21話 金緑石の指輪
外では雨が降っており、走って庭の土を踏んだせいで茶色のものが真っ白のスカートを汚す。
「お嬢様、お待ちください!傘をささないと風邪…って、スカートが汚れているではありませんか!だから走らないでくださいと言ったのですよ」
その注意はしっかりとメアの耳にも届いていた。しかし、それを素直に聞けるほどゆっくりはしていられなかった。急いで、一秒でも早く行かなければ。
つい先ほど戦が終わったと聞いてから、まともに身支度もせずいつものワインレッドのブラウスに白のスカートという馬車に乗るには相応しくない服装で城を飛び出してきた。
今日ヴィーヴィオに情報が伝わったとして、終戦から少なくとも三日は経っているだろう。この類の話は手紙で伝えるよりも、人々の口を伝う方が早い。それでも、たった数日でも、出遅れたと思った。本当は終わったその日のうちに向かいたかったのだけれど、今の文明では叶わない。
そもそもどこに向かうのか。答えは一つしかない。隣の大国エリオットへ、リオネルに会いに行く。
戦いの勝敗は聞いた。それだけで少し安心したけれど、それとリオネルが無事かどうかはまた別の話だ。
パメラと二人で馬車に乗り込む。
メアの心情を表すように雨はより激しくなって降り続ける。
明るかった世界がいつの間にか闇に覆われ、そしてまた光を取り戻した時。二人の乗る馬車はエリオットの領土に入っていた。車内から見えるそこには、家も小屋も何もない。もともとなかったのか、それとも戦いによって壊されたのか。
今は青々とした草が生えていてもいい季節なのに、そこは茶色い土しか広がっていなかった。雨は降らなかったのか地面は乾燥しているように見える。
青い雑草たちの代わりに別の物がメアの目にはっきりと映し出される。
そこらじゅうに散らばった鉄の破片や服の切れ端。本来薄茶色であるはずの地面には、赤黒い模様がまばらに落ちている。
今回の戦でどれだけの人間が犠牲になったのだろう。どれだけの幸せが溢れ落ち、どれだけの人を絶望のどん底へと突き落としたのだろう。想像するだけでも嫌になる。なぜこんなことをするのか、なぜそこまでして絶大な権力を手に入れたいのか。正直、メアには理解できない。
いや、欲に負けたのは自分も同じか。規模はt違いすぎるが、自分も人のことを言えない。
外の景色は当然眺めていて気分の良いものではなかったので、視線を車内へ戻そうとしたその時。太陽の光を反射するモノが目に止まった。なぜだろう。こんなに広くて、金属なんてたくさん落ちているのに、なぜそれだけが目に止まったのだろう。メアは確信する。間違いない。後ろを振り返り、運転手に止め流ように指示を出す。彼はその指示通りに馬たちを従えて、馬車の進行を止めた。パメラは不思議そうに主人を見つめる。
そしてメアはスカートを端を手で摘んで、それが落ちている場所まで走り出す。パメラも慌てて馬車から降りてきた。
「お嬢様、急にどうされたのですか…!」
メアは答えない。ただ走る。
そしてたどり着いた。
すぐ下に落ちていたのは間違いなくメアがお揃いにしようと思ってリオネルへ買って渡した鳩のペンダントだった。メアはしゃがんでそれを拾い上げる。スカートが汚れることなんかどうでもいい。身なりなんて、どうでもいい。
「リオネル…」
戦いには勝ったけれど、彼は無事なのだろうか。メアは変な胸騒ぎがした。もしかして、どこかで倒れているんじゃないか。城へ戻っていたとしても、目を覚ましていないんじゃないか。考えたくないのに、頭の中は根拠もない不安でいっぱいになる。あの時、もう少し強引に引き止めるべきだっただろうか。鬱陶しく思われても、嫌われてでも止めるべきだったのかもしれない。意思を尊重するなど、それで済む話ではなかった。
取り返しのつかないことになっていたらどうしよう。あの時のリオネル言葉を信じたいのにそれよりも不安の方が大きくなる。
「おや?メア王女、こんなところで何をされているのですか?お美しい貴女には随分と似合わない場所だと思いますが」
その時強く風が吹いた、気がした。
その声を聞いて、目を見開いた。まさか、本当に…?
