第3話 記念式典 (2)
本番が近づき、髪を整えたりリップを塗り直したりとパメラたちが慌ただしく動いている中、メアはリオネルの方へと目をやっていた。彼は先ほどと同様丸テーブルに一人で座っていたが、手で顔を隠すようにして俯いていた。お酒を飲みすぎたのだろうか。いや、この二時間で何杯も飲むほどリオネルは酒好きではない。そもそも彼はアルコールに強いので、シャンパンくらいでは酔わない。今の今まで笑顔を見せられていたメアからしたら、心配で仕方がなかった。これでは演奏にも集中できないのですぐに駆け寄りたかったが、そんなことができるはずもない。
「お嬢様さま…!」
パメラがメアの意識をピアノに戻した。
「ええ」
リオネルから視線をずらそうとした時、彼の元に執事のベルが駆け寄っているのが見えた。リオネルに目線を合わせて何やら二人で話をしている。何を言われたのか、リオネルは何かを拒むような態度を見せている。
そんな状況を司会者が知るわけもなく、メアの紹介が始まった。賑やかだった会場は再び静かになり、全ての人の視線が彼女メアに注がれる。皆が国一番と言われているピアノの演奏を心待ちにしているみたいだ。
簡単な紹介が終わると大きな拍手が巻き起こる、と同時にステージへと歩き出した。ヒールをカツカツと鳴らしながら自分に言い聞かせる。
私はやれる。完璧に演奏できる。
失敗は許されない。万が一ミスをしたり、国の恥になるようなことをしたりしたら一体どうなることか。
ステージの真ん中に立つと、やっと拍手が鳴り止んだ。深く礼をしようと会場を見渡す。
すると、メアの目にはリオネルが映った。不思議だった。数えきれないほどの多くの人がいるのに、決して二人の物理的な距離が近いわけでもないのに、リオネルを見つけた自分に驚いた。彼は先程と変わらぬ場所で拍手をしている。もう体調は大丈夫なのだろうか。それだけが頭の中を駆け巡る。しかし、すぐに自分が今一番考えなければいけないことを思い出し、そちらに意識を向ける。こんな風ではミスをしてしまう。気持ちを切り替えて顔を上げた後に椅子に座った。
ふぅ、と深呼吸をして始める。
大きな会場にピアノの音だけが響く。もう誰も会話などしていない。出席者全員が音の世界に引き込まれていく。滑らかで、強弱のついた演奏。ピアノが歌っているようだ、と表現する人もいるだろう。十人に聞いたら、十人が上手だと答える。それが努力と才能の塊であるメアの演奏だ。
ピアノを弾くだけならそれこそ練習をすれば誰にだってできる。しかし、メアを真似することだけはできない。同じ曲を弾いても、同じように表現しようとしても全然違う演奏に仕上がる。宮廷音楽家でさえ敵わないと言うほどだ。
やがて、演奏が終わった。長かった。
メアが椅子から立つのと同時に会場の人も一斉に立ち上がって最初よりも大きな拍手が巻き起こった。拍手を送られたこと、そしてミスをしなかったことに安心して再び礼をする。
安堵の中ステージを降りようとすると、会場の後方に座っていたリオネルがどこかへ行く姿が見えた。やはり体調が優れないのだろうか。一旦ステージから降りて従者たちに身の回り整えられてから彼を追った。
「素晴らしい演奏でした、王女!」
しかし、歩いている最中にも近くにいる人々に声をかけられた。いつもはそこまで億劫ではないが、今日に限っては言い方は悪いが邪魔でしかない。それでも相手はメアの状況など知ったことではないので、「ありがとうございます」とドレスをつまんで感謝を伝える。その程度のことをすると大抵は立ち去ってくれた。
やっとの思いで人混みから抜け出して向かったのは、入り口から見て左に位置する小部屋だった。客を入れることを想定していないためか電気はついていない。
静かに扉を開くと案の定、勘は的中した。
「大丈夫?」
リオネルはメアに背を向けるようにして立っていた。
「なに、ずっと酒を呑んでいたから口直しをね」
いつもよりも少し暗く、落ち着いた声。これでは嘘を見破ってくださいと言っているようなものだ。
「体調が悪いなら屋敷の空き部屋使っていいわよ。今ならついて行くこともできるけれど」
屋敷には部屋が腐るほどある。こういうときにでも使わなけれければ、毎日掃除している使用人たちが浮かばれない。
