見世物小屋の歌姫

 翌朝、早くに花奏さんとパール様は旅立った。寝巻きに毛布を肩にかけた簡素な姿で私は遠ざかって行く二人の背中を見つめる。空が白み街灯が消える頃ようやく玄関ドアを閉めた。

 ロバートは降りてこなかった。グラトニーもまだ眠っている。朝の支度をする気分にはなれずに、私は暖炉に火を焚べてその炎のゆらめきを見つめながらソファに深く座っていた。

 どれほどそうしていたのか、窓から陽の光が差し込んで二階から足音が聞こえてきた。ロバートが起きたらしい。そろそろ起きなければと体を起こすとすぐ隣に人影が見えて私は思わず仰け反った。

「ぎゃぁ」

 はしたない悲鳴をあげたその先には肉片を喰むグラトニーがいた。彼女は咀嚼したまま赤黒く染まった手で一枚の紙を私に差し出している。

「あぁ、グラトニーだったのね……びっくりしたわ、ごめんなさい、あの、これは?」

 どくどくと脈打つ心臓を落ち着かせるように胸を撫でつつ受け取ると、グラトニーは満面の笑みを浮かべた。少し不気味な笑顔に形ばかりの微笑みを返して私は紙に視線を落とした。

 それは昨日ピエロから貰ったサーカスのチラシ。どうやらテーブルに置いたままにしていた物をグラトニーが見つけたらしい。

「これが気になるの?」

 私の問いにグラトニーは笑顔のままブンブンと頷いた。あのピエロはどうも胡散臭くて気味が悪かった。関わりたくない。けれどここまで積極的なグラトニーもまた無視したくなかった。

「アリー、どうかしたのかい?」

 どうしたものかと頭を悩ませていれば悲鳴を聞いたロバートが駆け寄ってくる。

「ああ、いえ、グラトニーに驚いただけです……それより、この子がサーカスに興味を持ったらしくて」

 私がチラシを渡せばロバートは「これか……」と顎に手を添える。

「うーん、そうだな。よし、じゃあ三人で行こうか」

「え?」

 ロバートのことだから断ると思っていた。そうでなくてもグラトニーに意地悪をしたい人だから冷たく突き放すかと。予想外の反応に呆ける私の隣でグラトニーが子供らしく飛び跳ねて喜ぶ。最近肉付きが良くなった彼女はいつのまにか自分で動き回り跳躍できるほどの筋力を得ていたらしい。それはロバートがほんの少しグラトニーに優しくなったことを示していた。

「アリーは嫌なのかい?」

 さらりと聞かれたくないことを聞いてくるロバートに私は内心舌打ちをした。案の定悲しげに私を見つめるグラトニーが不安そうに大きな瞳を潤ませて私を見つめる。降参とばかりにため息を吐く他なかった。

「いいえ、せっかくのお誘いですもの」

 あのピエロは気になるけれど客が私たちだけと言う事もあるまい。それに何があってもここはロバートの世界だ。どうとでもなる。

 グラトニーの頭を撫でてやれば彼女は嬉しそうに私に抱きつき頬擦りをする。愛らしいけれどおかげで私のネグリジェが血でベッタリと汚れてしまった。グラトニーはそれを見ていたずらっ子な笑みを浮かべると私から逃げるように地下室へ消えて行く。

「全くもう……仕方のない子ね」

 呆れたように呟けば今度はロバートが私の隣に腰を下ろしてそのまま私の腿を枕がわりにする。

「……」

「おや、僕には言ってくれないのかい?」

「……何をです?」

「仕方のない人……って?」

「しょーもない人ですね」

「なんか違う!」

 そういったロバートの顔がグラトニーに重なって私は自然と口を噤んだ。

 誤魔化すようにロバートを撫でてやれば彼は幼い子供のように目を細める。人を殺してもその肉を食べてもこんな表情ができるこの人はまさしく人間を辞めている。そして、そんな彼に執着しこんなところにいる私もまたまともな人間とは違うカテゴリにあるのだろう。

