第34話
推薦試験や滑り止めを受験した者たちが喜びの涙を流した後、残っている学校行事と言えば卒業式。
朝から浮足立っていた三年生たちは体育館に入ると、急に緊張した面持ちに変わった。
卒業証書を受け取ったり、在校生の合唱やPTA会長のシノブの熱いメッセージで、あちらこちらから鼻をすする音が聴こえ始める。
アルトもその一人で、保護者席の律子と弦二郎が目元を押さえているのを見てこみ上げるものがあった。
笑わない、人と馴染むのが下手くそで育てにくい子どもだったと思う。それでも祖父母はアルトのことを見捨てたり呆れることなく、ここまで育て上げてくれた。帰ったら改めて感謝を伝えたい。
ちなみに横の華は卒業式が始まるとすぐに大号泣。天使の泣き顔につられて嗚咽をもらす者もいた。その中には肇も含まれ、卒業までととうとう好意に気づかれなかったな……と誰もが同情した。
卒業生退場の時には後輩が部活の先輩に泣いてすがりつく場面もあった。
中には卒業生が若い女性教師に向かって”せんせー大好きです!”と投げキッスを飛ばし、冷やかす歓声が上がった。
それぞれの教室に戻ると、いつもは暇さえあればおしゃべりしているクラスメイトたちがこぞっておとなしくしている。泣いていたことを今さら恥ずかしく思えてきた者もいるのだろう。
「ねぇ~テツ~。血も涙もない悪魔だと思ってたけど、結構泣いてたね~?」
真っ赤な目で頬杖をついたテツをつつきまくっているのは、同じく目元を腫らしたハルヒ。こんな時でも彼女は場を盛り上げようと笑顔を浮かべている。涙声で。
「るせー。周りに合わせてやったんだよ」
テツがプイッとそっぽを向くと、教室の引き戸が開いて川添が現れた。最後のホームルームが始まる。
今日はスーツ姿の彼。ジャケットのボタンが引っ張られてるのを誰かが見つけ、クラス中に笑いの渦が起きた。いつものノリに笑いながら泣き出す者もいる。
アルトは鼻で笑うと、卒業したのでイサギおじさん呼びに戻そうかなと関係ないことを考え始めた。
川添は頭をかいて教卓に手をつく。それが合図のように教室が静まり、生徒たちは自分の席に戻る。
椅子を引く音がやむと、川添は柔らかい表情で口を開いた。
「えー……。俺がこの一年で太ったことは置いといて……。卒業おめでとう。お前らと一年間、中には二年、三年関わったヤツもいるけど本当に楽しかった。この学校に赴任してから一番楽しい年だったよ。お前らはノリが軽くて歴代の先輩に比べたらお気楽で、後輩たちに慕われるヤツが多くて……お前らがいるだけで雰囲気が明るくなる。他の先生たちも、お前らの授業が一番楽しいって言ってたよ」
川添の声が震えた。涙をこらえようとしているのか、目頭を押さえて顔をそらす。悪魔の川添、なんて恐れられている彼だが血も涙もあるようだ。
生徒たちはやっと泣きやんだのに、また鼻をすすらせ始めた。
アルトも視界がぼやけてきて目元をこする。
川添の言葉にこの一年の思い出がよみがえってくる。彼と同じで、アルトにとっても楽しい一年だった。
幼なじみの双子との再会。華との新たな友情。修学旅行や夏祭りを友だちと楽しんだ。
そのどれもがタイムなしでは語れない。
(タイム……)
アルトは初めての彼氏の後ろ姿を見つめた。
いつでもタイムはそばにいてくれた。無償の愛を注いでくれた。今は恋人としての愛情も。
彼がいなかったらこんなに思い出に残る一年にはならなかったと思う。
(テツも、ハルヒもミカゲも……。華、肇もだよ)
アルトはクラスメイトの背中を一人一人、順番に見つめる。
彼らと過ごした日々は大人になっても忘れないだろう。
それだけ濃い一年を過ごさせてくれた。
「卒業しても遊びに来てくれ。お前らの元気な顔を見せてほしい」
