虹始めて見る
虹始めて見る(にじはじめてあらわる)
幼い頃、虹はワクワクするものだった。めったに見ることができないからだ。雨の後の晴れというシチュエーションもあるのだろう。なにより、美しい。でも、今、突き詰めて考えると、不思議だったからだろう。空に浮かぶ雲は不定形だが、虹は半円、弧を描く。幾何学的なんて言葉は当時、知る由もなかったが、自然物にもかかわらず形が崩れていないという人工的な要素が響いたのだろう。それもまた巨大な自然物ということが心を震わせたに違いない。虹が出てるよ、と弾んだ声で告げに来る母の思い出も少なからず、影響しているのだろう。
清明の末候は【虹始めて見る】。七十二候にはさまざまな自然が取り込まれている。鳥(玄鳥至る)であったり、植物(桜始めて開く)であったり。気温の変化が生物に影響を与えることはわかる。また気温の変化が水を凍らせたり(地始めて凍る)、反対に氷を溶かしたり(東風氷を解く)することもわかる。
では、虹は? 気象現象も気温と無関係ではないと想像はつくが、虹は光学的というか、気温とは関係ないのではないか。
いわれてみれば、虹は夏のイメージがある。夕立と虹に深い関係がありそうなことは、なんとなく想像がつく。では、俳句ではいつの季語なのだろうか。調べてみた。
ただの「虹」は予想通り、夏の季語だった。ただ、「春の虹」は春の季語、「秋の虹」は秋の季語、「冬の虹」は冬の季語、なんだそうです。私が調べた限りでは。
おいおい、その方式を採用してしまうとなんでもありじゃないか、と思う反面、日本人は虹がお好きなのね、とも。いや、日本人だけではないか。世界中の人にとって、虹は希望の象徴になっているように思える。私自身はあまり、そうは感じないのだけれども。
雨を問題や不幸と見立て、晴れを希望というか解決というかにしてしまう感じを頭から否定はしない。けれども、あまり単純に、考えなしに丸呑みしてしまうと、味わえないなにかがあるように思う。雨だったら雨で悪くはないじゃないか、という生き方をするしかないほど、雨が続く日々はあるのだ。
虹なんて、太陽光を空気中の水分が分けただけの現象、ただの科学じゃないか、と嗤うほどさめてもいない。なにもポジティブな意味を重ねあわせなくても、空にかかる虹はそれだけで美しいではないか、それだけでいいではないか、と思う。
とかなんとか言ったくせに、赤・橙・黄色・緑・青・藍・紫が上からだったか、下からだったか思い出せない。横型の信号機は左から青・黄色・黄色でしたっけ。歩行者信号機は上ガ赤でしたっけ。三番目の黄色と四番目の緑の間、3、5の黄緑、いや3、777652くらいの黄緑が好きです。グラデーションを愛せる人でありたい。
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