メアはゆっくりと振り向く。
果たして視線の先に立っていたのは、白銀の髪と透き通るように白い肌を持った背丈の高い、通りかかった全ての人が振り返るような美貌を持つ青年─リオネルだった。彼は、今まで何事もなかったかのように穏やかに笑って立っている。
メアの目からは大粒の涙が溢れ出す。そして、ペンダントを握りしめてリオネルの元へ駆け出した。
この時をずっとずっと待っていた。笑顔の彼にまた会える日を待っていた。なんで今まで平気でいられたのだろう。いや、一日たりと平気じゃなかった。毎日毎日彼のことを考えては、不安で胸が押し潰されそうだった。
メアは突っ立っているリオネルを思い切り抱きしめる。
「心配したじゃない…!あなたの帰りをどれだけ待っていたことか…毎日不安で、生きている心地がしなくって…遅いよぉ…本当に、遅いよぉ…」
彼のの胸に顔を埋めて子供みたいに泣きじゃくる。
それを見たリオネルは両腕をメアの背中に回し、さらに強く抱きしめた。
「心配かけて悪かった。でも俺、ちゃんと約束守ったよ。勝利を掴んで、生きて帰ってきた。そして、メアとまた会うことができた」
「馬鹿…馬鹿…」
こんな言葉を言いたいんじゃなかった。もっと「無事でよかった」とか「生きて帰ってきてくれてありがとう」だとか、そんな言葉をかけるべきだと頭では分かっているのに、口は思うように動かない。
「メアが無事でよかった。お前に何かあったらと思うと俺、他に何も考えられなくなっちゃって…だから、本当によかった」
それはこっちのセリフだった。
しばらく沈黙が、いや、メアの泣き声だけが響いた。そして、リオネルはメアを強く抱き締めていた腕を解き、彼はメアの頬に優しく触れる。その手で涙を拭われる。
「ただいま、メア」
白銀の髪を揺らして、彼は笑う。だから、自分も笑わなければいけないと思った。命を懸けて戦い抜いた人を笑顔で向かい入れようと思えた。
「おかえりなさい、リオネル」
無理矢理笑顔を作ったところで、涙が急に止まるはずもない。同じくらい流れてくる涙を見てリオネルが笑う。
「泣くなよ。可愛い笑顔が台無しだ」
恥ずかしくなって、また彼の胸に顔を埋める。それに応じて、彼も腕を回した。
二人は一つになってお互いの体温を共有し合う。
「…本当に、生きていてくれてよかった…」
メアは誰にも聞こえないような小さな声で呟く。
しかし、リオネルには聞こえていたようで、彼は幸せそうな声で言った。
「メアのおかげだよ。ありがとう」
再び風が吹いた。
もう誰にも邪魔をされない二人だけの空間は、幸せに満ち溢れていた。
エリオットの城に着いてしばらく休んでいると、外はいつのまにか暗くなり空には無数の星々が輝いていた。それは明日も晴れることを意味している。というのも、今日一日エリオットには一滴の雨も降らなかったのだ。最近は雨続きだったメアにとって、久しぶりの晴天は素直に嬉しかった。
あの後、二人はそれぞれの馬車に乗って城へ向かった。リオネルと会うという目標は果たされたので、そのまま帰ってもよかったのだが彼の気が済まないと言うので今こうなっている。むろん、メアも本当一緒にいたかったのに迷惑かと思って帰ろうとしていただけなのだ。断る理由もない。それに、伝えたいこともあったから。
身を預けていたベッドから身体を起こす。久しぶりに心が休まった気がした。
軽く身なりを整えて部屋を出る。向かうところは一択だ。聞かなくても分かる。彼はきっと、そこにいる。
廊下を歩き、階段を登ると三階に着いた。数えきれないほどの扉の並ぶ廊下を進んだ先には、他と比べても二回りほど大きな木製の両開き扉が見えた。メアは深呼吸をして扉を開く。
星を見るのにはぴったりな、見晴らしの良いバルコニー。その柵にリオネルはメアに背中を向けて体重を預けていた。
