第3話「死んでから気づくこともありました」
(前世もお腹が空くことはあったけど……)
生きているのなら、お腹が空くことは当たり前。
でも、食べなくても平気だと思い込んだ時期があったのは事実。
だから、食費を削ってしまった。
食費を削って、夢のために投資をした。
けれど、生きるための資本がなっていなければ、夢を叶えることすらできないのだと気づかされる。
(うぅ……気づきが多すぎて、情けなくなってくる……)
夢を叶えることが、私の人生の最優先事項。
夢さえ叶えることができたら、私は美味しい物を食べられるようになる。
その夢は、あっけなく費えてしまったけれど。
「お待たせ~……えっと、名前は……」
私を助けてくれた艶やかな淡い青色の髪が特徴的な男の人は朗らかな笑みを浮かべながら、両手で何やら美味しそうな香り漂う土鍋を持っている。
「は? 名前も知らない女性を連れてきたのか?」
「だって、自己紹介してる場合じゃないって思ったんだよ!」
私を空腹で殺す気満々であろう男性は鋭い目つきを私に向けていたけれど、その視線は笑顔が爽やかな彼へと向いた。
「ほら、まずは食事から」
「ありがとうございます……」
名前を名乗るタイミングを逃すと、こうも機会を伺うのが大変だということに気づかされる。
あとでちゃんと自己紹介しますからと心で謝罪をしながら、私は用意してもらった土鍋の蓋へと手を伸ばす。
(土鍋がある世界……)
視界いっぱいに広がる世界は西洋風の建物が並ぶ世界でも、自分が生きてきた世界と馴染みのあるものが登場すると自然と涙が動きを見せそうになる。
(こういうのをホッとするっていうのかな……)
自分の感情というものがポンコツすぎて、これでマンガ家を目指していたとか。
今日は反省すべきことがたくさんあって、私の涙は益々加速していきそうで困る。
(雑炊か何かかな……)
滲み始めた瞳が、鍋の中から立ち上がる真っ白な湯気に覆われていく。
眼鏡をかけているわけではないのに、私の世界が白く染まっていく感覚にわくわくした。
「いただきま……」
涙を隠してくれた水蒸気が落ち着きを見せる頃、私は親しみある箸を鍋へと運ぶ。
そのとき、あることに気づいた。
(……雑炊じゃない)
こんなにも前世と似通った食材が揃った異世界に転生するなんて、神様は優しいのか意地悪なのか分からない。
「うどん、ですよね?」
「うどん以外の何に見えるんだ?」
「いえ……」
ちゃんと食べなかった前世。
食べることよりも、優先したいことがあった。
大切な夢があった。
それは確かに自分が選んだ人生だけど、いざこうして美味しい食べ物を用意されると申し訳ないって気持ちが生まれてくる。
「ありがとうございます! いただきますっ!」
私を産んでくれたお母さんに、お父さんに。
ごめんなさいって謝りたくなる。
ちゃんと食べて長生きをしないと、夢まで失うことになるんだよってことに私は気づいていなかった。
「美味しい……」
「でしょ?」
「当然だ」
これでもかっていうくらいたっぷりと回し入れられた溶き卵が、私の前世を優しく包み込む。
とろみがついたあんかけ風のうどんは、冷え切っていくだけだった自分の身体を温めてくれる。
目の前にいる男の人たちは、まるで私の前世を見知ってくれている人なんじゃないかなって思ってしまうほど、出された料理が体と心に染み渡る。
「いつもと、うどんの味が違う気がします……」
「ディナの愛情が入ってるからね~」
「愛情じゃなくて、生姜と貝柱」
また、耳馴染みのある食材が私の聴覚を揺さぶる。
「貝柱の旨味が出ただけのこと……」
「生姜って、体を温める作用があるんだよね」
私にかけてくれる言葉に耳を傾けながら、私は私のために用意してくれた『かきたまうどん』が冷めないうちに口へ口へと運んでいく。
「ディナが、よく言うんだ。体はあっためた方がいいって」
「とても、とても、心のこもったお料理だと思います」
ディナさんという名前の男の人は、西洋風の世界観に溶け込む金色の髪色で私の興味を奪っていく。
ディナさんは私のことをどうでもいい扱いしてくるけど、私に怒りの感情を向けているわけではないってことが、ほんの少し上がった口角から伝わってくる。
「あっちの無口な料理人がディナート。俺の名前はアルカ。食材調達のアルカ、ね」
出会ったときから、私にきらきらと眩しい笑顔を向けてくれるアルカさん。
他人を放っておけない人なんだってことがよく伝わってきて、そんなアルカさんの優しさのおかげでご飯の美味しさが倍増していく。
「君は?」
ゆっくりと咀嚼して、自分の名前を名乗る準備を整える。
心と体が、うどんの愛で満たされた今なら。
きっと、今までで一番綺麗な声で名前を名乗ることができる気がする。
「ミリです」
前世のお父さんとお母さん。
正直、
ミオリとか、ミノリとか、言いやすい名前にしてほしかったなって思ってこともある。
でも、異世界にやって来た私は、『ミリ』って名前で良かったなって心から思うよ。
「ミリちゃんね」
「はいっ!」
だって、私を優しくしてくれる彼は、私の名前を躊躇うことなく綺麗に呼んでくれるから。
発音のしやすさって、意外と大事ですよ。
お父さん、お母さん。
「ほら、ディナも呼んであげなよ」
「意味が分からない」
「ごめんね、照れ屋で」
「照れてない」
お父さんとお母さんからもらった命を台無しにしてしまった私。
だけど、異世界に転生できたってことには意味があると思い込む。
今度こそ幸せになるために。
私を産んでくれた、お父さんとお母さんに誇れる生き方ができるように。
異世界での転生生活、頑張ってみます。
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