第13話

 アルトは旅館に向かうバスの中でラスクをかじった。


 これは祖父母が持たせてくれた手作りラスク。店でも販売しているお菓子だ。同じ班の子にも、と多めに作ってくれた。


 ”おいしかったよ”とハルヒたちが喜んでくれたのが嬉しかった。


「あたしたちの部屋は~っと」


「ここ?」


 旅館に到着する頃にはアルトの調子もよくなった。


 バスを下り、トランクから大きなバッグやキャリーケースを受け取った。生徒たちは重い重いと言いながら大きな旅館の敷居をまたぐ。


 旅館には小さな部屋がたくさんあり、襖を開けると畳のいい匂いがした。小さな玄関で靴を脱ぎ捨てると、ハルヒは隅に寄せてある布団に飛び乗った。


「わーふかふか!」


「お嬢様……。ベッドじゃなくて大丈夫?」


「もーアルト! 私そんなんじゃないって!」


 アルトは静かに靴を脱いで畳に上がる。


 ハルヒはくるっと体の向きを変えると、畳の上で頬杖をついた。


「晩御飯何時からだっけ?」


「十八時半から。宴会場だって」


 修学旅行のしおりをめくりながらアルトが答える。彼女が大きなバッグを開けて着替えを出していると、ハルヒは満面の笑みで畳に寝転がった。


「なんかぁーお泊り会みたいだね!」


「ん? まぁ、そうだね」


「ねぇアルト! 夏休みにウチでお泊り会しよ! もれなくミカゲもいるけど……」


「いいね、楽しそう」


「じゃあ決まりね!」


 ハルヒは満足そうに口を伸ばすと、畳の上で思い切り伸びをした。


 静かに過ごすアルトと同室のせいか、ハルヒは晩御飯の時間まで寝こけていた。






 宴会場では長く大きな机に椅子が並べられ、生徒がまばらに座っている。教師は教師で固まっており、時々生徒の席に様子を見に来た。


 料理は既に並べられている。柚子がほんのり香るお吸い物や、茶碗蒸しの蓋を開ける度に湯気と歓声が上がった。


「たこ焼きあるじゃん!」


「さすが関西!」


「お昼のたこ焼きもおいしかったよねー」


 学校での給食とは雰囲気も量も違う。生徒たちは終始はしゃいでいた。


「じゃ、邪魔すんで~……」


「邪魔すんなら帰ってー」


「すげー! リアル新〇劇だ!」


 中にはノリのいい従業員の対応に感激する生徒もいた。


 満腹を超える程食べつくした生徒たちは、テーブルの近くに担任が来たのに気がついて注目した。


 アルトたちの元にはもちろん川添。彼の顔には疲れが浮かび、声の張りがない。


「あ~……。この後の風呂だが……」


「先生大丈夫っスか」


「後で部屋に遊びに行きましょうか?」


「絶対来んな!」


 冗談めかした言葉に笑いがこぼれる。川添は”ったく……”と、強張った頬を和らげた。


「この後は大浴場にクラスごとで入ってもらうからなー。ウチのクラスは最後の時間帯な」


「お風呂大きいらしいよ! 楽しみだなー」


 ショウと華だ。川添に近い位置に座る二人はきゃっきゃと笑いあっている。


 ショウは女子バスケ部のキャプテンでエース。短髪で背が高く、シンプルな白のTシャツがよく似合っている。


 そんな彼女を見下ろし、川添はおどけた表情で首を傾げた。


「おいショウ。何言ってんだ。お前はちょっと狭い男風呂だぞ」


「女だし!」


 彼女は男前が過ぎるが故に少年に間違えられがちだ。特に中学生になってからはそれが顕著だ。


 初めて彼女の名前を読み上げる教師が『ショウ君』と呼び間違えがちなのは言うまでもない。


「旅館の人にかっこいいね、って声かけられたよねー」


「華!? それ言わなくていい!」


「なんで? ショウちゃん、本当にかっこいいのに……」


「もう……。このコは!!」


 ショウは華のことを抱きしめ、”苦しいよ~……”と言う華の頭をなでた。


 川添のノリと違い、華のは本心からの言葉。花びらが舞いそうな雰囲気に周りの生徒たちの顔が和んだ。


「やっぱり肇に華はもったいない!」


「今言わなくていいだろ!」


 ショウの大きな声に肇が立ち上がる。その顔は真っ赤で、華はきょとんと首を傾げた。


「どういうこと?」


 相変わらずな華の様子に、クラスメイトたちはニヤニヤと顔を見合わせた。


「おい肇~。この修学旅行で頑張れよ」


「うるせー!」


 ミカゲが悪ノリしたのを肇は一蹴した。











 大浴場を出たアルトは、いまいち乾ききってない髪をさわった。ドライヤーの台数が限られていたので、いつもの半分ほどの時間だけ温風を浴びた。


 着替えを入れた袋を持って歩いていると、前からきた男子が足を止めた。


「お、水も滴るいい男」


「誰が!」


 前を歩いていたショウがおちょくられていた。


 旅館は貸し切りらしく、他の客の姿を見かけない。


 ロビーの窓側に設置されたマッサージチェアに揺すぶられながら、寝こけている教師もいる。


 アルトとハルヒは袋を部屋に置くと、再びロビーに来た。


 どのクラスも入浴を終えたので髪を下ろしてる女子がたくさんいる。そして女子も男子も関係なく、パジャマとして体操服を着用していた。


「アルト、髪下ろすと雰囲気変わるね~」


 普段ハーフアップにしているアルトは”そうかな”と髪をなでた。やはりまだ湿っぽい。


「ハルヒの方が全然違うよ。やっぱり長い」


「いつもアップにしてるからね」


 二人は人の波をすり抜け、空いてるソファに腰かけた。そこら中に生徒がいるが、広いロビーなので窮屈には感じなかった。


「アルトの髪型アレンジしたい。今度巻いてみようよ」


「どうやって?」


「これとかどう?」


 ハルヒはお互いの間にスマホの画面を出した。


 そこにはボブの黒髪をパーマっぽく巻いたモデルの画像。眩しい笑顔は夏の日差しのよう。


「ちょっとかわいいかも……」


「でしょー? あーアイロン持ってくればよかったな~……。いつもと違うアルトをタイムに見せたかった!」


「やめて声デカい……!」


 アルトはハルヒの口を押さえた。人の恋心を知ってからというもの、ハルヒはこんなことばかり言っている。その度にミカゲは微妙な顔で目をそらす。その時の彼は何を聞いても上の空だ。


 誰かに聞かれてないかと後ろを振り返ったが、そこら中で自撮りをしている生徒ばかり。中にはおもしろがって、マッサージチェアで目を閉じている教師の前でスマホを構えている者もいる。


「そういえばアルトってスマホ持ってないよね」


 アルトの気も知らず、ハルヒはスマホの画面をさわっている。


「必要性を感じないから」


「迎えに来てもらうとかは?」


「ウチは学校からすぐだし」


 二人は消灯時間ギリギリまで話していた。

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