予想通り。やっぱりここにいた。
扉の開く音で気がついたのか、はたまたその前から足音が聞こえていたのか。彼は少し驚いたような顔をして振り向いた。
「なんで俺がここにいるって分かったんだ?誰
にも言っていないはずなのだが」
白銀の髪は月明かりに照らされて、昼間よりも落ち着いた光を放っている。
「そんなの、少し考えれば分かるわよ」
メアは笑いながら言うと、彼の横に立った。こうやって並ぶのも久しぶりだった。
「この感じ、久しぶりだな」
リオネルも同じことを思っていたらしくそう口にした。
「ええ、そうね」
そう言いながらもメアは迷う。
今ここで言うべきか、それともまた別の機会を狙うか。でも、と思った頃にはすでに口が動いていた。
「ねぇ、リオネル」
彼にそう問う。そして自分自身にも問う。
本当に自分の判断は間違っていないか。本当にこれでいいのか。考えれば考えるだけ分からなくなる。でも─今こうして彼と同じ空間を共有できていることが堪らなく嬉しい。それはもう答えではないのか。
メアは深呼吸をする。そして彼の目を見て言う。
「私、あなたの─妻になってもいいかしら…?」
顔色を伺う。彼は何と言うのだろうか。
リオネルは目を見開いて何も言わなかった。やっぱりダメなのだろうか。それはそうだな、と自分で思う。一回断ったのだ。嫌がられて当然だ。
「ああ…いや、もしもまだリオネルがそう思ってくれているのならっていう話で…その、もうそんな気持ちがないのなら全然断っ─」
断ってくれていいからね、そう言おうとしたのに彼が急に抱きしめてきたせいで最後まで言うことができなかった。
「ちょ、ちょっと、リオネル…?」
あまりに突然で、しかも耳元で鼻を啜る音が聞こえるのだから尚更困惑する。しかし、そんなメアを無視してリオネルは抱きしめたまま言った。
「そんな…俺が、お前を好きじゃなくなる日なんて来るわけがないだろう」
「…えっと…」
かける言葉が見つからない。ただされるがままだ。
「メア、大好きだ。本当に…本当に…愛してる」
そう言うと、リオネルはやっと腕を解いた。彼は泣いていた。メアも泣いていた。
リオネルに手を握られる。メアは目を合わせる。
「メア、お前を幸せにすること、未来でも笑わせてやることを誓う。だから、俺の妻になってください」
彼は改めて言った。断る理由なんて、あるものか。
「もちろん。こんな私でよければ」
涙を流しながら笑う。今度はうまく笑えた。
リオネルも本当に幸せそうに笑った。
「そうだ」
何かいい案でも思いついたように突然そんな声を上げると、皇太子らしい上等な服の裏から何かを取り出す。
出てきたのは正方形、とまでは言わないが四角い手のひらに収まるほどの小さな箱。メアがそれが何なのか、なんとなく分かってしまう。彼は上の蓋を簡単に開ける。中に入っていたのは─
「…指輪」
小さな赤紫に輝く宝石が埋め込まれていたそれは、紛れもなく指輪だった。
「この前、もしメアが結婚してくれると言ってくれたらその時に渡そうと思っていたんだ」
リオネルはメアの薬指にそれをはめる。驚くことに、大きすぎず小さくもない、ちょうどいいサイズだった。
「よかった。ちょうどだね」
本当にこの人には敵わないと思った。自分よりも自分のことが分かっているではないか。そうでないと、なぜ指の太さなど分かる。
「ありがとう。本当に嬉しい」
精一杯の笑顔を浮かべて言った。まさか、本当にこれが現実だとは。彼から指輪を貰い、妻となれる日が来るとは。
幸せとはきっと、こういうことなのだろう。
「これは…ルビー?」
ルビーにしてはやけに紫だと思ったが、それ以外に赤系の宝石を知らないので自然とそういう考えに辿り着く。しかし、リオネルは首を横に振った。
