フレーズを連呼した。すると今度は逆に雛乃が顔を赤くして恥ずかしがる。よくやった、僕。雛乃を困らせてやったぞ。
雛乃と安達さんはオレンジジュースとみたらし団子で三十分ほど粘り、席を立った。雛乃は今日はスピーチ披露があるのだ。その時間だけは忘れずに行かなければ。
「絶対来てね、執事さん」
二人はおどけながら部屋を出ていった。
そんな中順調に仕事が進むと思っていたら、アクシデント発生。調理台でガシャンと何かの割れる音がした。クラスメイトが心配そうに駆け寄ると、女子のひとりが皿を割ってしまったのだった。
「お客さんが増えてきて手が回らなくなってきたかも……」
ちょうどお昼時に差し掛かっていた。冥土喫茶は意外にも繁盛し、席はおおかた埋まっている。ここからが正念場だと、いやが上にもみんなが気を引き締めた。
接客部隊は順調に客を捌いているけど、調理班のスピードがなかなか上がらなかった。その上、渋沢のコーヒーが極端に遅くなっている。それは彼がこだわりすぎているのと、メンバーが疲弊しているせいだ。それに連動して、ケーキ班もお菓子作りは初心者が多く、いまだこつをつかめていない感じだ。
「これはまずいな」
優作が袖に切り込みが入った執事服をなびかせ、そう言った。お客さんのピークはまだ先なのに、僕たちが干上がってしまっては、本当の冥土行きになってしまう。
銀のお盆を持って接客に向かう。クラスの様子は気になるけど、僕は僕で結構目いっぱいだったのだ。接客だけならいい。そこに「写真撮ってください」などと言われたらてんてこまいだ。
そんな時、救世主が冥土喫茶に現れた。明らかに他校の生徒とわかる白い制服、持て余し気味の長い髪を揺らして椅子に腰掛けたその人は、誰あろう小柴聖良だった。
「藤原君、こんにちは。遊びに来たよ。その格好結構さまになってるね。どう、忙しい?」
「猫の手も借りたいくらい。コーヒーとケーキ班が大変そうなんだ。みんな素人だからね」
僕の話を聞くと小柴は猫の手のポーズをして、「にゃあ」と言った。何の真似だろう。
「私、猫の手になろうか」
唐突な提案だったけど小柴の表情は真面目そのもので、冗談で言ったわけではなさそうだ。僕は小柴に真意を聞く。すると、よく家でコーヒーを入れたりお菓子を作ったりするから、ひととおりのことはできると自信ありげに言った。でも彼女は学校関係者じゃない。第一、クラスメイトや渋沢がいいと言うだろうか。
調理場に行き、忙しく働くクラスメイトの手を止め、小柴のことを話した。たぶんみんなは許可しないと思っていた。しかし意外にも歓迎ムード。渋沢も、
「その子はコーヒーの真髄がわかるのか? それなら僕の助手にふさわしい。よかろう、お迎えしよう」
受け入れる気満々のようだ。クラスメイトに「ありがとう」と言って、小柴にすぐさま報告した。すると小柴は「やった」と手をぱちんと叩いて、髪を結びエプロンを着て調理場へと向かった。いかにも戦闘態勢といった感じで、横顔が凛々しい。彼女を紹介すると、「いらっしゃい」と調理班に拍手で迎えられた。
「よろしくおねがいします。部外者が急に出てきてごめんなさい。でもみなさんのお力になれればいいと思います」
恭しく礼をし、小柴は作業にとりかかった。
「ケーキがうまく膨らまないんだよね」
女子が小柴にアドバイスを求める。
「ああ、それなら温度と混ぜ方が問題かもね」
と小柴は冷静に指摘する。
「卵は温めないと泡立ちにくくなるよ。泡立てが十分じゃないと膨らまなくなるから、湯せんしながらやるといいよ。あと、生地を混ぜすぎると気泡が潰れちゃうの。それだとクッキーみたいになって、膨らまなくなっちゃうよ。オーブンの温度も気を付けてね。ここ、もう少し調整してみるといいかも」
手際よくケーキの生地を確認し始めた。ケーキ班は小柴のアドバイスをもとに、新しくケーキを作り始めた。彼女の言った通りに進めると今度はしっかりと生地が膨らみ、うまく焼けた。