思い出を振り返るのに浸っていたら話が進んでいたようだ。ハッとして顔を上げると、川添が目を光らせた。
「アルトー……。話半分だったろ? お前は結局三年間、俺のことをさん付けで呼び続けたな……。今日くらい先生、って呼んでくれてもいいんじゃないか?」
川添は涙が引っ込んだのだろう、おどけた調子で肩をすくめた。
クラスメイトたちがアルトを振り返り、ニヤニヤし始める。”おぉ~?”と煽ってくる者もいた。
この顔ぶれをこうして眺めるのも最後だ。アルトは咳払いすると、川添のことをまっすぐ見据えた。
「……ありがとうございました。川添先生」
「そうそう、そんな感じ……んあぁっ!?」
なんとなく聞き流したらしい彼は、派手な声でアルトのことを三度見した。生徒たちもアルトのことを信じられない表情で凝視している。
なんだ、期待していたわけじゃないのか。アルトは頬を人差し指でひっかいた。
「ちょ、もっかい! なんなら誰か動画撮ってくれ!」
「川添さん、もうすぐ響子さんが来るので〆てください」
誰が二度も呼んでやるものか。アルトは聞こえないフリで顔を背けた。
ハルヒがこちらを見て笑っているのに気がついた。彼女は響子に会ってからというもの、すっかりファンになってしまったらしい。川添の恋模様を気にしている仲間だ。
川添は”そんな~……”と教卓の影に沈んだが、響子という名前に反応して窓側へ飛んで行った。分かりやすすぎる反応に、サッカー部の男子たちが”川添先生のプロポーズ大作戦決行だー!”と盛り上がり始めた。
「ぜってーついてくんな! ここで解散だ!」
「先生と最後に写真撮らせてくださいよ~」
最後の最後まで生徒に絡まれる様子にアルトはくすっと笑った。
(私にとって
グラウンドにはクラス関係なく三年生が集まり、そこら中で記念撮影が繰り広げられている。
アルトも特に仲のよかったタイム、テツ、双子と自撮りをした。その内にクラスメイトにも誘われ、何度も画面に収まった。
「アルトのこと……幸せにしなかったら許さないからな」
「言われなくたって」
タイムに凄んだミカゲが赤い顔でそっぽを向く。それを姉がニヤけ面でつつき、何か気づいたのか大きな声を上げた。周りで写真を撮ったり別れを惜しんでいる者たちが一斉に振り向いた。
「えぇ!? ちょっと待ってミカゲ……。まさか!!」
「言うな! 黙ってアルバムに寄せ書き書いてもらえ!」
真っ赤な顔で怒鳴り散らしたミカゲに、察した者たちが囃し立てる。ミカゲはヒデと肇を追いかけ回し、肇は日頃のお返しだと言わんばかりにからかった。
「なんだよお前もかよ!」
「最後まで告白できなかったヤツよりかはマシだよ!」
「え、ミカゲ君って麗音さんのこと好きなんだ……」
一部の女子は最後の最後に知った事実にショックを隠せないようだ。
その様子を川添と響子は遠くから見守っていた。
「青春だな~……」
川添がぼやくと、響子がふふっと笑った。
彼女は卒業式に参列できなかったが、アルトにお祝いを伝えたくてバイクを飛ばしたらしい。
「あれがアルトの好きな人か……。中学生の内に付き合うなんてやるわね」
横にいる響子は今日もジーンズにブーツ、赤いレザーのコートを身にまとっている。巻いた茶髪は寒さが和らいだ風で揺れた。
彼女の綺麗さはあの時から変わらない。自分たちがアルトの年齢の時から。
(あの時……。俺も、響子さんとこうなれたらよかったんだけどな……)
アルトはタイムに手を引かれ、再び校舎の中へ消えていった。周りに冷やかされ、タイムは涼しい顔をしているがアルトはうつむいている。多すぎる視線から逃れるように。
「川添君はこの波にのらなくていいの?」
「へ?」
響子の声に情けない声で返事をしてしまった。彼女は呆れているような、どこか怒りをのせて川添をにらんでいた。そんな表情さえ可愛いと思ってしまうのはホレた弱みだからか。