「いや、これはアレキサンドライトと言ってね。光の加減によって色が変わる宝石なんだ」
アレキサンドライト─初めて聞く名前の宝石だった。
「色が、変わる…」
リオネルの言葉を繰り返す。
─ああ、本当にぴったりだ
そう思った。
メアはリオネルのおかげで変われた。彼が明るい光を当ててくれたから、今こうして近くにいられる。
自分に未来なんてなかった。ただ言われるがままに生きる人生で、希望なんてこれっぽっちも無かった。でも、彼は違った。誰よりも自分の未来を見てくれていた。こんな自分と生きる明るい未来を想像してくれていた。
彼は言っていた。「未来でも笑わせてやる」と。リオネルの側にいたら、きっと笑っていられる。どんな辛いことがあっても乗り越えていける。
そんな気がする。
これでよかった。自分の判断は何も間違っていなかった。この道を選んで正解だった。今は心からそう思う。そして、これらから先の未来もそう思い続けるはずだ。
「メア、愛してる」
ああ、知っている。もう十分すぎるほど伝わった。
こんなにも自分を必要としてくれていた。それにまるで気づかなかった。気づかないふりをしていた。
でも、これからは目を逸らさない。自分の気持ちに真っ直ぐに生きる。
「私も、愛してるわ」
二人の唇は重なる。暖かくて柔らかい。
月明かりは二人を照らす。もう誰も、何も、邪魔をしない。
ただそこには幸せだけが満ちていた。
それからというもの、二人は色々な作業に追われた。
結婚と言っても一般人のそれとは違うので、ウェルズリー家の親たちに説明したりなど諸々が襲いかかってきた。
その中の一つにはもちろん、メアの両親にも挨拶に行くというものも含まれていた。ベルとパメラも引き連れてメアとリオネルはヴィーヴィオに向かった。いざ挨拶となると、やはり認められないということになるかもしれないという不安があったがそんなことはなく、あろうことか母はもちろん父まで笑顔で了承してくれた。
パメラの反応はというと、笑顔で抱きついてまで喜んでくれる始末だった。本当に良い人だ、と笑いが零れてくる。フラムに説明するとあまりよく理解はできていなさそうだったが、しばらく会えなくなるということは理解したらしく、その点に関しては悲しんでいた。メアもまだ幼いフラムと離れるのは寂しかったが、一生会えなくなるというわけでもない。そう思えば多少は気持ちも和らいだ。
教会に行って話すと、フェリシアがすごく寂しそうに「王女様、お幸せに」と言っていたのが忘れられない。
他にも、学校や行きつけの絨毯屋に軽蔑でもされる覚悟で挨拶に回ったのだが、意外なことに皆喜んでくれ、口を揃えて「どうか幸せになられてください」「ピアノが聴けなくなるのは寂しい」と言った。大袈裟だと思ったが、それと同時に自分が愛されていたことを知って幸せ者だなとつくづく思った。。
そしてあっという間にやってきた出発の日。
城門の外には豪華な馬車と大勢の人が集まり、パレード状態になっていた。
メアは使用人たちに最後の世話をしてもらい、螺旋階段を降りる。真っ赤なドレスの至る所に装飾された宝石たちが光を反射し、肩につかないように纏められた赤髪にもこれでもかというほどの装飾が施されていた。
いよいよなのだ、と思った。今日、人生が変わる。
玄関の前に着くと、両親とフラム、そしてパメラが立っていた。
「お待たせいたしました」
メアはそう言って四人の前に立つ。こうも全員が集まるのは珍しかった。
「お父様、お母様、長い間お世話になりました。そして、私のわがままを許してくださったこと、本当に感謝いたします。これから私は彼と共に幸せに生きていきます。ですから、どうか心配なさらず、お二人もどうかお元気に長生きされてください」