何かを勢いよくゴクッと飲んだ彼は、メアの方に歩きながら薄い笑顔を浮かべた。
「ただの呑み過ぎといったところだ。気にかけてくれてありがとう」
ぽん、と手を頭に乗せられる。
「よしっ…踊ろうか」
そう言って、手を差し出された。そういえば舞踏会が始まっていたっけ。先程までの気持ちとは裏腹に、彼の笑顔を見れて安心した。笑顔と言っても偽りの笑顔だとは思う。それでも、まだ笑う余裕があるのなら大丈夫だろう。リオネルは心配されるのを好む人ではない。これ以上何か言うと嫌がるのは目に見えてわかっている。でも最後に一言だけ「無理はしないで」と伝え、彼の手に自分の手を重ねた。
「素晴らしかった。俺はやっぱりメアの演奏が好きだ」
白銀の王子は、不意にそう言った。自分の演奏を「好きだ」と言ってくれる人間を彼以外に出会ったことがない。だから、嬉しかった。どれだけ素晴らしい演奏だとしても、それが人の心に刺さっていないのなら意味がない。メアは彼がお世辞を言わないことを知っている。だから、リオネルからの褒め言葉は尚更嬉しかった。
「ありがとう」
リオネルの顔を見ると無理して笑顔を作っているようにも見えた。やはり休ませた方が良いだろうか、と迷うが彼自身が決めたことならと思うと言い出せなかった。それに、舞踏会に顔の広い年頃の男子がいないとなると不審に思われるかもしれない。彼も、もう子供じゃない。まだ十八とはいえ大人であることには変わりない。人目を気にして当然だ。もはや、何が正しいのかわからない。自分の発言が本当に彼を助けることになるのかと問われたら自信がない。顔が美しいという理由で嫉妬され、些細なことでも揚げ足をとられる彼の足を引っ張るかもしれない。そう思うと、もう何もいえなかった。皇太子の行動を一介の王女が決めるには、あまりにも重かった。
シャンデリアの輝くそこではクラシックが流れ、完全に舞踏会の空気と化していた。その空気に乗っかって、二人も踊り出す。王室で叩き込まれた王女と皇太子の踊りは、驚くほどに息があっており優美であった。美しい皇太子がリードし、赤髪の王女は優美にドレスを靡かせている。まだ十八年しか生きていないとは思えない、年配の貴族たちにも負けず劣らずの踊りだった。
踊っている途中、襟の乱れからたまに鎖骨あたりが見えていた。そこには斜めに長い傷が刻まれている。これが何なのか、メアは知っている。だから何も言わない。
この傷はおそらく一生残ることだろう。それが神様の決めた宿命なのであれば、その神様は相当悪趣味だ。
頼もしいその横顔に見惚れてしまう。恋心では、ない。見られていることに気がついたのかリオネルがこちらを向いたせいで目が合ってしまう。メアは慌てて視線を進行方向に戻した。
やがて演奏が終わり、帰る人も出てきた。日が超えるまで会場は開いているが、最後までここにいる人などほとんどいない。あと一時間もしたら、皆帰ることだろう。
一段落ついたのでので、二人はデザートでも食べることにした。時間が経ってクリームは溶けているかもしれないが、まだたくさん余っているので食べなければもったいない。
「姉上!」
突然にドレスの裾を引っ張ってそう言ってきたのは呼んだのは、フラムだった。
「まだ起きていたの?」
外は真っ暗だ。今まで話しかけてこなかったのでもうとっくに寝ているのかと思っていたが、どうやら夜更かしをしていたようだ。
「ええと…お母様…」
明日は学校ではないのかと思い、横にいた母に視線を逸らすと『参った』というような表情をしていた。これは母の言うことを聞いていないな。
「なかなか、寝ようとしなくって…」
怒鳴りつけず優しく諭してみたが失敗に終わったということだろうか。
「お母様のいうことを聞かないとダメじゃない。明日は学校でしょう」
「でも、姉上とリオネル様に挨拶をしていなかったから…」
フラムは目を逸らして言った。思っていたよりも筋の通った理由だが本当にそれだけかはわからない。
「俺たちのために起きていてくれたのかぁ。ありがとうな」
リオネルがフラムの髪をくしゃくしゃとさせながら言った。そしてすぐにフラムの脇腹あたりをくすぐった。
「わははっ!リオネル様、くすぐったいっ…!」
楽しそうに笑うフラムを見て、リオネルは可愛くて仕方がないというような顔をしていた。そんな彼が、メアの目には輝いて見えた。