「私美味しいとは思ってしまったのよね」

 いつかの試行実験の記憶。思い出さないようにしているけれどあの時の私は間違いなくこの人に近付けていた。

「……何が?」

 期待するような眼差し。だけど、わたしはまだ人間でいたいから。

「……いえ、花奏さんの料理をね」

 無理があっただろうかと彼を見つめる。目を逸らしてはいけない。彼はしばし探るように私を見つめた後下瞼に長いまつ毛の影を落とした。

「彼女には敵わないな」

 穏やかなロバートの声に罪悪感が募った。

「貴方は優しいのね」

 彼の髪を撫でれば彼は猫のように気持ちよさそうに目を細めた。


 グラトニーを抱えたロバートと並んで市場への道を歩く。一人で歩けそうな物だがまだ甘えたいのか出掛けに私に一生懸命腕を伸ばしてきた。けれど、流石にここまでずっしりしてくると私も抱えられず困っていたらロバートが何も言わずに抱き上げてくれたと言うわけだ。

「ロバートさんて力持ちなんですね」

「このくらいどうって事ないさ、羨ましいのかい?」

「……別に。私はもう大人なので」

「素直じゃないところも君の魅力だ」

 その時馬が嘶いた。どうやら馬車の乗客と運営委員が揉めているらしい。

 会場は一般客の馬車の乗り入れを禁止しているのでこうして歩いて行かなければならない。時折それを知らない外から来た人が運営と揉めているのを見かけるがこれも一種の風物詩のようなものだった。

 昨日よりも賑わう市場の中を分け入ってチラシの案内をもとにサーカスを探す。

「ええと……結構奥まった場所にあるみたいですね」

「どれ」

 ロバートの頭が視界にずいっと入り込み私の手元のチラシを覗き込む。整髪料の甘い匂いがふわりと香った。

「どうやらしばらく使われてこなかったスペースのようだね。僕が案内しよう」

 昨日とは違う道をまっすぐ進めば、やがて道は鬱蒼とした木に覆われ微かに霧が立ち込める。こんな場所あったかしらとロバートを見るも彼はいつも通りの食えない表情でまっすぐ歩いていく。やがて遠くの方にぽつぽつと明かりが見え始め、霧が晴れたその場所には黄色と赤の大きなテントがあった。脇には同じ色使いの観覧車に、鏡の間と書かれた建物もある。

「サーカスなんて珍しい」

「何年振りかしら」

「歌姫の……アリス?」

「ママぁ早く!」

 道中私たちの他に誰も居なかったはずだけれどそこには多くのお客さんが詰めかけていた。私達の後にも続々とやって来るエキストラに逸れぬようにとロバートの腕を掴んだ。

「さあさあ皆さんお立ちあい!」

 その時入口の近くで一人の男が壇上に上がり声を張り上げた。

「今宵お目にかけますは!何とも奇妙で奇抜で美しい演目の数々だよ!美しき猛獣使いに空気より軽いピエロ!愛し合う男女の空中ブランコとそれから火を吹く怪物男!それにそれに!何といっても悲劇の歌姫アリーチェ!その美声は聴くものの心を震わせ魅了するが、その姿の悍ましさたるや!ああ恐ろしい、けれど甘美な歌声には逆らえない!」

 男の口上は聞くものの耳を奪い人々は一歩また一歩と近づいて行く。まさか住人だろうかとロバートを見上げても彼は無表情で目の前の男を見つめていた。

「ほぅら耳をすませてごらん、聞こえるかい?あの切ない歌声が!」

 彼が耳に手をやって耳をすませれば観客も釣られるように耳を澄ます。すると微かに歌声が聞こえてきた。チラシに描かれているアリーチェの歌声だろうか。確かに甘く軽やかでいて切ないその声は人を惹きつけるのだろう。

「あぁ、続きはどうぞこの中で。大人は一人10ポンド子供はおまけだ3ポンド!さあさあまもなく開演だよ!」

 男は口上を終えると壇から降りて脇に控えていたピエロの肩を叩く。

「やあやあ皆さんチケットはこちらです!さあさあ押さないで!席はたっぷりあるからね!」

 お金を握りしめていた手にチケットを握り直した客達がゾロゾロと天幕の中へ消えて行く。それを眺めているとグラトニーに袖を引っ張られた。

「アリー?」

「あぁ、いえ、行きましょう」

 彼らに続いてピエロの元へ行けばピエロは仮面の下の緑がかった黄色い瞳で品定めでもするみたいに私を見下ろした。

「やぁやぁお客さん来てくれてありがとうねぇ、それも家族で来てくださるなんて」

 含みのある言い方に警戒すれば私とピエロの間に割って入るようにロバートが前に出る。

「子供が気になるというのでね、楽しみにしているよ」

 ロバートはそういってチケットを受け取ると私の手を引いて歩き出す。一度振り返ってピエロを見れば怪しげな笑みを浮かべた彼はヒラヒラと手を振っていた。

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