母は泣いていた。父はどこか寂しそうだった。
「ああ、元気でな」
「メア、たまには帰っておいでね。その時はうんと美味しいものを用意しておくから…幸せにね」
「はい、ありがとうございます」
そう言って、メアはしゃがんだ。もちろん、弟と話すために。
「フラム、こんな姉でごめんなさい。赦してね」
フラムの服を整えながらそう話しかける。
「あなたは立派な人間です。これからも強く生きていける。だから、どうか諦めないで前に進んでね。希望を抱いて、夢をいっぱい作って生きてね。そうしたら、きっと幸せだから」
当の本人は言葉の意味を全ては理解していないだろうけれども「はい」と返事をした。
「姉上、また会えますよね…?」
そんな目で見つめられては、涙が溢れそうになるではないか。それを紛らわすように、メアはフラムの手を握る。
「ええ…次会った時には背が高くなっているのかな。ピアノもきっともっと上手になっているね。楽しみだなぁ」
「姉上、寂しいです…」
「私も寂しいよ…でも、あなたならきっと大丈夫だと信じているから。少し遠いけれど、姉上はいつもフラムのことを思っているから。だから、どうか元気でね」
そうしてメアは立ち上がる。最後は、もちろん。
「パメラ、今まで本当にありがとう。私、幸せになるね」
彼女はメアにとって母親のような存在だった。たぶん、十八年の人生でパメラと過ごした時間がいちばん長かったのではないだろうか。それもあって、パメラの目からは涙が止まらない。
「お嬢様」
パメラは両手を広げた。
懐かしい。いつからこうしなくなったのだろうか。メアはゆっくり彼女に近寄ると、昔のように暖かい体に包まれた。
「…立派に成長されましたね。私は誇らしい限りです。貴女が不安にならないように笑顔で送り出すことが私の仕事…でも、どうか今日だけは赦してくださいね。最後だから」
メアもつられて涙が溢れる。
「…朝、ちゃんと一人で起きられますか?好き嫌いをいないでお食事ができますか?…お仕事も怠けないで、私がいなくても真面目にするんですよ…でも、辛くなったら帰ってきてくださいね。きっと私は笑顔でおかえりなさいと言いますから。だから…安心して、リオネル様と幸せになられてください。貴女が帰る場所はここにもありますから」
「…うん、パメラに心配されないように頑張るね。貴女が私の侍女で本当に良かった。本当に、ありがとう」
メアは涙を拭ってパメラから離れる。
「お嬢様、どうかお元気で」
「パメラもね」
これで終わり。メアは一度深く頭を下げる。
「本当にお世話になりました。ありがとうございました」
そして玄関と扉が開かれる。待っていたのは最愛の人だった。
メアが身支度をしてくると言うのでリオネルは城門の外で待っていた。
そこには街中の人が集まり、皆が笑顔を浮かべていた。リオネルはバレないように帽子を深く被ると、少し離れたところにあるベンチに座った。
皆、喜んでいるようだった。それだけメアの人柄が良かったのだろう。
教会で育てられているであろう子供達も集まっていた。子供達も幸せそうで、でもどこか寂しそうに話をしている。
その時、目の前を修道女お服を着た六、七歳の女の子が走って行った。
コトン
そのせいでポケットに入れていたであろう銀色の何かが彼女の服から落ちた。しかし、急いでいるからか全く気づいていない。
「君、落としたよ」
リオネルはそれを拾って彼女の肩を優しく叩く。振り向いた女の子は驚きと安堵の顔でお礼を告げた。
「お兄ちゃん、ありがとう!これ、とっても大切なものなの!」
そう言うあたり、リオネルの正体には気づいていない。彼は安心して話を続ける。
「貰い物か、何か?」
「うん!王女様にもらったの」
王女様、つまりメアのことだ。よく見てみるとそれは鳩を模っていた。