「剣術は上達したか?」
「はい!今度また教えてください!」
くすぐりタイムを終えた二人はそんな会話をしていた。
剣術なんて習っていたのか。通りで仲が良いわけだ。フラムはヴィーヴィオの子なので、本来なら騎士の国の皇太子に教えてもらってまで剣術を磨く必要はないのだが、身につけていて損はないかと思った。尤も、それを好きでやっているのなら取り上げる理由なんてないが。
「すまないが、俺はもう明日には帰ってしまうんだ。だから剣術を教えるのは随分先になるかもしれない」
「じゃあ、それまでに今よりも上達しておきます!」
「楽しみにしておく」
微笑んだリオネルは王妃の顔色を伺う。
「本当はもう少しフラムと話したいところだが、俺もそろそろ寝ないといけないんだ。フラムも寝ないと明日寝坊してしまうぞ」
「わかりました…おやすみなさい、リオネル様、姉上」
「良い子だ」
そう言ってフラムの頭を撫でるリオネルは本当の兄のようだった。
フラムは二人に背を向けて母と歩き出した。と思ったらこちらを振り向いて言った。
「姉上!ピアノすごく綺麗でした!」
そして、母に手を引かれて寝室に連れて行かれた。
「ありがとう。助かったわ」
リオネルに礼を伝える。母の言うことですら聞かなかったのに説得させた彼を素直に尊敬した。
「礼儀の正しい子だな」
フラムをまるで自分の弟でも見るような目で手を振りながら言った。皇太子である彼にお願いを直接する人などそういないので、内心嬉しかったのかもしれない。
フラムの姿も見えなくなり何をするでもなくただただ歩いていると、キャー!という女性たちの黄色い声が聞こえてきた。会場の人数が少なくなってリオネルのことを見つけやすくなったのだろう。大国の皇太子でしかも皆が振り向くほどの美貌とあらば、こうなるのは当たり前だと言える。隣を歩くメアは自分が女性たちの反感を買うのではないかと終始心穏やかではいられなかった。まあ、いつものことなのだけれど。
「相変わらずね」
それが嫉妬や嫌味ではないことを感じ取ったリオネルは、呆れた声で言った。
「この顔のどこが良いのか俺には全くわからない。あんな歓声を上げられると返って居心地が悪くなる」
それはそうだ。もし自分が彼の立場だったらと考えた時に、ただ歩いている時も周りに気を配ることなんて耐えられないと思った。美しい顔を持って生まれてもいいことばかりではないのかもしれない、とメアは思う。いつだったか、リオネルに「自分のような異性と歩いてもいいのか」と尋ねたことがあった。嫉妬されたり、結婚を疑われては困るのではないかと心配したからだ。ただしそれは、メアが自分のことを美しいだとかそういう風に思っているというわけではなく、むしろ逆で、大して美しくもない女を妻だと勘違いされて恥ずかしくないのか、という気持ちから出た言葉だった。しかし、そんなメアの気持ちを拭い去る笑顔で「嫉妬する奴にはさせておけばいい。俺は一緒にいたい人といるだけだ」そう言った。そんな問題か、と思うのと同時に「一緒に居たい」と思ってくれていたことがなんだか嬉しかった。どこまで格好のいい皇太子なのか。
「それ好きよね」
彼はいかにも甘ったるそうなケーキを皿に取った。こう見えてリオネルは甘党で、ケーキがあればどんな場所であっても必ず食べている印象がある。
「メアも食べるか?」
「いいえ、大丈夫」
甘ったるいものは好きではないのできっぱりと断る。
他のものを皿に取ると、先程と同様丸テーブルに向かい合って座る。その時も彼は椅子を下げてくれた。
「今日はそのまま国に帰るの?」
ケーキを口いっぱいに頬張る友人にメアは尋ねる。
「いや、今日は泊る予定なんだが…まだ宿を探せていなくて。見つからなかったら帰るよ」
「見つからないなんてことはないでしょう。エリオットの皇太子と伝えればどんな宿でも泊めてくれるわ」
当たり前の話だ。それを拒む人間なんて、多分いない。皇太子が泊まった宿とでも評判が広まれば繁盛するに違いないし、そもそも王族の要望を却下しては国によっては首を切り落とされかねない。
「そう言えれば何も苦労はしないのだが、何せ正体を隠しているもんでね」
あっ、とメアは声を上げた。そうだった。なぜそんな当たり前のことを忘れていたのか。