「私、アルトみたいに鈍感じゃないの。人の好意には敏感な方なの」
腕を組んでアゴをツンと上げた様子に胸が高鳴る。
中学時代、おとなしい見た目で強気な彼女に惹かれた。それは周りも同じ。
その当時、告白されても全て断ったと聞いていた。だから彼女は恋愛に興味ないか、姉のようにハイスぺ男子にしか興味ないと思っていた。
「もしかしてバレ……」
「何?」
「あ、いや……」
心の声が漏れかけ、すかさず響子が反応した。反射神経がよすぎる。
言葉を濁すと彼女は唇を嚙んだ。目をきゅっと細めると、川添の衿を片手で掴み上げた。
「あ……ちょ、え!?」
意外と強い。そのまま持ち上げられるんじゃないかと慄いた。両手を上げて降参すると、彼女は川添に寄りかかるようにしてうつむいた。
「いい加減言ってくれてもいいんじゃないの……」
腕の力とは反対に、彼女の声はか細い。
「ずっと待ってたのよ……」
「それって俺のこと……!?」
「あんた以外に誰がいるのよ!」
勢いよく顔を上げた響子は涙まみれで。せっかく綺麗に施した化粧が崩れている。
「だって俺、未だに実家暮らしだし腹も出てきたし……。第一、美人に釣り合えるような顔じゃないし……」
「呆れた。先生が見た目がどうこうで諦めるの? 教育者の風上にも置けないわね」
「いででででっ!」
彼女は反対の手も襟に伸ばすと、川添の首を思い切り引っ張った。細腕に似合わない力強さに抵抗できない。
引っ張られるがまま腰を落とすと、唇になにやら甘い感触を覚えた。久しぶり過ぎるそれは、夢見心地を堪能させてくれた。
驚きはしたが浸りたくて目を伏せたら、思い切り突き飛ばされた。
「口に出せない臆病者なら……こうするしかないわね」
勝ち誇った顔の彼女の前でへたり込むと、ハルヒの大絶叫がこだました。
誰もいなくなった教室。グラウンドの喧騒がかすかに聴こえる。何やら”キャー!!”とか”おおー!!”とか盛り上がっているようだが、アルトとタイムは特に気に留めなかった。
二人は窓の手すりに背を預けて並んだ。
「タイムのおかげで皆と仲良くなれたと思う……。ありがとう」
「俺のおかげなんかじゃないよ。アルトだからだよ」
お礼を言うと彼は首を振った。
「高校ではもっといろんな人と仲良くなれるよ」
「うん……」
高校、という単語にアルトはうつむいた。
タイムは県外の高校に通うため、今月中に引っ越してしまう。
高校生のお小遣いでは頻繁に会えない。きっと彼は彼で部活で忙しくなるだろう。
「夏休みとか冬休みに遊びに行ってもいい?」
「もちろん。俺も会いに行くよ」
せっかく付き合い始めたのに遠距離恋愛になってしまう。しかし、寂しく思っているのは自分だけじゃないかとアルトは思っていた。
彼は相変わらず明るい顔をしているからだ。
「タイムは平気なの……?」
「平気、って言いきったら嘘になるけど……。百年以上会えなかった時のことを思えばましだよ」
タイムは白いカーテンを引いて外の景色を遮断した。
アルトの頭上でわずかにカーテンを持ち上げ、彼女の頭にかぶせる。
白くひらひらとしたそれはまるで花嫁のベールだ。
アルトが気づいて目を見開くと、タイムの顔がゆっくりと近づいた。
目を伏せた彼に合わせて目をとじると、唇があたたかくなった。
タイムと交わしたファーストキス。唇に広がった柔らかい感触は初めてで、きっとこれも一生忘れられないと思った。
ぎこちない様子でゆっくりと顔を離すと、タイムはアルトのことを優しく抱きしめた。
「夢を叶えたら迎えに行く……。絶対に」
「うん……!」
プロポーズにも似た言葉に、アルトは強く抱きしめ返した。
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