第29話 終幕
「アカネ、お母さんよ。私を爆破させるなんて酷いわ。お陰で代わりの体をつけ替える羽目になったの。機械だから高いのよ」
ドア越しに聞こえるのは記憶にある声。幸園だ。ブラッドは相手の言葉の意味がわからないと言いたげに眉をひそめる。
「幸園は子どもが産めない年齢になったら全身を機械に変えたんだ。ギフトじゃなくても生きてるのはそういう理由だ」
乖は記憶を引っ張り出しながら説明した。思い返せば思い返すほど気味が悪い。銃撃だってわざわざオリビアを盾にしなくても死なないはずだった。
「乖、記憶を思い出したのね。手間が省けて良かった。今、外に輸送機を停めてるの。家の周りも怖い人で囲っているわ。そろそろ研究所に戻りましょう」
「嫌だと言ったら?」
乖の言葉の数秒後、寝室の壁から轟音が鳴った。
「!」
ブラッドは反射的に手を離して乖に覆い被さり、床に伏せた。壁は土煙を立てて破片をそこらに撒き散らしている。ブラッドは嘲るように笑う。
「俺たちを殺しても構わないと?」
「ちょっと驚かせただけよ。でもアカネはヤンチャだから、足を切り落とすか喉を焼くかくらいはしても良いかもしれないわ」
ブラッドは微動だにしない。反対に乖は歯を食いしばり、床に左手の爪を立ててギリギリ引っ掻いた。怒りが抑えられない、許せない。こんな奴にブラッドを汚されたくない。
ここまで自分が感情的になる人間だと思っていなかった。それも全部ブラッドが与えてくれたものだ。
救いも、優しさも、悲しみも、怒りも。ブラッドに出会えて、彼と一緒に経験した。記憶をまるで玩具のように弄られた乖にとって、ブラッドを通して得た日々はどんな物より大切だった。
乖は思い出した。そして確信した。
ブラッドが乖の生きる理由なのだ。
だから奪われたくない。好き勝手に侵されたくない。どうすれば彼を守ることができるのだろう。乖は必死に思考を巡らせ、使えるものがないか部屋の中を見回す。
「乖」
そんな乖を制するように、ブラッドは乖の体を優しく抱き起こして視線を合わせる。乖の乱れた髪を撫でるように整える手つきは、状況に関わらずとても穏やかだった。
それが何だか切なくて悲しい。乖は自分の頬がみるみる濡れていくのを止められなかった。
「もう時間が残されていないらしい。ムードも何も無いが言いたいことがある」
乖はブラッドの柔らかい唇から紡がれる言葉を待ち、じっと見つめる。ドア越しに幸園が何か言っていたが乖の耳には入らなかった。ただブラッドから与えられるものを望んでいた。
「俺を愛してくれてありがとう。側にいてくれてありがとう」
ブラッドの言葉に乖の呼吸が一瞬止まる。
「好きだ、乖。お前が好きだ」
告白だ。ブラッドの低く優しい声が、乖の心を満たし広がっていく。ブラッドはそっと乖に顔を近づけると唇を重ねた。力無く垂れていた乖の腕がビクリと震える。
触れたい。
彼に触れたい。
この手で、触れたい。
離されそうになった唇を追い、乖はブラッドの方に体重をかけて己の細く白い指を愛しい人の背に回した。右手はブラッドの首筋に触れた。素手で感じるブラッドの温もりは、他の言葉では表現できないほど乖に幸福を与えてくれる。
ああ、やっぱり。
とても、温かい。
カチ、とどこかで音がした気がする。密着した乖とブラッドから熱が駆け巡り、電流となって周囲に広がる。
床を、ドアを、幸園を、乖達を囲む有象無象を。
白い光が全てを飲みこんでいく。
「これは」
幸園が驚きの次に歓喜の色を瞳に浮かべる。だがその身はまばゆい光に包まれ、輪郭は液体のように崩れていった。
乖はブラッドを強く抱きしめる。ブラッドも抱きしめ返し、乖の肩に顔をうずめた。
白い、視界全てが白い。光が空間を切り裂くように大きなうねりになって弾けていく。
音も色も全部光の中へ消えていく。
嫌だ、ブラッド、消えないで。
乖はまだ手にある感触を必死に引き寄せた。まだ身に感じる熱を必死に求めた。
思考も真っ白に染め上げられる。もう何も考えられなかった。
内から広がる炎のような衝撃は激しく燃えておさまる様子がない。心臓が炭になるまで永遠と続くような錯覚を覚えた。
それでも視界を覆い尽くしていた光は少しずつ薄れ、奪われていた聴覚もじわじわと戻ってくる。
聞こえるのは自分の呼吸音。そして……。
「……乖」
ブラッドの声。乖は震える体をどうにか動かし、自分を抱きしめる相手に視線を向けた。そこには変わらぬ姿のままのブラッドがいる。
「消えて、ない」
「いや……」
ブラッドの顔の動きに合わせて乖は周囲を見渡す。
何もない。
自分達は壁も天井も吹き飛ばされた建物の残骸の上で抱き合っていた。その周囲はまるで初めから何もなかったように、地平線が広がっているのが見える。
人の姿も、建物も、何もない。家の前に放置された電動バイクも、愛猫の墓も無い。木々も、草も、何もない。
ただ吹きっ晒しの大地と朱の色に染まった空だけが視界に映っていた。
「僕が、消したのか」
「そうみたいだ」
「全部?」
「ああ、全部」
都があった方角にも何も見えない。国を覆う壁も見えない。本当の無になっていた。
こんなことがあるのか。
幸園は乖のポテンシャルを高く評価していた。兵器としての素質を認め、不良品の烙印を押しながらも感情という点に注目して研究を続けていた。
そんな彼女が見据えた先がこの結末なら、何という皮肉だろう。
「そうか……僕は」
僕は、化け物だ。
好きな人を想い、人を殺す化け物だ。
なのに不思議だ。
心が晴れ晴れとしている。
ブラッドは呆然とし、もう一度乖の首筋に顔をくっつけた。体が震えている。乖は右手を動かそうとしたが、力が入らなかった。気のせいか右目もよく見えない気がする。
でも乖の心は多幸感で満たされていた。今まで感じたことがないほど清々しい。
何の隔てもない空に広がる色はとっても綺麗で、沈みかけの夕日はブラッドの目のように美しい。頬を撫でる風が冷たいのに気持ちよくて、愛おしかった。
嬉しい。自分たちは自由なのだ。
「ブラッド」
乖が名前を呼ぶと、ブラッドは緩慢な動きで顔を上げて乖を見る。怒っているのか悲しいのか、それとも喜んでいるのかわからない顔をするブラッドに乖は満面の笑みを向けた。
「ふはっ……」
つられるようにブラッドが乾いた笑い声を漏らす。乖はふと心の中に一つの欲求が浮かんできて、そのまま口にした。
「ブラッド。僕、オレンジを食べてみたい」
ブラッドは虚をつかれたように口を半開きにすると、次には柔らかく微笑んだ。とても優しくて慈愛に満ちた眼差しだった。
「……じゃあ、探しに行かないとだな」
二人を簡単に融かしてしまいそうなほど赤々とした空に囲まれながら、ブラッドと乖はキスをした。
その感触は苦く、少し酸っぱく、それでも甘い。きっとブラッドが求めるオレンジはこんな味なのだろうと乖は思い、静かに目を閉じた。
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