リオネルは私的な理由で城以外の場所へ出る際、必ず身分を隠して出かけている。それは彼に限った話ではなくて、どの国でも当たり前の話で…おかしいのはヴィーヴィオの方なのだ。ヴィーヴィオは非常に治安がいい国で有名だ。そのため、身分を隠さずに街へ出歩いても命を狙われる危険はないに等しい。
「…なるほどね。だったら、屋敷の部屋使っていいわよ」
メアは、もとより提案しようと思っていたことを伝えた次第だ。しかしそれが意外だったのか、リオネルは驚いたように、というかどこか安堵したように目を丸くした。
「…いいのか?」
それを狙っていた訳ではないのだろうけれど、わざと助けてほしいという雰囲気を出しているようも見えて、少し面白かった。
「もちろん、ベルさんも」
「ありがとうございます…!」
ベルに関してはその言葉を待っていただろう、と言いたくなった。
「じゃあ、今日は夜更かし決定だな」
リオネルが嬉しそうに言う。それにつられてメアも口角が上がる。一日中共に過ごすなんていつぶりだろうか。
目の前の麗しき白銀の皇太子は幸せそうに笑っていた。
全ての参加者が会場からいなくなった時には、もう少しで日をまたぐという時間になっていた。にもかかわらず、二人はまだ丸テーブルにシャンパン片手に座っていた。
「もうこんな時間」
柱時計に目を向けたメアは慌てて片付けを始める。まさかここまで夜更かしをすることになるとは。ちなみに、パメラには随分前に自室へ帰ってもらった。人が少なくなれば、メアに手出しをする者も少なくなる。もしもの時には衛兵がそこら中を警備しているのでパメラを遅くまで二人に付き合わせる必要はなかった。
目の前の皇太子はというと…本日何杯目かもわからないシャンパンを飲んでいる。
「ふぅ…」
リオネルはグラスを片手に俯く。彼とは成人してから何度も酒を飲み交わしているので分かる。これは、酔っている。メアの記憶ではリオネルは酒に強かったはずだが…式典中の様子を思い返すと相当呑んでいたか。早く止めておけばよかったと後悔する。
「飲み過ぎた…」
顔を覗くと色白の肌が、ほんのり赤みがかっていた。さすがにここまで酔っている姿を見るのは初めてかもしれない。
「今日はもう寝た方がいいわ。寝室に案内するから、ほら」
俯くリオネルに手を伸ばす。もうすでに夢の世界へ飛び込もうとしている皇太子を椅子から引き上げて、なんとか立たせることに成功した。その様子を見ていると酔ったのがここで良かったと心底思った。もし他の屋敷だったら何をされていたかわからない。酔った反動で何か仕掛けられていたかもしれないし、最悪取り返しのつかないことになっていたかもしれない。まあ、これは今回に限った話で、この男がそんな軽薄な行動を普段からするとは到底思えないが。
リオネルは足をふらつかせながらも、素直に手を繋いで歩き出した。なんだか、昔に戻った気分だ。おもちゃを無くして泣いている彼に手を伸ばし、ベルの元に連れて行くことが何度もあった。あの時は自分が守る立場だったのに、今となっては体格はもちろん立場もまるで逆だ。そう考えたメアは少し寂しいような、けれどもリオネルが頼もしくなってくれて嬉しいような、そんな気持ちになる。
「場所だけ教えてくだされば、あとは私が」
ベルがそう言ったので、メアは「私のことはお気になさらず、どうか休んでおいてください」と返した。こんな皇太子を朝から晩まで世話するなんて大変だ。
手を引いて屋敷を歩き回る。掃除された部屋につくたリオネルの身体をベッドに移した。皇太子が寝るには少しばかり小さな部屋だが、一晩くらいなら問題ないだろう。このまま眠りにつくだろうと思い靴を脱がせようとしたところ、その手を止められた。
「自分でする」
ここまで来ると目の前の男が小さな子供にしか見えなくなってきた。メアはそう、とだけ言って寝巻きを取りに行く。ここは城ではなくただの屋敷なので、男ものの服がたくさんあるわけではないが、運良く使用人の私物らしき予備の服があったので一着拝借する。詫びとしてこの服の持ち主には新しいものを買ってあげよう、と心に決めた。
部屋に戻るとリオネルは完全にベッドに身を委ねていた。
「リオネル、そのままじゃ苦しいでしょう。持ってきたらから着替えて」
