同接ノコギリ
央きりん
第1話 モザイクガラスとトタン屋根
死のうと思う、そろそろ。
16歳の時に僕は、運命と言う言葉を知った。
人が言う未来とは、子供から大人になると言うことで、僕はいくつ歳を重ねても彼らの言う大人にはなれなかった。
人間不信と言う言葉があるが、僕にとってそれは生まれつきの才能のようなものだった。
疑いだしたらキリのないこの世界と物体の狭間で、生命は呪いのようにギコギコと世間を彷徨っていた。
僕が知っている世界は、山や大きな川のある田舎町で、人混みや都会の喧騒ともほど遠い時間の止まったような世界だった。
歩く虫は大きく、はばたく鳥は無沈着に空を飛ぶ。それらはまるで、生まれ持った運命を受け入れたように僕を日々見下ろしていた。
コンビニが出来たのも平成の半ばのような街で僕は育った。
心の闇に気付いたのは、中学に入ってからすぐである。僕はやんちゃな小学生時代を振り返っては、優しくなろうと決めていた。
例えばクラスメイトの女の子が落とした消しゴムをすぐに拾ってあげるような妄想を繰り返し、今までとは180度違う自分自身の人格を形成しようとしていた。
言葉で言い表せられない不安は、思春期の中で障害となって形成されていく。精神科に言わせれば、不安障害や統合失調症のような名前がつく。
僕はいつの間にか器用な不器用と言う、妙な性格に身体と心を蝕まれ、授業中に顔すら上げられなくなっていた。
昔、小学生時代の僕を知る人から言わせれば、それは中身がまるで別人と入れ替わったかのような。
僕は僕じゃなくなっていた、僕が誰かと問われれば困るが。今となって例えるなら、透明なグラスのような。
注がれる人間の言葉によって色や味が変わる、都合の良い存在が出来上がっていた。
中学時代から高校にかけて、僕を染めていたのは僕を形成する世界である。
モスキートとしか言いようの無い日常の中で、不安もなく絶望もなく、ただただ映像のような他人事が流れている。
チャンネルをザッピングするような、主体性も将来もない一定のリズムは、青春と言うにはモノクロ過ぎたのかもしれない。
通学路にはプレハブ小屋の教会があった。
緑色のテープで補強されたガラスは、石でも投げられたのか。
平屋のトタン屋根には、焚き木で使う様な木製の十字架が、黄色に塗られて掲げられていた。
おざなりな毎日の中でその脇を通るたび、半年ごとに貼り替わる「嗚呼、神よ」と主張するポスターに、僕は対話を心掛けるようになっていた。
そもそも神などは地上にいなく、宇宙にもいないことは分かっていた。
ただしかし、さびれた僕の心は目に見えないものへ救いを求めていたのだろう。
異世界に連れて行ってもらえることを祈る、空想好きの少年はその時も今も変わらない。
讃美歌の代わりに、そばを通るといつも流れていたのはラジオ中継だった。
夕方早い時間であればニュース、補習で遅くなった時間はナイター中継などである。
窓辺から漏れ聴こえる音のそばにいつも人影がいたが、はっきりと顔を見ることは無かった。
ただその気配はほぼ毎日変わらず、通学路に射し込む夕暮れの気配と共に、紺青の昼と夜の狭間で現実を揺らしていた。
メトロノームのリズムと似ているかもしれない。
鬱々とした毎日は一定の感覚だが、ドラマと言うような感性を削っていく。
麻痺した人間の心は、深化した自分の心の器に安定剤と言う不安定さを注いで行く。
僕に何かあるとすれば12月、16歳の時である。
それは冬休みに入る前、最後の登下校の時間だった。
早くなった夕闇の中、いつもの様にショルダーバックを揺らし、一人で歩く寒空の下でのことである。
記憶している限り、17時まで強制的に居残りを義務づけられる自習時間が終わり、いつもの様に踏切を越えた先にある教会の路地へと入るところ。
チカチカと街灯の灯りと、その上で薄っすらと星も瞬いていたのではないだろうか。
緑色のテープで縫われたモザイクガラスの向こうで、普段は絶対に感じないような気配が唐突に僕を襲ったのである。
ラジオの音声はいつもと変わらない。
ただ違ったのは、ガラスの向こうで揺れる人影の気配だった。
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