「コーヒーの味がいまいちなんだよね。渋沢君がなかなかOK出してくれないし……。私たちにはどこが悪いかわからないよ」
と今度はコーヒー班が悩みを打ち明けると、小柴は少し考え込んでから言った。
「それなら豆の挽き方や抽出時間を見直してみたほうがいいかも」
と、小柴は調理場にあるコーヒーメーカーを見渡しながら説明を続けた。いつの間にか調理班のメンバーが小柴の周りに集まってきている。小柴はまるで先生のようだ。
「もし渋沢君が苦味や酸味にこだわってるなら、バランスを調整する方法もあるはず。試してみる?」
「渋沢はこだわりすぎだよ」と僕が言いかけると、小柴は軽く笑って、
「確かにね。私は一生懸命でいいと思うけど。でも、もっとお客さんが飲みやすい味に調整してみたら?」
と提案した。小柴は渋沢に話しかけ、豆の挽き具合や水の温度を変えてみるよう提案した。渋沢も最初は疑問を抱きながらも、小柴のアドバイスに耳を傾け調整を始めた。数分後、再度抽出されたコーヒーを飲んでみると、以前よりもまろやかで飲みやすくなっていることに気付いた。
「……悪くないな」と渋沢が一言。僕たちはほっと胸を撫で下ろした。
小柴のサポートを受けてから、調理班はスムーズに回り始めた。渋沢も自分のこだわりが仕事を停滞させていたことに気づき、他のメンバーに寄り添う姿勢を見せ始めた。
「これで、大丈夫みたいだね」
小柴はエプロンを脱ぎ制服の上着を着ると、元の客席に座る。汗を拭きながら、心底嬉しそうな表情を浮かべた。
「もう感謝しかないよ。今日は小柴さんの頼みなら何でも聞いちゃう」
本当にそんな気分だった。軽はずみかなと思ったけど、小柴は僕の言葉に目ざとく反応し、
「ほんとに? じゃ、四つのお願い聞いてくれる?」
どんなお願いを聞かされるのだろうと少しだけ身構えた。
「一つはね、藤原君のクラスメイトの人たちともっと話したいの。せっかく知り合いになれたのに、これでさよならなんて寂しい」
小柴は俯き加減にそう言った。
「それならみんなに声をかけるよ。僕たちのシフトは一時までだから、そのあとみんなでお茶しよう。それでいいかな」
ぱっと小柴の顔が明るくなる。よほど嬉しいようだ。僕もこれくらいの頼みならいくらでも聞ける。
「あとの三つのお願いは?」
「うーん、じゃあ今はあと一つだけ。今日だけでいいから、私のこと『聖良』って呼んでくれる? 小柴さん、じゃなくてせいら」
急にハードルが上がった気がするけど、お願いを聞くと言ってしまった以上従うしかない。身も心も執事のように、「わかりましたせいらお嬢様」とかしこまって言った。
僕たちのシフトは一時に終了した。控室に行き着替えをしている間に、聖良のお願いその一をみんなに話すと、大賛成してくれた。渋沢もウェーブがかった長い髪をかきあげ、「ま、いいだろう」と格好つけて言った。女子たちにもその話しは伝わり、
急遽冥土喫茶の一角に「小柴聖良さんを囲む会」が開かれることになった。
優作が感謝の言葉を述べ、聖良は真ん中の席に通された。
「今日はありがとうございます。みなさんが快く私を受け入れてくれて、本当に嬉しいです。ぜひみなさんと仲良くなりたいので、よろしくお願いします」
そしてコーヒーとケーキが運ばれてくる。みんなで苦労しながら作った、聖良とクラスメイトの友情の証だ。
「なんで藤原が聖ライラックの子と知り合いなんだ?」
クラスメイトが茶化してくる。その話に女子が食いついてきた。女子たちはそのまま恋バナへ、男子たちは聖良を羨望のまなざしで見ていた。しばらく僕たちは聖良を囲んで楽しい時を過ごし、女子と聖良は仲良くなり、連絡先も交換したようだ。そうして楽しい雰囲気の中で「囲む会」はお開きとなった。
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