起こすのはかわいそうだがこればかりは仕方がない。朝起きて全身の痛みに耐えるよりは今無理矢理着替えたほうがまだ良いだろう。着痩せしているのか意外に筋肉質な体を揺らす。
カラン
不意に、リオネルの服から手のひらに収るくらいの透明な瓶が落ちた。何だろうか。拾おうとしたその時
「ん…くすり…」
思わず聞き逃してしまいそうなほどに小さい、それこそ蚊の鳴くような声でリオネルは言った。意識がはっきりしているのか、はたまた無意識にそう口にしたのか。
拾うと彼の言うとおり、薬らしきものが瓶の半分くらいまで入っていた。量からして風邪のときに飲むものではなさそうだ。だからと言って、彼が何かの病気だとは聞いたことがない。何の薬なのか聞きたいところだったが、リオネルから話してこないということは何か事情があるのだ。まあ、今聞いたところでまともな返事が返ってくるとは思えないけれど。そう思い、見なかったふりをして脱ぎすてられた上着にしまう。いつか、リオネルの口から話してくれる日が来るかもしれない。
「おやすみ」
そう言ってメアが部屋を出ようとすると、背後から腕を掴まれた。そして、リオネルは座ったままメアを抱きしめた。またか、と言いたくなる。これだから酔っ払いは。
「ありがとう」
そんなことを思っていたのにいざ声を聞くと、幼い子供にしか見えなくなって思わず頭を撫でる。見た目は大人でも、中身はまだまだ子供なのかもしれない。
ゆっくり離れて部屋を出る。メアも眠たくなってきた。
会場に戻ると、二人の食べ残しをベルが片づけていた。
「お気遣いありがとうございます。手伝います」
「いえ、王女様に手伝っていただくなど…」
「私の我儘です。どうかお気になさらず」
広い会場には食器を重ねる音だけが響く。
「申し訳ありません。坊ちゃんをお任せしてしまって…」
ベルは不意にそういった。メアからすれば、酔っ払いの幼馴染をただ寝かせただけで大したことはしていないし、体力を削るわけでもないので全然任せてもらって構わないのだが、執事からすれば他国の王女に自分の主人を世話させたのだからそんな気持ちになるのは当たり前だ。
「気にされないでください。あの人の世話は…大変でしょう」
「…手のかかる主人です」
執事は笑いながら言った。彼はリオネルが生まれた時からどんな時もいつも側で見守ってきたのだ。どんなに大人になっても、手がかかっても、ベルからしたらまだまだ可愛い主人なのだと思う。
「坊ちゃんは眠られましたか」
「ええ、すんなりでしたよ」
すんなりも何も移動する前からほぼ寝ていたようなもだろう、と自分で言いながらもメアはそう思った。
「あら、リオネルくんは?」
フラムを寝かしつけたであろう母が会場に戻ってきた。ベルは持っていた食器を急いで置き、王妃に深々と頭を下げた。
「ベルさん、お久しぶりですね」
「王妃、我々を屋敷に泊めていただくこと、皇太子に代わりまして誠に感謝申し上げます」
他国の屋敷に皇太子とその執事が泊まることなどなかなかないことだろう。リオネルとメア、そして母の寛大な心のおかげで成り立っていることだ。父は…メアの事情に興味などあるまい。屋敷の管理は全てパメラに任せているので、父からすればどうでもいいことだろう。
「気にされないで。あなた方二人に使ってもらうなら本望です。明日は朝食もご用意いたしますから、ゆっくりされて行ってください」
「感謝いたします」
王妃なのにもかかわらず丁寧な言葉遣いは、育ちの良さを感じられる。タイミングを見計らって、メアは話を戻した。
「お母様、リオネルはもう寝ましたが…何かご用でしか?」
「あら、そうなの。大したことではないのだけれど…久しぶりに会ったからもう少し話せたらと思って」
もう少し?と言うことはリオネルや執事は母に挨拶に行ったのか。二人とはほとんど一緒に行動していたはずだが…さすがリオネルだ。
寂しそうな顔をしている母との話もそこそこにして、ベルにも寝巻きを渡してから寝室を案内した。メアも自室に戻るなり横になった。一人になった途端、酒のせいか先ほどよりも眠気が増してきた。
メアは知らないうちに、瞼を閉じていた。
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