「…そうか、王女様は優しいんだな」
「うん!」
悪意なんて何一つない、晴れやかな笑顔を見て少し罪悪感が湧いた。
「お兄ちゃんも、王女様をお見送りに来たの?」
そう、見えたのだろうか。まあこの場にいればそう見えても仕方がない。
「…うん。君も?」
「そうだよ。王女様、幸せになるんだって。だからお見送りしないと…でも、寂しいよね」
まるで、あなたもそうでしょう?とでも言いたげな顔だった。寂しくさせているのは俺だ、だなんてそんなこと言えるはずもない。
「ごめんな」
リオネルは耐えられなくなって一言謝る。当然、女の子は小首を傾げた。
「なんでお兄ちゃんが謝るの?」
「ああ…いや」
そう言った時、突然強い風が吹いた。リオネルの帽子が飛んでいく。まずい、バレてしまう。
「はい」
しかし、少女は飛んでいった帽子を拾ってリオネルに渡した。
「…ありがとう」
そして、帽子の取れたリオネルを不思議そうに見ている。
「お兄ちゃんの髪、白色なんだね。きれい」
「そう、かな」
自分の髪色を綺麗だと思ったことなんて一度もない。どちらかといえば面倒な髪色だと思う。どこに行くにも、すぐに身分がわかってしまう。
「うん!羨ましいなぁ。私、普通の茶色だからさ。あ、じゃあもしかして違う国から来たの?」
「そうだよ」
「なんていう国?」
純粋な質問。しかし馬鹿正直に国名を言えるはずもなく、曖昧に答えてしまった。
「…遠い国だよ」
「ふぅーん。素敵なところ?」
「ああ」
女の子は晴れやかに笑った。
「へぇ!いつか行ってみたいなぁ。私ね、この国から出たことないんだ。だから大きくなったらお金貯めて、いろんな国に行くの。最初に行きたいのはねぇ、王女様がこれから行くエリオットっていうところ!」
女の子は自分の未来を楽しそうに語る。その様子を見て、この子ならきっとそれを叶えられると本気で思った。
「それじゃあ、いつかまた君と会えるかもな」
「うん、そうだね!きっと会えるよ!お兄ちゃんが住んでいる国を見つけるから、忘れないでね。約束!」
女の子が右手の小指を突き出したので、リオネルも目線が会うようにしゃがんで同じようにする。二人の小指は固く結ばれる。
「ああ、約束」
女の子は嬉しそうに笑った。リオネルもつられて薄く笑う。
「お友達が待ってるから、私もう行くね。じゃあね、お兄ちゃん!」
そう言って背中を向けて駆け出した。その背中を見ながら、リオネルは自分たちの失態に気がつく。これじゃあ、会っても確認の仕方がないじゃないか。
「君、名前は?」
女の子は立ち止まって振り返る。
「フェリシア!」
「そうか、フェリシア…良い名前だな」
「お兄ちゃんは?」
一瞬迷う。でも、これは約束だ。隠しては元も子もない。
「リオネルだ」
「リオネル…覚えた!絶対に忘れないよ!じゃあね、リオネルお兄ちゃん!」
「ああ、またなフェリシア」
そう言って女の子─フェリシアは人混みの中へ駆けて行った。リオネルはその背中が見えなくなるまで、その場に立っていた。
そろそろかな、と思って裏口から敷地に入る。
大好きなあの人ともうすぐ対面する時間だ。
玄関を開けてすぐ目の前に立っていたリオネルは笑顔を浮かべた。
「お待たせ」
「さあ、行こうか」
リオネルはそう言って手を差し伸べる。メアもその手に自分の手を乗せる。
二人は階段を降りる。それを見た街の人々は歓声を上げる。
これが私が、私たちが選んだ道だ。後悔はない。
だって今、こんなにも幸せなんだから。
雨続きだった空は、季節が変わったかのような青さを映し出していた。
メアの手にはめられた指輪は光を反射する。
指輪は、緑色に輝いていた。
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